「東京都の歴史散歩(下)多摩・島嶼」
2005年8月15日発刊
編者:東京都歴史教育研究会
出版社:山川出版社
定価:1200円+税金
ISBN:4-634-24813-1
この本を見て、真っ先に開いたページは・・・・やはり青ヶ島。 「星のきらめく絶海の孤島青ヶ島」
そのとたん、頭ン中でイメージしたのは、小笠原・母島のヘリポートで見た無数の星たち。
去年2009年は天候不調のため、ヘリポートで横になることはできなかったのですが、2005年の感動はいまだに忘れられない。
夜になっても昼間、サンサン照らした熱がまだ残っている母島のヘリポート。
横になると、ポカポカ暖かい。
すると、手に届きそうな無数の星が広がり、しかも360度のパノラマ天文。
青ヶ島のヘリポートも似たような星の景観が見られるらしい。
青ヶ島の歴史は・・・還住を果たした佐々木次郎太夫なくしては語れないです。
天明の噴火(1785年)で今の丸山が出来たのですが、島民203名は八丈島に避難、残された140名は残念ながら亡くなられました。
1785年からしばらく青ヶ島は無人島。
佐々木次郎太夫氏が現れていなかったら、現在も無人島になっていたかも知れない。
彼が青ヶ島の名主になり、指導のもとで全島民の還住を果たしたのは50年後の1835年(天保6年)。
八丈島~青ヶ島を結ぶ定期航路の「還住丸」はその名前から来ています。
前代は「あをがしま丸」という、村営の連絡船でした。
彼のおかげで今の「日本最後の秘境、青ヶ島村」があるわけです。
昭和30年代は青ヶ島上陸を果たせるのに3、4ヶ月もかかったのですが、今は天気がよければ羽田空港からおよそ2時間で降り立つこともできます。 今度は・・・檜原村。
「檜原の自然と史跡をめぐる」がテーマになっていました。
青ヶ島は「そうだ、青ヶ島に行こう」と思い立った日に行くのは非常に難しい。
こちらは陸続きの東京都内なので、都心から車で2時間、千葉からでも3時間でたどり着けます。
かのと岩から沢沿いのかなりのぼったところに小林家住宅があるとのこと。建物は江戸中期の建築(推定)。
小林家住宅に行ってみたいですけど~?と村役場の窓口に訪ねると、檜原村の地図を広げ、「ここです」と指をさしてくれました。
えーっ、こんな場所にあるんですか!?とただ驚くだけで実践せず。(笑)
場所はここ。たどり着くのに難儀です。勇気や時間がたっぷりのある方にお勧めします。
檜原村藤原4994番地
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SONY社のカーナビ「NV-U75」で檜原村藤原4994番地を検索すると、ちゃんと表示が出ました。
間違いなく、正確に目的地までたどり着けそうです。都道205号線から外れたルートにピンク色に変わっているので、もしかしたら、車両進入禁止の遊歩道になっているかも知れません。