スマホで書いていたので、さっきのブログには誤字がありました。パソコンで次を続けます。
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(前回のブログから続きます)
仏陀は、いっしょに涙を流して泣かれただろうと思います、きっと。悲しむ者苦しむ者といっしょになって泣かれただろうと思います。
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災難に遭って立ち上がれなくなっている者、病む者、不幸に泣いている者に向かってもやはり、自業自得、因果応報の法則を説いてみせられたのだろうか。そうだとしたら、彼らは聞く耳を持っていただろうか。「何事も道理だから、だから諦めよ、だからここを耐えよ」と説かれたのだろうか。
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幸福の絶頂に居る者に向かって、「因果の法則によってあなたは幸福を得ています。安心しなさい」と説かれたとしても、それは受け入れが可能だ。だが、不幸を味わって苦しんでいる者に、この道理はむごすぎる、冷たすぎる。いかにも人情が薄い。
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仏陀はただそこで涙を流して泣かれただろうと思います。いっしょに泣いて泣いて、涙が乾いたころに、「さあ歩きましょう」「いっしょに歩きましょう」「苦しみや悲しみのないところに向かって歩き出しましょう」「わたしがあなたを守ります」「これからあなたに仏陀の悟りとブッダの智慧をお授けしましょう」と言って、まず手を取って抱き起こされただろうと思います。
・・・これはわたしの勝手な想像です。
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仏道では、道理と智慧と涙とお慈悲がセットになっているはずです。