背番号(正確に言うと、日本図書十進分類法)210.6の棚にあったのを見つけました。
「210」は日本史に属するもので、小数点以下「6」は 近代の明治時代(1868年~)。
手にとってみると、明治31年(1898年)に制定された、「要塞地帯法」とは帝都東京をはじめ主要都市および軍港などの軍事施設を敵国の侵略を防護する目的で敷設されたものだが、終戦(1945年)まで軍国主義を突き進む中でほぼ日本全国を要塞化する様相を晒しているため、北海道の最果てから沖縄まで収録されていました。
・激戦と前線基地の島 硫黄島・父島・母島 のところが最も興味があったので、借りてみました。
小笠原諸島のなかで一般人の行ける場所は父島と母島のみ。
父島のなかでも戦跡がたくさんあり、現地のガイドさん同行でなければ跡地を見つけにくい。
本書にも載っていましたが、
2005年7月、母島の北港に向かう途中見つけた「探照灯」。
母島は父島に比べると平穏な島なので、ほかにあるはずがないと今まで思っていたのに、意外と知られざる場所にもたくさんありました。
ガイド同伴の戦跡ツアーに参加したときに見つけたもの。(父島)
ビールの刻印に注目。
「DAINIPPON」の文字が見えます。
「大日本」は終戦までなので、このビール瓶は戦前のものになっていまます。
回収せず、そのままになっているのは戦時中の動かず資料になっているからでしょう。
今、ふと思い出しましたが「大日本」の領土は、今のサハリン、朝鮮半島、満州、台湾、小笠原諸島のはるか南のグアム、サイパンまでも含まれていた。
朝鮮半島も日本が「大」日本に倣い、大韓帝国と名乗っていたが、1910年(明治43)年日韓併合条約により、消滅。
終戦後、皇帝がいなくなったので大韓「民」国になり、現在に至っているそうです。
アメリカ軍が航空基地として硫黄島を占領しようとしたため、最前線を守ろうと2万人の日本軍を送り込み、激しい戦闘が行われた島として映画「硫黄島からの手紙」で有名です。
硫黄島で戦死した旧日本軍遺族の要望により、2007年2月27日、日本の航空会社で初めてJAL機が硫黄島に着陸。
擂鉢山をバックにJALのロゴマークがついている風景はとてもインパクトでした。
(羽田空港のコードは「HND」、硫黄島飛行場でもちゃんと「IWO」が割り当てられている)
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要塞列島―日本への遺言 価格:¥ 3,360(税込) 発売日:2008-06 |