<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

それらしくしているが、それも間違っている。

2024年03月26日 10時40分24秒 | Weblog

非実非虚 非如非異 不如三界 見於三界

法華経 如来寿量品第十六より

実に非ず 虚に非ず 如に非ず 異に非ず 三界の 三界を見るが如くならず

 

此処に生きているがその実態がない。実態がないが、実態がないで終わりでもない。掴みきれない。それらしくしているが、そのようでもない。迷いに迷う。

如来は、三界に住んでいるわたしをご覧になっている。その迷いのすがたのわたしの、迷った見方を断ち切って下さっている。

これはわたしの一解釈です。真実をついていませんが、いまのわたしには、そんなふうに受け取れます。

外は風が強い。春の嵐。

 

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わたしの手は冷たい。

2024年03月26日 10時24分46秒 | Weblog

寒い。にんげんをしているのが、寒くなる。どうしてだ? どうしてこんなことになるんだ? 

霧の中を彷徨って彷徨って、際限のない深いとこころに落ちていく。

自分を支えきれなくなる。誰かにつかまっていたくなる。やさしいこころにつかまっていたくなる。そんな安易があるはずもない。

そんな寒いにんげんを、誰もつかまえていたくはないだろう。わたしの手は冷たい。冷たい氷になっている。ほろほろと泣く力もない。

ふっと寒くなる。にんげんをしていることが、寒くなる。訳もなくふっとふっと。どうしていいかわからなくなる。原始の昔の原始人になって、火を熾すしかない。

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此処にはもういないのだけど。

2024年03月26日 10時11分12秒 | Weblog

おっとうと声を掛ける。おっとうに。

此処にはもういないのだけど、いるようにして、声を掛ける。

すると、おっとうも、わたしを呼んでいるような気になる。

 

おっかあにおっかあと声を掛ける。おっかあももう此処にはいないのだけど、それでも。いるような気がして、おっかあと声を掛ける。

すると、おっかあも、わたしを呼んでいてくれそうな気がする。

 

何十年経ってても、こうだ。今日おれは79歳になった。朝起きて直ぐに仏壇の前に座った。おっとうとおっかあの名を呼んだ。

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不平の波が砂浜に打ち寄せる。砕け散る。

2024年03月26日 10時00分48秒 | Weblog

わたしが間違っている。わたしが不平を持つときがある。ときどきある。周期的にある。不平の波が砂浜に打ち寄せる。それに濡れる。

でも、わたしが間違っている。不平を持つときに、それに気付く。不平を抱いてはならないということはないと思うが、それに縛られてしまうのはよくないことなのだ。束縛を受ける前に、わたしの間違いを考えて、呪縛を解く。

間違いの原因はわたしにある。わたしが間違っているから、間違ったところに漂着してしまうのだ。不平の浜辺に乗り上げてしまうのだ。

3月26日、火曜日。午前10時10分。風が強い。雨は降ったり止んだりしている。風の音が高い。ゴーゴーと鳴っている。高く伸びた菜の花が一斉に地に平(ひれ)伏している。

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