見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

作物の声を聞く

2017-12-15 21:14:40 | 自然農業

 う~む、何が足りないのか?
 肥料はほぼ投入していないにしてもこの出来は、土に合っていないと考えた方が良い?
 でも、ジャガイモってもともと荒れ地に作られているんじゃなかったっけ?


 6mほどの畝、3.5本分にしてこのかご1/3は、どうみても、植え付けた種芋の半分程度か、それ以下に見えましたが、これって目の錯覚?(^^;;
 最近、簡単にできるはずのジャガイモで苦戦続きです。それも、3カ所の圃場とも。

 来春は、最後に残されたもう一カ所の圃場でやってみるつもり。
 今年叔父から借り受けたこの畑、里芋はとても相性が良く、掘り忘れのジャガイモの生育もすこぶる。
 さて、来年のジャガイモの結果やいかに!(^^)!

 それにしても、百姓仕事、侮るなかれです。
 特に、自然栽培だ、自然農法だなどとこだわると、猶更です。
 これをやっていると、化学肥料などで大きくするわけではないので、見えてくるものが違ってきて、作物の声を聞く、作物との意思疎通も必要になってきますね。
 いや、これって面白い。

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相似象が届きました

2017-12-14 23:29:21 | 持続可能社会

 ひいき目に見ているからなんでしょうね、県職員の接客のほうが温かみがある?
 今日、市の関係2ヵ所と県の関係1ヵ所、行政窓口に相談にお邪魔して感じたことです。
 きっと、たまたまだっただろうと思いますが、寄り添うような温かみがあるとほっこりしますね。

ヒャッホー!相似象が届いた
 昨日、注文していた相似象の1号から10号までが届きましたヽ(^o^)丿
 早速、お借りしていた本に貼ってた付箋を張り替え、近くにあったチラシでカバーしました。
 ヒャッホー!ですが、目の機能に過信できなくなり、最近の本に慣れた僕には活字が小さくてちょっと辛い(^^;; だけど、年末年始は時間を持て余すことはまずなさそうです。


 付箋を張り替え、カバーした9号を読み進めているんですが、そうだよなあ!と思わずうなずくことが。
 とても卑近なことなんですが、今日のネットニュースに女子高生がスマホしながら自転車に乗り、ぶつかった女性が死亡とありました。昨日か一昨日も中学生の同様事故のニュース。
 このニュースは、動物脳以前のことかもしれませんが、ひょっとしたら、東日本大震災の犠牲者にも同じようなことが言え、眠っている脳細胞が働いていれば、犠牲者はもっと少なかったのかもなあと。

 実は、人の社会にはもっと多くの危機が迫まり、存亡の危機と言ってもいいのかもしれませんが、それに気づきながら、本当に対処しようとしている人はごく僅かなのかもしれません。
 相似象の9号では、そのことも繰り返し繰り返し語られています。

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自然とともにある幸せ

2017-12-13 18:01:05 | 幸せに生きる

 ついかかっていたTVのチャンネルを握ってしまい、そんな遅くまで見るつもりはありませんでしたが、最後まで見てしまい、時計を見れば2:00でした。

自然とともにある幸せ
 消火部隊を率いる都会育ちの隊長がタイガの森に配属されてから35年、その間、ソ連崩壊を経て予算は1/3、給与も激減、人員も半分になる一方、火災は温暖化の影響で3倍。
 次々と発生する火災の鎮火に追われ、1週間、10日と現場でキャンプしながら極限の作業。
 40人いた隊員は、ソ連崩壊を経て今も残るのは2人だけ。
 それでも残っているのは?と聞かれ、「自然の中にいられるから幸せ」との答え。響きました。

幸福は質的なもの
 09年に放送されたドキュメンタリーの再放送、“出動 空飛ぶ消防士~シベリア大火災に挑む”、地球の22%を占めるシベリアの森林を命懸けで火災から守る消防士たち、心に染みる番組でした。
 ドキュメンタリー終了後、哲学者の岸見一郎先生の仰った「幸福は、量的なものではなく質的なもの」という言葉は深く印象に残るものでした。
 国民も社会も、こぞって成功を求めようとする世相であり、それは、往々にして幸福観を量的なものとして捉えてしまう意識ではないかとの見立てだと受け取りました。

 合気道の始祖、植芝盛平翁の言葉に「合氣とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である」とあり、合気道は勝ち負けをつけないと聞きます。
 岸見先生の言葉を聞き、植芝盛平翁のことを思い出しました。
 人は、得てして物事を勝ち負けで捉えようとします。病気の捉え方も一緒かもしれませんね。

 幸福を“質的なもの”として身体に落とし込むには、感性を高めたり直観力を研ぎ澄ますことが必要なのかなあと思いますが、この隊長のように“自然の中に身を置く”ことは人の潜在力を拓く大きな力になるのではないでしょうか。 

※シベリアの森林火災の写真は、RIA Novostiのニュース写真を転載しました。

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楽しみな相似象

2017-12-12 22:49:33 | 持続可能社会

 1時間待つことを覚悟で手に入れるどら焼きなんですよね、そんな貴重などらちゃんを送って頂きました!
 家族も好きなので、3,4回買って帰ったことがありますが、ついてたから?僕の場合は最長1時間並びでゲットできたのですが、、、
 嬉しいですよね、ご馳走さまで~~す!

サンデー毎日ではありますが
 サンデー毎日の自分ですが、事件やなにやかや、毎日いろいろあるんですよね。
 PCに向かっちゃいるけど手が回らん、みたいなところもあり、どらちゃんが数日振りのブログになりました。

 ただ、今日のブログは主テーマが決まってなかったのに、軽いノリでどらちゃんから(^^;;
 そこで、今の自分に一番ビビット感のあるのはと問うと、やはり“相似象”になるのかなあ。
 昨日、ネット注文を始めましたとの案内を頂き、“相似象”の1~10号、まとめて注文しました。

相似象
 カタカムナを世に出した天才的な科学者、楢崎皐月の一番弟子?今は亡き宇野多美恵さんによる“相似象”、正直、今の時代に生きる我々には非常にとっつきにくい文体。
 彼女は学者ではなく一民間人と仰っていますが、1979年ですから、科学者であったとしても古い時代を生きてきた方、そんな印象を抱かせるんですね。
 でありながら、読む僕をどんどん引き込みながら、自分の本棚に揃えておいて読んで行きたいと思わせる、そういう波動力のようなものがあるのかもしれません。

 では、カタカムナの、相似象の何が僕を惹きつけるのか、なんですが、先日のブログに、現代人の多くの脳細胞は使われずに眠っていると書きましたが、現代社会の行き詰まりを思わせる様々な課題をクリアする鍵がそこにあるのではないか、と思えてならないからです。
 それは、アナスタシアの意識と相似して、豊かさや便利さの“モノ・こと”に惑わされることなく、感性や直観力を働かせて生きる力とでもいうのか、、、
 モノづくり大国であったはずの日本で、次々と綻びが露呈しているのは、僅かでも日本人に残っていたはずのその感性が、完全に近く埋もれてしまった結果ではないのか?

 日本人脳の特殊性を研究し、右脳、左脳論に火をつけた東京医科歯科大学の角田忠信博士は、日本語を母国語としていると虫の鳴き声や自然の音を言語として左脳で聞き分けるが、大半の多国語の人は右脳で聞くために聞き分けることができないと日本人の優秀性を著しています。
 言語の乱れなども相乗して、母音を持つが故の感性が高く鋭い日本人の特性が消え去るかもしれないと思える中、上古代のカタカムナの人たちが感性や直観力を最大に働かせて生きていたその根源を学ぶことは、日本人の持つ特性を呼び覚ますことになるかもしれません。

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社会は調和がとれているか否か

2017-12-08 23:43:02 | 日記

 この社会は、全て調和がとれているか否か?
 持っている社会観、宇宙観でお互いに持論を展開。
 さて、その結果は、、、

 結果的には同じじゃないかと思えたのですが、今の社会を正すべきものとして否定的に捉え、変えるような動きをしていこうと考えている僕。
 片や、人の幸せと相反するだろうと思える陰の面や反対の陽の面も含めて、人の意識がこの社会を作り上げているから、それは否定すべきものではなく、調和しているものとして感謝して受け入れる。
 人の意識が変われば、調和している社会の姿も変わる、意識の変容にコミットしようとする相手。

 禅問答のようなものかもしれないなあと思いましたが、決定的な違いが。
 現在の社会や生活に感謝しているかどうか、否定的に捉えると感謝ではなくなる(^^;;
 この違いは、物事を右脳的に捉えるか、左脳的に捉えるか、というところにもあるのかも。

 先日、友人からお借りして読み始めた、日本の上古代民族の“サトリ”であるカタカムナの学会誌「相似象」(第9号 1979年刊)には、「現代人の脳細胞の多くは使われずに眠っているが、動物から脱皮して人類という種の許容量一杯まで、平衡を保って使われていたに違いない。だが、次第に必要性が見捨てられ、現代人の意識からその中心が抜け落ちたものと思われる。(大要)」とあります。

 また、読み終わった「人はなぜ治るのか」の最後に、大方の意識は脳の情報をもとに大脳皮質で作られるが、プラシーボ効果がうまく働き、自らの治癒力が最大に発揮されて病気が治るという機序~人知を超えた力は、通常では引き出せない大脳皮質より深いところに起因する“心”の働きによる。
 大要、そんなことが書かれていましたが、僕は、脳幹などをどう稼働させるか、そこがホシ何だろうと思いました。
 これって、日本の上古代民族、「カタカムナ」の人たちの直観として物理したことなかな?

 今の医療は、その“心”の働きを認めて積極的に使おうとしていませんね。
 一方、最先端物理学の世界では、意識世界と現象世界との深い関係が証明されつつあり、多くの科学分野はそこに踏み込みつつあるようです。ふ~ん!?
 上古代、カタカムナの人々がのこした僭象物理、何やらとても面白そうです。
 

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