<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

さあ、いっしょに歩き出しましょう!

2022年05月19日 14時23分11秒 | Weblog

スマホで書いていたので、さっきのブログには誤字がありました。パソコンで次を続けます。

(前回のブログから続きます)

仏陀は、いっしょに涙を流して泣かれただろうと思います、きっと。悲しむ者苦しむ者といっしょになって泣かれただろうと思います。

災難に遭って立ち上がれなくなっている者、病む者、不幸に泣いている者に向かってもやはり、自業自得、因果応報の法則を説いてみせられたのだろうか。そうだとしたら、彼らは聞く耳を持っていただろうか。「何事も道理だから、だから諦めよ、だからここを耐えよ」と説かれたのだろうか。

幸福の絶頂に居る者に向かって、「因果の法則によってあなたは幸福を得ています。安心しなさい」と説かれたとしても、それは受け入れが可能だ。だが、不幸を味わって苦しんでいる者に、この道理はむごすぎる、冷たすぎる。いかにも人情が薄い。

仏陀はただそこで涙を流して泣かれただろうと思います。いっしょに泣いて泣いて、涙が乾いたころに、「さあ歩きましょう」「いっしょに歩きましょう」「苦しみや悲しみのないところに向かって歩き出しましょう」「わたしがあなたを守ります」「これからあなたに仏陀の悟りとブッダの智慧をお授けしましょう」と言って、まず手を取って抱き起こされただろうと思います。

・・・これはわたしの勝手な想像です。

仏道では、道理と智慧と涙とお慈悲がセットになっているはずです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪いのはあんたのせいよ。

2022年05月19日 13時57分03秒 | Weblog

善因善果、悪因悪果。自業自得。

 

善い原因があって、善い結果が出る。悪い原因を行為した者は悪い結果に泣くことになる。種を蒔いた者がそれを刈り取ることになる。これは因果の法則、因果応報の道理である。

 

幸福の種を蒔いた者が幸福を収穫することができる。不幸の種を蒔いた者は、不幸の結果を招くことになる。

この説が合点できないでいます。

幸福にいる者に、あなたが幸福の種を蒔いたからです、とは言えるが、不幸に苦しんでいる者に、それはあんたのせいよ、あなたに原因があります、とは言えない。そんなことを言ってあげても、救いにはならない。助けにはならない。悲しませるだけである。

仏陀はとう説かれたであろうか?

悲しむ者、苦しむ者、涙を流す者、病む者、貧しい者、不幸を背負いこんでいり者に、どんな救いの言葉を差しのべられたのだろうか。

あんたのせいよ、とは言われなかったはずである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俗称「高齢者大学の講義を聴きに行く」

2022年05月19日 12時11分36秒 | Weblog

「禅定」の反対語は「散乱」だったのか。なるほど。

 

 

六波羅蜜の「布施」の反対語は「慳貪」。これもなるほどと思った。「智慧」の反対語は? 「愚痴」だった。「精進」の反対語は? 「懈怠」だった。

 

あとの2波羅蜜、「持戒」と「忍辱」の反対語は? 忘れてしまった。メモをしておけば良かった。

 

 

10時から11時まで市民ホールに我が町の俗称高齢者大学を聞きに行った。講師は40歳代前半の若い男性だった。頷くものがあった。聞きに行ってよかった。でも左耳から右耳につうーと通り抜けてしまった。メモを怠ったからだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする