計算や論理は数学の本体ではない
岡潔という大数学者、恥ずかしながら全く知りませんでしたが、保江邦夫先生の本を通して著作があるならぜひ読んで見たいと思っていました。
たまたま手元に届いた岡潔著「情緒と日本人」、人の要は情緒であるとされ、情緒について様々な角度から書かれていますが、さすがに大天才と言われる人、深いなあ。
この本からの出典ではありませんがリンクしたサイトには、「数学のもとになるのは頭ではない。情緒だ。数学は印象でやるもので、記憶はかえって邪魔になる。忘れるものはドンドン忘れて行く。これが極意です」との言葉がありました。この発想は普通ではありません。
今日の未明に読み終えた「こっちの世界、あっちの世界」に、ホメオパシーのことが語られています。
イギリスでは、王室の治療はホメオパシー主体でされていますが、日本では全く認めようとしないどころか、バッシングすらしている、というようなことは置くとして、ハーネマンというドイツ人医師が確立したとのことですが、この発見(?)も岡潔の前述の言葉と二重写しのように感じます。
数学のもとは情緒、数学は印象でやるもの!
岡先生は、大学3年生の時「ぼくは計算も論理もない数学をしてみたいと思っている」と仰ったと。そして、計算や論理は数学の本体ではないのであると書かれています。
また、一念三千の法門をひき、一つの情緒から三千大千世界が生まれ出ることは本当で、情緒は目に見えないが実在するものであることがよくわかると。
宇宙の子
このことは、宇宙生命と通じた直観力とでいうのか、保江先生や湯川博士、アインシュタインにも通じるんだろうと思いますし、「あっちの世界、こっちの世界」の矢作先生も同じような感覚をお持ちなんでしょうね。
この感覚、実は昔の人はみな持ち合わせていたものだと思うのですが、科学文明の発達によってどんどん削ぎ落としてきたんでしょうね。その結果でしょうか?世界は大きな壁に直面している。
「あっちの世界、こっちの世界」には、そいう力を備え、アスペルガー症候群やADHDと言われる中に、世界をよく変える子どもたちがたくさん誕生しているが、自然と相反する物質世界の教育はそれに適応できずに発達障がいと言うレッテル張りをしている。その子たちこそ宇宙の子であると。
しかし、“普通でない変な子”ですから、親も含めた周りからの圧迫によってその力を消してしまっている。
そんな子たちに薬を飲ませるなんてとんでもない。そのまま受け入れることが大切だとも。その通りです!
世界をよく変えるために、“普通の私たち”にできることは、そんな子どもたちの違いを違いとして受け入れる大きな度量を持つこと、どんな人も尊厳をもって生きれる社会を目指すという意識かもしれません。
私たちのこれからの時代、面白いですよね。たまりません。