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4月30日読売新聞夕刊に「青ヶ島」

2011-05-01 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

20110501094  夕刊トップページの片隅に載っている「よみうり寸評」はほとんど読まないのに、今日はなぜか「青ヶ島」の文字を見つけてしまいました。
 常に情報収集のアンテナを張っているので、「青ヶ島」を検出してしまったかも知れません。
 



Aogashima120  青ヶ島のモーゼとは、このお方です。
 小中学校前の道を少し上がったところの保育園側にあります。
 青ヶ島最大の天災は1785(天明5)年の大噴火。
 新聞記事に書かれていませんでしたが、当時の島民は334名。
 中央部の丸山が噴火してしまったので、避難口は北部の神子の浦でした。
 断崖絶壁なので、急こう配の険しい斜面を下りて海岸に出たそうです。
 202名は船でお隣の八丈島へ避難することができましたが、残された132名は残念ながらお亡くなりになりました。「天明の別れ」とも言われています。
 
 名主佐々木次郎太夫氏の尽力により、ほぼ半世紀後の1824年には全員帰島が達成。
 
 3月11日の東日本大震災と原発事故により、今でも13万人の方々が避難生活を送っています。
 大噴火により、半世紀も無人島だったというのに無事還住を果たし、今の青ヶ島があります。
 これと同じように、津波が来ても完全防衛できるように高台に移したり、原発も早く収束に向かい、一刻も早く被災地市町村の「還住」が叶えるようにお祈りしています。

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