ハン尚宮(母)が当分の間、帰郷。
山口だけではなく、終戦とともに大日本帝国の植民地だった韓国(当時は「朝鮮」)から引き揚げ、真っ先に帰郷した祖父の出身地、長崎観光も予定が入っています。
旅先案内人は、「灯台よ、ありがとう 日本一周バイクの旅」(2005年刊)の著者宇部在住の叔父さん(母の弟)。
本のタイトルは「日本一周」になっていますが、戦時中、何回も釜関フェリー(釜山~下関)で往来しているうちに海外に対する憧れもあって、世界のあちこち旅行した経験の持ち主。
「灯台よ、ありがとう」の本では1人で自由気ままに行き当たりばったり、宿も飛び入りでしたが、数人と一緒に行動するときは事前に旅館やホテルを予約し、旅のプランも立ててくれました。
私も1人旅は宿の予約もせず青ヶ島に着いて、「さあ、困った!」。韓国最北端の新炭里(シンタンリ)駅周辺の民宿に泊まるつもりが、就寝中に映画JSAみたいに深夜になると北の兵士が越境するではないかと妄想しすぎたのか怖くてソウルに引き返す行き当たりバッタリも経験しています。
友人や家族と一緒だと行き当たりバッタリではなく、きちんと丹念に調べて予約するのは私に似ているかも知れませんね(笑)
自宅からアクアラインの入口まで一般道路。最寄りの高速インターチェンジを使うと、わざわざ南下して、アクア連絡道を使うとなるとすごく遠回りになるし、高速料金も加算されるうえに走行距離も無駄になってしまう。
高速を使っても、一般道路でも要所時間は同じなので、空港に行くときはもっぱらアクアライン入口まで一般道路にしました。
宇部行きの搭乗口はなんと、380メートル離れた「69番」ゲート。
荷物を預ければ、ラクチンだけど、到着地空港の手荷物受取回転台で自分の荷物が来るまで待たなければならない。
機内に持ち込める荷物なら、機内に持ち込んだほうが時間も短縮できます。
「搭乗口まで見送りたいので、通行許可証をください」とカウンターに申し出ると、無料で通行許可証がもらえます。
手荷物検査を終え、69番ゲートまでテクテクテク歩き。
ハン尚宮(母)いわく、「大手航空会社のANAだというのに、こんなに遠くまで歩かされるんですね」と。
全国主要都市の千歳、福岡、那覇、関西・・・などは手荷物検査場を出てすぐだけど、山口宇部など地方ローカルだと端っこになってしまうのは仕方がない・・・。
69番ゲートに駐機中のエアバスA320。
座席数は150。
3月の帰省に乗ったJALの飛行機はE70、超ミニの76人乗り。
八丈島行きの飛行機(120人乗りの73P、150人のエアバスA320)より半分小さくしたようなものです。
E70の機体を見て、直観的に「おもちゃのようなかわいい飛行機が本当に宇部まで連れてくれるの!?」でした(笑)
到着地の天気は晴れ、24度。
もう初夏なんですね。
ここでも羽田空港の敷地内。
人造物だらけなので、こういう自然があると癒されます。 熟手(スクス)のドックおじさん(父)が用意した夕食。
スクスとは朝鮮王朝時代の男性調理師を意味する朝鮮語。
私も用意するつもりが、熟手の積極さに負けて任せることに。
メニューは
千葉県産のカツオをさばき、火をあぶって「カツオタタキ」、ハン尚宮(母)の作り置きした韓国製の春雨を使ったチャプチェ、韓国産の「ととろめかぶ」。
めかぶとは、ワカメの根っこ。私の生まれ育った故郷の対岸は韓国なので、山口のワカメとそんなに変わりはありません。美味しかったです。
真上が韓国なので、私が子供のころのテレビは釜山からの電波も入り交り、ハングル文字や韓国の放送も映るゴースト現象に悩まされていました(笑)
でも、今は地上デジタルなので、ゴーストも解消され、くっきりきれいに映せるようになっています。