「おぼろなる月もほのかに雲かすみはれて行くの西のやまのは」
武田勝頼辞世
「黒髪のみだれたる世ぞ果てしなき思に消ゆる露の玉の緒」北条夫人辞世
「あだに見よ誰も嵐の桜花咲き散るほどの春の夜の夢」武田信勝辞世
「朦々として三十年 淡々として三十年、
朦々淡々として六十年、
末期の糞をさらして梵天に捧ぐ。
借用申す昨月昨日、返済申す今月今日。
借りおきし五つのものを四つ返し、
本来空に、いまぞもとづ」一休禅師辞世
会津藩 六科糾則(りくか・きゅうそく)の令
<http://bakumatu.727.net/aidu/aidu-kiso-kakin.htmより>
天明8年(1788)8月、5代藩主容頌【かたのぶ】は、家老田中玄宰【たなか・はるなか】の建議による学制改革の一環として、藩士の学問所である郭内(外堀内)講所の功令(六科糾則の令)を発布した。六科・六行に適合をする者を重用し、八則(やってはならぬこと)に適合する者を退けることを定め、「学問を励み、文武諸芸を修めたものの登庸の基準」(『近世会津史の研究・上』)を示したものとなっている。文武が未習熟な者は家督相続の際、小普請入りになることが定められていた。
「風さそふ花よりも亦われは猶春の名残をいかにとかせむ」浅野長矩辞世
敬天愛人
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛するなり」『南洲翁遺訓』