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(上のマップにマウスを近づけ、真ん中のホイールを上下させると、尺度変更ができます) ここに帰ったのは、4年ぶり。
平成の大合併が進み、2005(平成17)年から下関市になりました。
旧豊浦郡の「豊」と下関の「関」を組み合わせ、「豊関(ほうかん)市」になるかなと思いましたが、日本最初の市制施行(1889(明治22)年)で下関市が選ばれたので、伝統の市名を変えずそのまま引き継いだと思われます。
交差点の名称を示すプレートが下関市に変わってから取り付けたみたいです。
なんと「新二見」交差点と名付けられていました。
地名の上に「新」をつけるのは、新しい街をイメージするのですが、ここは何もない田舎。 長い歳月をかけ、やっと開通した「二見トンネル」。
実家の前がトンネルの入口で出口は海。
毎年夏になると素潜りを非常に楽しみにしていたドックおじさん(父)も開通を心待ちしていましたが、それを利用できたのはわずかワンシーズン。
転居の朝、ドックおじさんはずっと目をつむりながら「海への高速道路」を抜け、遠い異国の地へ・・・。
まるで胸が張り裂けそうになる、韓国ドラマ「秋の童話」のワンシーンみたいに。
でも、これが最後ではなく、あれ以来からちょくちょく帰っています。
霊園に出かけるのに踏切のない線路をまたいで往来していたため、トンネル開通に伴い、線路の下に通路を整備。
ここは猛烈に風が強く、立っていられないほどの寒さでした。
長らく帰っていなかったので、新しい発見の連続でした。
こんな何もない田舎に住んでいられるか!と東京に来てしまいましたが、今は千葉の田舎暮らしに逆戻りです(笑)
最もあこがれているのは、伊豆諸島最南端の青ヶ島かな。小笠原も常夏なので、それもいいかも・・・。