おはようさん。健康な大陽さん、おはようさん。健康な朝の大空さん、おはようさん。僕はいつものように目が覚めました。無事平穏の呼吸をしています。有り難いことです。明日は僕の誕生日。守られて支えられて、パワーを与えられて、導かれて72年間を生きて来ることができました。有り難いことです。そのすべての加護、加護者、加護者の意思にお礼を述べます。あり得なかったことがあり得ています。僕は今日を元気でいます。お祝い会の予定はありませんが、天の祝福、地の祝福、時の祝福を感じます。十分です。木瓜の花が庭先に真っ赤に咲いて、そこのあたりのことを雄弁に語りかけて来ています。
トイレ通いが頻繁だ。寝たかと思うともう起きれと催促がかかる。困ったもんだ。昼間は、しかし、案外と遠い。忘れていられる。夜中だ。夜中になると逆転する。年のせいかもしれない。我慢をするしかないのか。泌尿器科に診察をしてもらって薬を処方してもらえば、改善が期待できるのかもしれない。しかし、医者嫌い。なるだけなるだけ避けて通りたい。そうか。オムツという策があったか。これだとトイレ通いが減るだろう。減るだろうが、濡れて気持ちが悪いだろう。匂いもするだろう。これはだから、最後の最後の手段にとっておこう。こんな悩みに捕まってしまうようになってしまった。それでもなお生きていたいか? クエスチョンだなあ。老人はこの疑問と対峙しなければならない。生きていればそれだけの間、長く長く。深まればその分、人間の味わいも深まるのだろうか。ともかく若い頃にはなかった苦悩に直面させられている。