そうは思っていたけど、本当に、本当にこういう状況にあるのか?
改めて考えさせられています。
内田樹の講演録を読んでいて、読んだような気がするけどなあ、にしても、読まなきゃ!と。
ネットで注文する一歩手前で、それでもと本棚を見てみると、ちゃんとありました。
付箋がいっぱい貼ってあり、おまけにマーカーで線も引いている、それでも記憶には超薄い(^^;;
韓国の先生が激しく同意
どうしてか、内田樹の本って、韓国でたくさん翻訳されている、しかもどこの国より多い。
韓国から何人かの教師が会いたいと訪ねてきた、それは、まだ翻訳されていないこの本を読んで、韓国の状況とあまりにもよく似ている、そういうことだったのか!と激しく同意していてもたってもいられずに。
それがこの「下流指向~学ばない子供たち 働かない若者たち」。
半分ほど読んだところですが、恐らく、読み終わったらもう一度読み始めるんだろうなあ。
学びからの逃走が自己有能感
今日、最後に読んだところ、学力低下は「努力の成果」という節何ですが、激しく頷き、激しく動揺させられます。
この節では、苅谷剛彦のデータから指摘した考察を引用しています。
比較的低い階層出身のの日本の生徒たちは、学校での成功を否定し、将来よりも現在に向かうことで、自己の有能感を高め、自己を肯定する術を身につけている。低い階層の生徒たちは学校の業績主義的な価値から離脱することで「自分自身にいい感じをもつ」ようになっている。
この引用の後、一定数の子どもたちが学びを放棄し、学びから逃走することから自己有能感や達成感を得ているということになると(そして、その数が増えつつあるとすると)、それは教育技術やカリキュラムの改定といったテクニカルなレベルでは解決できることではありません。社会の在り方全体についての身を抉るような考察を通じてしか、この道は見えてこないでしょう。と。
自己責任の言葉のもと
今の教育制度は完全に行き詰っているのではないか、そう感じてきましたが、この本を改めて読み始めてその思いを新たにしています。
読み始めて数日後、親しくしている先生にぜひこの本を読んで欲しい、そして、関心ある皆さんと話す場を持ちたいと電話をしました。
現場の先生たちの疲弊感、まさにこのことなんじゃないかと。
こうした子どもたちは、自己責任の言葉のもと、最下層に固定化することになるんでしょうね。
リスクヘッジできるセーフティーネットの喪失した社会の中で、、、