宇宙の創成や、意識によってすべては変えられることを論証できるという素領域理論をもう少し知りたいと、昨日買った湯川秀樹著の2冊の文庫本。
その一冊、「科学を生きる」というエッセイ集を開くと、、
イメージの中にこそ根源的なものが
おっと!のっけからですが、自分が眠りかけているとわかる時、考えていることの間の秩序が崩れ、混沌とした、何かあらぬ逆の方向に進んでゆく。
この秩序と混とんとの中間の状態が、論証的思考の背後にある根源的なものと軽々しくいってしまうのはどうか、と書かれているものの、根源的なものということがままあるということなんでしょうね。
イメージの中にこそ根源的なものがあるんですよと言っているんだろうって、勝手に解釈したんですが。
これでこそ、保江先生の仰っている湯川博士の真骨頂なのかなあ。
ひょっとしたら、素領域理論もそういうところから生まれ出たのかも、とか想像するのはとても面白い。
対米追従を通じての対米自立
そうそう、今日のブログで書きたい主題は、昨日の続き、「日本戦後史論」なんですね。
ここ1年くらい、とても面白いし、深く考えさせてくれる本をずっと読んできたように思うのですが、そこにはない、久々に、読み応えのある本だったなあと思えます。
何が?ですが、日本の戦後史を我々一般大衆にも読み解けるよう、怜悧に、腑分けしてくれたのかなあと。
僕の感じた一番の核心は、日本の取ってきた対米政策は、一貫して「対米追従を通じての対米自立」戦略。
その果実として、サンフランシスコ講和条約や沖縄返還があった。ところが、質的に全く変わってきた。国益と国益のトレードを目指すものから、特に安倍さんでは国益と私益のトレードになった。
アメリカの国益というお土産との引き換えが「アメリカの嫌がること」、つまり、靖国参拝であり、北朝鮮の制裁緩和だったと。安倍さんの幼児性を指摘していますが、それが、“一部の”国民に分かりやすい。
徹底的に壊れた方がいい?
対米追従のキーワードは、国体護持と戦犯ともいえる国の指導層が、そのままアメリカの庇護のもとに戦後日本の指導層に横滑りし、それが今も続いているという構造。
この構造こそが、我が国の閉塞感の根源にあるのかもしれませんね。
だからこそ、飲み込んだものを吐くような検証と総括が必要だけれど、出来そうもないと皆が無意識に感じているから、徹底的に壊れた方がいいと思っているのかもしれませんね。だから安倍さんの支持率が落ちない!?
僕は、ここに書かれていることが、新しい社会の指針になるとは思っていませんが、少なくとも、5年10年20年30年、過渡的に日本が歩む方向性を考える大きなヒントがあるだろう思いました。
内田樹、やっぱり面白い!