8時からの「梅ちゃん先生」に間に合うように、朝食は7時半のちょっと前に食堂へ。
夕食時間と朝食時間は自由に選べる宿もありますが、ベルグハウスさんは夕食5時半からと6時から。朝食は7時半からになっていました。
テーブル席に着くと、ごはんの入ったおひつが運ばれ、今度は御味噌汁。
口頭で説明する代わりに、お品書きのメモも置かれていました。
きんぴらごぼう、つるむらさき和え物、酢の物、切り干し大根、黒豆、青紫蘇きのこの大根おろし、ニジマスの甘露煮、天然なめこの味噌汁、ごま豆腐、ピーマンのきんぴら、から味噌ごぼう。
朝食だというのに、いろんなお料理が食卓に広がっていました。たぶん、前日のうちに何品かを下ごしらえしておき、朝食時に盛り付けているかも知れません。前日は夕食作りもあるのに、平行しながら朝食づくりとは猫の手を借りたいほど忙しいに違いない。
すごくグルメの宿だというのに、女将さんは料理作りに両手を動かしたり、厨房のあちこち行ったりしているのか、すごくスマートな体型でした。帰り際に握手したのですが、いかにも料理人の手でした。
部屋もそうだけど、レストランのインテリアもすごく凝っています。
檜原村の山城さんは皇太子さまがお泊りになられ、乗鞍高原のベルグハウスさんも皇族がお泊りになられたことがあります。
それはスキーがご趣味だという、寛仁親王さま(大正天皇の四男のご子息)。
残念ながら今年(平成24)年6月6日薨逝(読みは「こうせい」)されています。
1回目は枠付きの色紙にサインし、2回目は名刺サイズでメッセージが添えられています。寛仁親王さまもリピータになるほど、「ベルグハウス」さんが好きだったに違いない。
お世話になりました~!!
上高地へのリベンジがありますので、この日がやってきましたら、またお邪魔しますね。
出勤前にテレビを見ていると、チュングクのパナソニック工場がパグェされたとのこと。
パナソニックがまだ「ナショナル」だった頃の昭和53(1978)年当時、チュングクの副首相だったトウショウヘイ氏が大阪府のテレビ工場を訪れた際、出迎えた創始者の松下幸之助氏に「チュングクの近代化を手伝ってくれませんか」とお願いしました。松下氏は「できる限りのお手伝いをします」と返し、翌年には北京に駐在員事務所を開設。昭和62年にはブラウン管製造の合弁会社を北京に設立し、日本企業では戦後初めてチュングクに工場進出。30年後の平成20(2008)年。来日した国家主席がパナソニック本社を訪れ、「チュングクの発展に尽くしていだたき、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べたという、映像が放映されていました。チュングクからお願いされて建立した工場パグェ。なんと、チュングクサラムはイルボンの恩恵を全く考えていない。
この切手を貼られた郵便物を受け取り、真っ先に思い付いたのはキジバトちゃま。
「実りの秋なので、いろんな食べ物のバリエーションを楽しみたい」と思っているのか、可愛がっているキジバトちゃまは最近来なくなってしまいました。
ちょっとさびしいですけど、冬の間はほぼ毎日来てくれるので、我が家のことは忘れないでいるだろう。
切手のドナルドダックちゃまは口が開いていて、奥の舌が見えます。
キジバトちゃまが美味しそうについばんでいるのをじっと観察したことはあります。
なんと、歯がありません。舌がちらっと見えるだけで、小麦やトウモロコシ、山の実などをそのまま丸呑みし、硬いくちばしで噛み砕き。
ドナルドダックちゃまはアヒルをモチーフにしていますが、キジバトちゃまも同じ鳥類。
鳥さんは歯の代わりにくちばしで噛み砕いていますかね??
板橋北支店 平成24年9月13日 自動押印機で午前8-12時消印、14日配達。