今年(2011)年はまだ5月だというのに、台風2号発生。その前の台風1号も5月11日に沖縄本島上陸していました。
去年は1号から3号まで台湾やフィリピン付近で発生し、4号は3年ぶりの青ヶ島に着いた日(8月9日)に沖縄近海で発生したことを知る。
8月9日の午前中はすかっと晴れていて、さわやかな夏日だったというのに、青ヶ島に着いた日の午後から次第に空模様が怪しくなり、雨が降ったり・・・。
毎年8月10日は最大イベントの牛祭りが開かれるので、こんな天気で無事に催行できるか心配したくらいですが、翌日の10日は次第に天候回復。
しかし~台風の影響により、船が欠航続きになりました。
今年は5月中に2号も発生しているので、平年並みに発生するかどうか心配もありますが・・・。
今日(5月23日)、九州南部で平年より8日早い梅雨入りが発表されました。
関東地方は梅雨を思わせるような天気が続き、蒸し暑いな~と思ったら急に冷え込むようなパターンです。
さて、本題に戻ります。 朝日新聞の週刊誌「AERA」の5月2日&9日号を借りてみました。
2011年3月11日14時46分。走っていた海沿いの鉄道14本は何が起きたのか、リポートが載っています。
「筆談」で乗客と・・・というタイトルがあったので、よく読んでみると、三陸鉄道南リアス線14時8分盛(さかり)発釜石行き(15時3分到着予定)の1両編成のワンマンカーに耳の聞こえない男性の方も乗り合わせていたとのこと。
簡単に要約すると、下記のとおりになります。
乗客の多くは下校の高校生で14時38分、大半が三陸駅で下車。
14時43分、吉浜駅を出たころは車内の乗客は男性の2人だけになり、海を展望できるスポットのアナウンスし、鍬台トンネルに入って数分後揺れを感じた。
トンネルの壁にぶつかるくらいの大きな横揺れ。
運転士さんが「地震が来ました。指示があるまで待ってください」と2人の乗客に告げた。
若い方がメモ帳を取り出し、ペンを走らせた。「私は耳が聞こえないんです」。
ディーゼルなので、車内は停電にならなかったが、トンネルから1.4キロ進んだ地点では携帯電話もラジオも通じない。無線も途絶えた。
運転士さんはとりあえず安心してもらおうと、そのメモ帳で簡単な筆談をした。
「どこまで行くんですか?」
「釜石までです。今日中に行きたいですね」
運転室を離れ、もう1人の60代ぐらいかとおぼしい男性と筆談を交え、会話を続けた。
停車してから2時間・・・。
筆談で「まだ連絡は来ないんですか?」と不安そうに聞いてきた。
確かに何も指示が来ないのはおかしい、とにかくトンネルの外に出て様子を見ないと・・・と運転士さん1人で懐中電灯を片手に1.4キロ。
出口にたどり着くと、津波で沿岸はめくちゃくちゃになっていた。
急ぎ足で列車に戻り、乗客2人を出口まで誘導。
ろう者への情報伝達のために、出口までの距離としてキロポストに懐中電灯で照らし、出口までどのくらいの距離があるか示した。
この男性はメールで取材に応じてくれ、「運転士さんは大変信頼感がありました。トンネルを出た後は、ヒッチハイクをして私たちを乗せてくれる車を見つけてくれました」とのことです。
聞こえる人だったら、音声やラジオなどで瞬時に情報収集もできるのですが、ろう者はそれができません。周りの方々の理解が必要になっています。
三陸鉄道の運転士さんが非常時に最後まで筆談で対応してくださったのは本当にありがたい話です。
字がスラスラと書けなくて難儀すると思う方もたまにいらっしゃいますが、お互い歩み寄れば心が通じ合うようになるはずだと思います。 三陸鉄道だけではなく、海沿いのJR線も壊滅状態に・・・。
左上の写真は山陰本線で活躍中の国鉄色キハ40と同じタイプです。
調べてみると、車両まるごと女川駅構内の温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」の休憩室になっていました。キハ40 519。
3月下旬に小串から乗ったのは、広島~備後落合間の芸備線から転属したキハ40 2096でした。