今日、近くの郵便局に行ったら、入り口の西側の、高いところに、ツバメガ巣を作ってた。せわしなく飛び交っていた。
ツバメは、人が出入りするところに巣を作る。そこには烏や蛇などの天敵が、近寄らないからだろう。
里山の郵便局は賑やかだった。僕は嬉しくなった。
今日、近くの郵便局に行ったら、入り口の西側の、高いところに、ツバメガ巣を作ってた。せわしなく飛び交っていた。
ツバメは、人が出入りするところに巣を作る。そこには烏や蛇などの天敵が、近寄らないからだろう。
里山の郵便局は賑やかだった。僕は嬉しくなった。
小雨降る中、畑に出た。落花生の苗12株を、移植した。種から蒔いて育てていた。もうポットの下の丸い小さな穴からは根毛が飛び出していた。
深く掘って鶏糞を敷き詰めた。そこに植え込んだ。株の周囲に、有機石灰と化学肥料をを撒いた。水遣りはしないで済んだ。
小雨だったが、長いこと畑に出ていたので、シャツもズボンもしっとりと濡れてしまった。さすがに、ひんやりした。6時半で終了。
上がって来て、すぐに着替えた。杖を突いて、椅子に座ってする作業だから、たいした仕事量ではないのに、なんだか働いたという感じがして、小心者は満足感を覚えている。
霧雨が降っている。大地はこれくらいでは潤わない。
家の中にじっとしてばかりもなんだか気が塞いでしまう。
外に出た。杖を突きながら、家の周辺をしばらくぶらぶらと歩いて回った。
大輪の芍薬が庭の此処其処に咲き誇っている。その一年に一度の晴れ舞台を見て上げないと、泣いてしまいそう。
「きみは美しいなあ」「僕はきみを見たよ」の声かけをしてあげる。
☆
杖が手放せない。捻挫の足に加えて腰痛が起こっている。よちよちよろよろする。
いかにもいかにもお爺さんである。でも、それも仕方のないことだ。長く生かされた果てなのだから。
こんなよぼよぼお爺さんに見られても、芍薬お嬢は、嬉しがらないかも知れないなあ。
「何処にいますか?」
「弟よ、あなたはいま何処にいますか?」兄であるわたしはちょくちょくこの質問をします。もちろん答は返ってきません。弟は早くに死んでしまいましたから。生きているときには幾度も幾度も、弟の「おおい」「おおい」の元気な大声が玄関を開けて入って来ました。わたしたちは4歳違いです。彼は来るときにはよく饅頭を買って来ました。それを頬張りながら、「人は何処から来て何処へ行くのか」などの答えの出ないお喋りに興じました。彼は若くして大病を患いました。それから長く入退院を繰り返しました。ついには仕事もままならなくなりました。彼の才能を評価していましたが、それを発揮できずに終わりました。いかにも残念だっただろうと思います。枕辺に来て最期を看取りました。弟は、物質である肉体を離れましたから、或いはもう<何処にも行かなくていい>ようになっているのかもしれません。外出をするときには今でも、「一人は寂しいよ、ついて来いよ」などと声を掛けます。いずれ私もこの地上を去ります。再会の時に、案外、「兄さんとずっとずっといたじゃないか」と涙声で言われたりするかも知れない。
☆
今朝のS新聞に掲載されていました。4月16日に投稿していました。若干、修正が施されていましたが。
おや、曇って来た。灰色雲が灰色煙を広げている。もしかしたら、雨になるのかな?
畑の土のためにはそれがいい。降ってくれるのがいい。潤う。
降り出したら、畑に出ていけなくなる。それが辛い。
なにせ、老人にとっては、畑が恋人。この恋人は老人にいつ何時でも親しく寄り添ってくれる。
やさしいのだ。こんなにやさしい愛情を示してくれる対象物なんて、そうそう見つからないのだ。