わたしの書くブログの文章は材料費ゼロです。いいなあと思います。お金が掛かるんだったら、たぶん貧乏人のお爺さんには書けません。有り難いなあと思います。書き続けていけます。
所場代も取られません。GOO blogさんに感謝します。
文章は言葉です。言葉って人間の愛そのものだなあと思います。これは人間の、人間による、人間のための愛です。しかも、いくらでも自由に使っていいようにしてあります。しかもしかも、そこにあたたかい血、あたたかい智が流れています。
わたしの書くブログの文章は材料費ゼロです。いいなあと思います。お金が掛かるんだったら、たぶん貧乏人のお爺さんには書けません。有り難いなあと思います。書き続けていけます。
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文章は言葉です。言葉って人間の愛そのものだなあと思います。これは人間の、人間による、人間のための愛です。しかも、いくらでも自由に使っていいようにしてあります。しかもしかも、そこにあたたかい血、あたたかい智が流れています。
白き皿に絵の具を溶けば春浅し
夏目漱石
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春が浅い。ちょうどその頃から徐々に徐々に春が深まって来る。春が来るぞというよろこびが、思い入れのスコップの先に深まって行く。
まだお皿には絵の具がついていないので、白いまんまだが、これから春が絵の具を落として来る。我が人生の絵皿は、此処へ来ていっきに美しい春の色に染まっていくだろう。
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絵の具を水に溶いているのは誰だ? 空を仰いでそれを知りたくなって来る。みるみる絵の具の色の数が、増えていく。
黙っていていいだろう、たぶん。いいように、いいように動いて行くだろう、すべて。願った通りになるだろう。願った以上になるかもしれないぞ。
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そんなこと、ありそうにないと心配する向きもあるけれど、大丈夫。うまく行くだろう。もう一度言い聞かせる。「大丈夫、いまくいくだろう」
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僕は、僕のニコニコ顔を用意しておこう。いつそれが実現の運びになるのかははっきしていないけれど。いいじゃないか、早晩そうなるんだから。
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さっきよい結果のよい種蒔きをした。現在はいつも原因になっている。よい種はよい発芽をするだろう。よい根を大地に張るだろう。茎が伸びて来てやがて花が咲くだろう。
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ふふ、暢気(のんき)な父さん髭三本だ。悪い想定するよりは、しかし、こっちの方がうんといい。太平楽を言っている方がいい、健康にもいい。
いやあ、風が出て来たぞ。花粉が飛び散っているだろうな。もう目尻が痒い。鼻が反応してクシャミになる。何度もクシャンクシャンしている。これじゃ、外に出ていけない。外に出たら「もっと強く花粉症になりたいです」って請求しているようなものだ。家内が白内障手術の後に買ったゴーグル眼鏡を貸してくれた。マスクを2枚重ねてつけたら、外に出て仕事が出来るかも知れない。花粉症がひどくなれば、お爺さんの鼻からは鼻水が止まらなくなる。
今日のショートショート「お化けお化け氏は」
薬王華蔵
お化けじゃないって言っても言っても、恐がられてしまって、近くに寄っていけない。人間が大好きで人間を抱いてみたいんだけど、とてもとても。いちど、思い切って思い切って、そう言ってみたけど、その人間は「とんでもない」「あなたなんかに抱かれたら身の毛がよだってしまいます」と拒否されてしまった。無理もない。お化けお化けしているんだから、無理もない。雪男ほどに巨大ではありませんが、どこからどう見たって愛嬌がありません。肌の色も白くはありません。斑(まだら)模様がはいっています。でも、ほんとうは外面だけでは知れないのです。準お化け氏は、愛情を持っているのです。愛情というのが大袈裟ならば、もう少し表現を小さくします。好意を持っているのです。親しくなりたいのです。もっといえば仲間にいれてもらいたいのです。人間たちがするようにハグをしてみたいのです。ハグが愛情の表現の最高の実践方法であれば、そうしたいのです。
でも、準お化けの「お化けお化け氏」はいつもいつも拒否にあいました。きょひをうけるたびに、いよいよ彼のお化け度合いは強くなっていきました。どうしようもないのです、ここまで来れば。それでもそれでも彼は、人間たちのやさしい愛情に近付いて行きたいという願いを捨てきれませんでした。
乾燥性湿疹(自己診断)が全身に広がってて痒い。痒い痒い。皮膚科に行って診察を受けて、薬をもらって来ればいいのに、それをしないでいる。面倒くさがっている。
しょっちゅうボリボリボリボリ搔いているので、掻いたところが真っ赤になっている。ワイフ殿のハンドクリームを借りて塗ることもあるが、効き目なし。いよいよ痒い。
ま、痒いくらいですめば、それでもいいか。そう思って我慢に及ぶ。
お爺さんがたくらむことって、たいしたことないんだよねえ。ほんとにたいしたことないんだよねえ。鼠の相談くらいなんだよねえ。
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畑の端っこの麦の穂をすぬいて、それで麦笛を作って、それをピーと鳴らしてにこりとするくらいなんだよねえ。世の中を動かすことじゃないんだよねえ。
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大きな顔なんかできないよ。しなくていいから、いいんだけど。いかにもいかにも小人物をして生きているようで、ふっとさみしくなるよ。
今日こそは種ジャガイモを畑に植え付けよう。お天気がいい。
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そうするには畑をまずは耕さねばならない。お爺さんは耕運機が動かせない。(小さな耕運機が我が家にもある)
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だから、手作業をするしかない。左足がマヒしているから、立ったままではできない。お風呂用の小さな椅子に座って、小さなスコップを握って、作業を進める。
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簡単にはいかない。時間がたくさんかかる。どうせ時間をももて余しているんだから、いいんだけど。
耕して畝を作るだけで1日、2日かかってしまう。
友人のY君は金になることをしている。その話をしてくれる。よくしてくれる。儲けているらしい。力仕事ができる。楽しそうだ。生き甲斐というものもあるらしい。よって、年も取らずに、生き生きしている。
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霞を食って生きている者もいる。霞だって食べられるのだ。これを食べることができる者もまた、特殊技術技能取得者でなければならない。霞もおいしいのだ。霞もエネルギーになるのだ。
そぎゃんことしたって、1銭がってんならん。(そんなことをしても1銭の得にもならぬ)
お婆さまによくそう言われた。
その通り、その通りだ。
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わたしは1銭の得にもならないことを長年長年(10数年)書いてきている。ブログを書いてきている。
1銭の得にもならない、わが身にも、そして読んでくださる読者にも。
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たしかにお金(かね)になったことはない、ただの一度も。
ということは?
幼児のままごと遊びにすぎぬ、ということだろう。
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もっと得になることをしたらどうだ? とときおり思う。無駄なことばっかりしているように思う。無駄に時間を浪費しているばかりのように思う。思うと悲しくなる。
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お婆様なら、そぎゃんことせんで、はよう畑に出て草むしりどんしろ。と怒りつけそうだ。