涼風が立ってきてから初のお弁当持ちの畑作業でした。
お日様が照ってくると、じんわりと汗ばみますね。
ということで、お昼は出雲国庁跡のいつもの木陰。シイなど様々などんぐりの木が植えられています。
何気なく木陰に目をやると、おっと!キノコの群落。
よくよく見ると、うわ~~~、こんなにたくさんの種類が!嬉しくなってパチリパチリ。
きっと、食べれるキノコあるんでしょうね。
朝起きると、おっ、雨が降ってない!ニンジンの草取り!とか思って朝のフルコースを片付けていたらポツポツと降りだし、午後のお茶時間まで降ったり止んだり(^^;;
てことで、今日は事務仕事やお百姓の雨ふり仕事。
お百姓の雨ふり仕事
この写真、昨日収穫分で、左のサツマイモは2畝分、それぞれ芋苗20本づつの収穫。
隣のおじさんは、芋苗、しかも人が買って余った苗8本で15キロの収穫だったとか。
良く取れた右のかごで、さて7~8キロもあるでしょうか。左の写真はかなり辛い(^^;; 計算は不得手なので、敢えてしません。でもね、味と体には絶対いいかも。
この原因、よくわかっていないんですが、前前作がショウガ。それで?それとも、これはJAの苗。この後、自然栽培の苗で作ったお芋。かなり収量良さそう、なので、来年は全部こっちに切り替えかな!?
右の赤は、昨日収穫した鷹の爪。帰りが遅く、ナゲッパだったので、今日、選別や切り離しなど乾燥前作業。あまりに鮮烈で効きそうな感じなので思わずパチリ。
これから一年分、十分ありそうなので、いやはや、ありがたいなあ。鷹の爪、畑、自然に感謝!
越冬用保管場所もバッチリ!
その他、ポット苗づくり中の白菜とのらぼう菜の選別間引き。手間といえば手間。
などなどで、取りあえず一通り、ということで、前々から気になっていた棚を作るぞ!
これ、さつま芋や来年植え付け予定の里芋やショウガの親芋の保管場所。居間の片隅に階段がありますが、階段の吹き抜けに棚を作って保管用のスチロールの箱を置くところ。
去年は、やっつけ仕事のような棚。今年は、本格派を目指してバージョンアップ。2.0世代!
ホームセンターで材料を吟味して吟味して、ほほう、いろいろ考えると材料費も当初手に持っていたものの1/5になったりして!その代わり、行ったり来たり3往復(^^;;
いざ、帰ってみると、な~んだ!この材料も家に使えるものがあった!何て。
作業中、ちょっとしたアクシデントもあって肘を擦りむきましたが、これもご愛敬。
家の中で一番温度の保てそうなところがここなんですね。これで、今年の保管場所もばっちり!
あちゃ~~!!なぜか、てっきり今日が秋分の日だと思って、明日でもという家族を差し置いてお墓参り。
とは言え、いつもは混雑する墓所も一日前とあってガラガラ (^^♪ ラッキー!
ご先祖様にお礼を言って帰りましたが、その墓所の木々、も~~~、秋です!
畑も秋ですから、今更なんですが、木の葉が色づくと郷愁を誘うんですよね。
そんな秋の夜長、腹を抱えて笑い、ホッコリした気分で腹いっぱい!声をかけてくださったヒロコさん、ありがとう!
そう、今夜は、初の(本格的)生落語。しかも、独演会。主役は柳家さん喬さん。
落語って、暖かくてホロり。なんですね。人の機微を実にうまく表現してくれますね。こんなコミュニケーション力があったら、今以上にネットワークが広がるのに、などと(^^;;
ビックリするほど涼しくなりましたね。
台風の影響もあったのか、今日の最高気温は21℃。長袖を着ていても肌寒さを感じるくらいです。
無理がたたって?お盆前に体調を崩し、最後に残った痰が切れたのが9月の声を聞こうかという時。
体力的な問題を感じたことはありませんでしたが、一時は体重も52キロを切るまでに。ということもあって、体重を56キロまで戻すこと、少しでも免疫力を高めることを今の課題にしています。
ということで、僕が復活を図る食の一つ、朝のサラダについてちょこっと書いてみます。
幕内さん的に言うと、ご飯とみそ汁、それに常備食ということになり、サラダって!?ですが・・
僕は、お野菜を取りたい人なのです(に変わりました!)。で、夏にはせっせとミニトマト、キュウリなどの夏野菜を摂っていましたが、季節の変わり目、免疫力を高めることを課題に体を冷やす夏野菜から転換。
かつ、自分の畑のお野菜を中心に!ということで、唯一の葉物のルッコラ、蒸したカボチャ、茹で大豆、あればオクラが定番です。これに、塩レモン、ピクルスの漬け汁、オリーブオイルで頂いています。
これに、酵素玄米(寝かせ玄米)とみそ汁。酵素玄米には、大根の間引き菜とチリメンジャコで作ったふりかけ。みそ汁は結構具だくさん、汁椀に盛ってからお味噌を溶かして頂いています。
おっと、自分一人でやっているようなことを書いていますが、勿論、嫁さんあってのこだわり。
昼ごはんと夜ごはんは、基本的にはこんな食事の延長ですが、お魚を二日に1回くらい。
後は、夜、幕内さんに言わせると男(?)のマイルドドラッグで日本酒を1.5合くらい(*^^*)
さて、この復活作戦は奏功するのでしょうか?
ええっ!テーマは島根発の筈なのに1年5カ月遅れ。しかも、最初は米子。
今日は安来でしたが、仕掛けて大汗をかいたのは米子のNさんという元気な女性。
帰ってネットで検索をしたら何ですが、こんな屈辱的な!ってことがあるのか!という気分。
生も歓喜、死も歓喜
僕は、「生も歓喜、死も歓喜」という仏法の生死観を人生の師と仰ぐ人から教わりました。それは、生死不二という仏法の生命観を、人が生身で生きる中での神髄でもあろうと思います。
彼女は、監督した映画上映の後の講演で「生」の5画目と「死」の1画目を合一させ、新しい造語を生み出し、それをタイトルにした。そして、人それぞれにこの造語の読み方があると思う語りました。
その上で、ご主人を看取った体験を通して「死」の6画目は「生」の1画目に繋がっていくというこの造語を生み出した思いを語り、生も喜び、死も喜びと思えることが生をよりよく生きることに繋がるだろうと。
右の写真は、この映画の案内チラシを切り抜いたものですが、看取りをテーマにした「いきたひ~家族で看取る~」というこの映画の前半には、看取り師の柴田久美子さんが多く登場します。
そう、この映画は、開拓者・柴田久美子さんの実践があったからこそ出来上がった映画なんですね。
しかも、その発祥は島根県知夫村。そこで、彼女はこの「看取り」というテーマに向き合い深めていった。
そして、妹の死と正面から向き合えなかった僕に、生も歓喜、死も歓喜という師の教えに向き合わせ、死への畏怖心を乗り越えさせてくれたのは他ならぬ柴田久美子さん。
僕は、彼女と「死」というテーマでどれだけ語り合ったことでしょう。ある意味、彼女は僕の命の恩人。
そんな僕は、柴田さんを通して知っていた“はず”の長谷川裕子さんの作った映画を、意識の中に入れていませんでした。映画を作っていることは知っていたのに、、、
それしか示せないのは寂しいですね
漢方の博士で数多の癌患者の命を救った長谷川監督のご主人は、癌によって47歳で4人の子どもを残してその生涯を閉じるのですが、著名ながん専門病院のトップのドクターから余命宣告され、手術、抗がん剤、放射線の3つの治療を提案された折、それしか示せないのか寂しいですねとおっしゃって、自宅へ帰られたとのこと。
そして、危篤に陥った時には、4人の子どもたちに救急車を呼ぶのかこのまま家族で見守るのかと問いかけ、家族での見守り、看取りを選択したんですね。
最後は、家族に見守られ看取られて旅立つのですが、そこからも多くのドラマがあり葬儀にもクライマックスが訪れる。そのドラマを演出した脇役の一つは畳。畳文化あればこそと。
もう一つ二つ。抱かれて始まる人生なんだから、抱かれて終るのが当たり前。
自分の好きなように楽しく生きた方(他人に迷惑をかけている)を看取った時、死体がず~っと熱かった。あの柴田さんが、驚いたという。楽しく生きることはより多くのエネルギーを渡せるということ。
死をめぐる言葉、生前、えっ、死の時なのに!再誕生の時と考えられてきたんですね。同じく、命日、寿命、極楽、、、死は恐れるものではないのですね。
役割分担がある!
この映画を見て、あ~~~!!!役割分担があるんだよなあ、って。
柴田さんの講演は、とても胸を打つものですが、聞いた人が皆が皆、じゃあ自分も肉親を看取ろうというのは難しいのかなあと。この映画は、そのハードルを下げているように感じました。
僕に託された役割は?何て考えちゃいました。
◆ いきたひ-家族で看取る- 上映の足跡と今後の予定 ◆