信州あたりに行く前に郵便局をチェック。上高地に行く最後の郵便局は稲核(いねこき)。
長野の稲核と言われても、あまりピンと来ない。
新島旅の写真や動画を収録したDVDを友人に郵送するのに、「島」の消印でなきゃ・・・と思いついたのが、「島々郵便局」。
「島々」の文字を見るだけでも、飛び石伝いの伊豆諸島を連想してしまいそうです。
この近くに旧安曇村役場(今は松本市役所安曇支所)があったので、この周辺は旧安曇村の中心地であることがうかがえます。
あらかじめ変な切手ばかり貼付した郵便物を「風景印でお願いします」と依頼すると、あわてて奥から風景印を取り出し、日付の更埴。風景印を依頼したのは、本日で私が初めて。
山梨県の丹波山郵便局もそうだけど、夕方4時だというのにその日初めての日付更埴。
島々郵便局も丁寧に押印してくださいました。感謝。
今もまだまだ暑いので、7円金魚を起用。3円も今から58年前に発行された1954(昭和29)年のものを使いました。
ここは長野県、丹波山と同じく野鳥の宝庫。
今日も3円のホトトギスではありませんが、キジバトちゃまが遊びに来てくれました。
初顔のようなので、しょっちゅうよく逃げては、人間が見ていないのを見計らいトウモロコシや小麦を平らげてくれます。
「いじめないから、心置きなく食べてくれよ!」とテレパシーを送ったので、今後はどうなるだろう。
お父さんキジバトちゃまなら、よく懐いてくれるはずなのに最近はなかなか来てくれません。
キジバトちゃまはほとんど同じ姿をしているので、なかなか見分けが・・・。 1日取り集めが3回も!!
テプラでは「松本南郵便局」と貼られていました。(9月30日までは「松本南支店」)
本局からだとすごく遠くて不便なところなのに、わざわざ1日3回も取り集めに。
島々郵便局から青ヶ島宛のハガキはなんと翌々日!!
差し出した当日中は松本南支店で仕分け、新東京支店行きのトラックで搬送。翌朝(11日)6時、新東京支店到着。郵便番号自動読取装置により、羽田分室へ仕分け。その日のうちに八丈島へ空輸。ヘリで運ばれたハガキや手紙はその日のうちにお届けになる公算が大きい。
出発前にカーナビをいじっていたら、第1目的地の「新島々」までおよそ3時間30分後と出ていました。
9時頃出発すると、休憩時間も入れると昼過ぎの1時頃到着見込みかなと思い、クルマを走らせました。出発前に首都高速の渋滞情報をチェックしてみると赤いところもなく順調のはず、湾岸線の大井町付近で大渋滞。ラジオは聞こえない代わりに、電光広報の文字が頼りです。渋滞の原因は事故でした。渋滞から抜けると、今度は「警備のため、一部制限中」。VIPか、皇族か、国賓のどれかお偉い方が首都高速を使うらしい・・・。
環状線も断続的な渋滞が続き、代々木を出たあたりからずっと順調。
今回はしびれを切らずほどひどい渋滞ではなかったのは、ちょっと救いかな。
(しびれを切らすほどの渋滞とは、1キロ進むのに30分くらい。こんな状況だと、1番近い出口に差し掛かったら、降りてしまいます)
順調なら、諏訪湖SAでランチにするつもりだったのに、渋滞のため、山梨県の談合坂。
ずっと昔、給油すればするほど割引になる日本石油カードを持っていたため、山口へ帰るときはいつも決まって諏訪湖(長野県)と、帝釈峡(広島県)の2ヶ所。東京へ戻るときは多賀(滋賀県)。日本石油がENEOSに変わり、ANAカードで支払うとマイルが2倍になります。給油すればするほど、マイルがたまるので今も日本石油時代から長~いお付き合いです(笑)
当時八王子から中央道、諏訪湖あたりははおよそ150キロと記憶していたせいか、今回は180キロでした。
若かった頃の180キロは「近い」、今の感覚からにすれば「ちょっと遠い」かな。
岡谷JTCに差し掛かり、長野道へ。
カーナビがなかった昔、金沢あたりまで友人とドライブしたときのこと。行きは、関越道の藤岡JTCで上信越道に入り、上越経由で北陸道。帰りも同じルートにするつもりが、うっかり長野道に直進。あとで間違えたと気づいても逆戻りできず岡谷JTCで中央道。友人の住まいは関越道の終点付近なので、どばっちりを食らったことを思い出しました。(笑)責任を持ってちゃんと送り届けたので、まあそれでよしとしますか。
今はカーナビがあるので、間違いなく誘導してくれそうです。