秋葉原の「交通博物館」が閉館する前に旧万世橋駅遺構を期間限定で公開されたときに行きました。
このブログにも書きましたっけ?と記憶を辿ると・・・去年の 入口はsuica/pasmo対応の自動改札機なので、チケットを買わなくても手持ちのsuicaで入場できます。
タッチすると自動的に大人料金の1,000円が差し引かれてしまいますが、割引は窓口で提示し、カードと引き換えるようになっていました。
(小中高 500円、幼児200円、手帳割引は800円)
改札を抜けると、そこにレストランの「日本食堂」。
「日本食堂」の名前を聞いただけでピンと来た方は、私と同じくらいかそれ以上の方なんでしょう。
今は東京~博多間5時間で移動できるようになってからはゆっくり食事ができる「食堂車」が連結されなくなりました。
食堂車が経営していた頃は「日本食堂」が担当されていたような気がします。
新幹線だけではなく、大きな駅の中に必ずあったほどのレストランですが、最近はあまり見かけなくなりました。
ここのレストランはたぶん、昭和の味がするだろうと思います。
今日は月曜日だというのに、一眼レフのカメラを構えたマニア風、親子連れ、小中学生・・・で大行列でした。
おいおい、会社や学校はー??
大行列で食べられないかもと事前に昼食を済ませてあるのですが、今度は空いていたら昭和の味を確かめようと思います。 昔の駅名票は左から読むのではなく、右からだったのですね。
東京を右から「とうきやう」と表示するとか世代を感じさせる駅名票。
昔は東京発下關行きの特別急行が何本か設定されていたみたい。
マイテ39 11 (昭和24年製造)
上のホームに接してある展示車両は「富士」号の1等展望車。
1等は今の「グリーン」相当、2等は普通客車、3等は2等よりは劣る車両というふうに連結されていたみたいです。 オハ31 26 (昭和2年製造)
おお、懐かしい。
山陰本線のボロ客車もこんな雰囲気だったような。(覚えているのは「オハ35」なので、この車両はさらに古い) 同じく車内に貼られていた、昭和9(1935)年の鉄道省路線図。
昔は今みたいに分社化されていないので、東京から下関までの路線図が見られたそうです。
長門二見の文字が「見二門長」になっていますね。
昔はそんなに鉄路を敷こうと計画があったのか、開通予定区間の点線がたくさん見られました。 これも前方に張られていた、関東の路線図。
昭和9年にはボロ房線(内房線や外房線)全線開通しているのは全然知らなかった。
青梅線はまだ未開通ですね。 こんな椅子に座って通学していた頃を思い出します。
SLが最期まで残っていたのは山陰線。
ディーゼル機関車になっても客車はSL時代から引き継がれたもので、1984(昭和59)年あたりまではこんなボロ客車でした。
「ボロ」と何度か繰り返し言っていますが、この車両がここに来る前までは青森県の津軽鉄道・五所川原駅構内で何十年間も野ざらしで放置、想像を絶するほどのボロボローでしたよ。
大型トレーラーに積んではるばる青森からここにやってきて、大宮工場が昭和16年当時に使われたものと同じようにリストアしたそうです。
ほかの古いボロ車両ばかり紹介しても飽きないのかな?反響がよければ、続きを書こうかと思っています。