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うふうふうふ。畑の九条葱がすんすんと伸びている。もう40~50cmほどにもなっている。土寄せも3度した。白い根はこんもりとした土の下で見えない。割と長い一列だ。
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うふうふうふ。畑の九条葱がすんすんと伸びている。もう40~50cmほどにもなっている。土寄せも3度した。白い根はこんもりとした土の下で見えない。割と長い一列だ。
14
うっとりとしていればいいのである。ものごとの判断判定をする己の感覚に毒されてはいけない。己の生き様のよしあしに目を剥くよりも、そこに現れて来た花鳥風月をめでていればいいのである。
13
嗅覚が麻痺をするように、人生を嗅ぐ感覚が麻痺をしてしまえば、そこに判断や判定はない。判断が度外視されれば、つまりはどっちにだっていいのである。
12
秋日。薄い山霧が山々をうねって浮かんでいる。庭には石蕗がしっかりと蕾んでいる。それが赤ん坊の拳にも見える。開けば明日にも匂うだろう。強烈に匂うだろう。わたしの嗅覚は麻痺をするだろう。
11
浅瀬にはメダカが遊ぶ。すいすい遊ぶ。ここは水が澄んでいる。深い海には深海魚が棲む。大型である。日が射して来ないから、暗い。目が退化していて、彼らは暗さに耐えられる。
10
己の尺度が役に立たないということもある。己を見渡して不平を覚えることがあるのなら、己の範囲を拡大したらいい。他者を迎え入れたらいい。ソサイエテイして見ればいい。
9
深いところがよければ、深いとしてもいい。濃いものがよさそうだったら、己の人生をそのように判じてみればいい。高いのが好きなら、瞑想をして山岳に立てばいい。
8
ふっと考えてしまう。しきりに百舌鳥の鳴く秋日にいながら、ふっと考えてしまう。浅い深い、薄い濃い、低い高いはあるか。どう見てもいい。いいように見たらいい。
7
もうすぐわたしの川は尽きる。そろそろ河口が近いことを知る。河口は海に受け継がれる。淡水は海潮となる。いいではないか。今度は海へ入って周遊することになる。
6
わたしは、では、楽しんでいるか。この疑問に戻って来る。焦(じ)れていないか。急いでいないか。ゆっくりしていられないような焦燥感に苛まれて居るのではないか。