今日は、先日のイベントで、一緒な匂いがするねという感想を漏らした方があった、年齢も少し離れているし住むところも全く違う、そんな男女と何のテーマがあったわけではありませんが、一緒にランチ。
やはり、話しは盛り上がり、ついつい夕方に。
その話の一つは、お金の必要のない社会がいいよね。
102歳でカブ!
昨夜、前夜ほとんど寝てないんだから早く寝りゃいいのに、0時になってたまたまチャンネルを回したNHKBS1で、登場する皆さんの余りに素晴らしい笑顔につられて、ついつい終わるまで見てしまいました。
にっぽん ぐるり えぇトコ「山のずっと奥へ行ってみた!」という、奈良や京都の山奥のその奥で暮らす人たちを訪ねて行く番組でしたが、そこに暮らす皆さんは一様に、これぞ最高な生き方!と思える輝く顔をなさっていました。
渡辺京二が、江戸末期から明治期にかけて日本に来た外国人が、庶民の暮らしをどう感じていたかを彼らの記録から拾い集めて「逝きし世の面影」という本を出しています。
この本で紹介された外国人は、当時の田舎に住む日本人は貧しいけれどとても豊かな暮らしをしていると書いているんですが、そのこととこの番組に登場した皆さんがオーバーラップしました。
彼らの暮らし、急峻な山奥ですから不便この上ない、畑だってこんな崖のような所で畑を!ですし、林業だってものすごく急峻なところに植林しそれを守っている。
本当にびっくりしたのは、カブに乗った102歳のおじいちゃん、一人暮らしで毎晩薪で風呂を焚く。
子ども、一番上は80歳だったかな?と言いながら一人暮らし、もっと生きるかもしれんなあと。
ある夫婦は、5人の子どもの一番下が16歳の時、通学途中で谷底に落ちてなくなり、ものすごく落ち込んだものの、夫婦で住み続けて今に至る。
水道やガスはいいけど、電気は欲しい
今日来てくれた女性は、水道やガスはなくても良いから電気は欲しい、それは情報に触れていたいから。
そう来たか!でしたが、人の能力を深堀出来れば、情報も不要になるんだろうなあ、というか、日々の暮らしは必要なものが伝えられ、必要とすれば智慧が湧くのかなあ、というのが番組を見て心に止まったこと。
自分で決めてしまえば、これは絶対に必要というものはそう多くはないのかもしれないかも。
生きたいときは生き、逝きたいときには従容と逝く、すべてはケセラセラで102歳のおじいちゃんのように日々過ごしたいものだなあ。
だって、生も歓喜、死も歓喜、って言うじゃないですか。