東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

硫黄島からの手紙

2006-12-18 23:25:44 | 日記・エッセイ・コラム

 ホテルでの朝食後、お開きになった。
 せっかく千葉まで来ているので、硫黄島が舞台になっている「父親たちの星条旗」を見たくて映画館に行ったが、上映スケジュールは1日に1本だけ、しかも夜の7時半からになっていた。
 「硫黄島からの手紙」は朝から4本上映していた。
 「父親たちの星条旗」はアメリカから見た、硫黄島なので、アメリカ人が主役。
 音声は英語なので、もちろん100%は字幕が付く。
 「硫黄島からの手紙」は日本から見た、硫黄島。日本人が主役なので、音声日本語に字幕も付くのだろうかと思ったら・・・・残念、字幕がありません。
 
 冒頭の部分では戦争遺品収集の場面。
 日本人の作業員が何かの発言をしたときに字幕がなくて、あちゃ、こんな作品を見に行かなくてよかった。
 字幕のない映画だと、「音無し映画」と等しく、出演者の身振りや表情から想像するしかなく、見る楽しさも半減。
 途中からうたた寝の居眠り、突然、けたたましい爆撃の音が体じゅう響きわたり、びっくりしてしまいました。

Iwo  映画の中の摺鉢山。
 本当に硫黄島での撮影が行われたのか、まるで本物のようです。
 主役は栗林忠道守備隊総司令官。
 戦前、アメリカやカナダに駐在した経験があり、アメリカの武力を知り尽くしている彼は日本兵によくありがちな万歳突撃~!!(つまり、「お國天皇のために死にます」とかの自滅的な突撃)などの無謀な玉砕をするのは禁止、200名の兵士を隠密に敵陣に近づくなどの作戦をしていたといわれる。(残念ながら栗林忠道司令官は硫黄島で戦死)
 これは本などで調べたりしたので、字幕なし映画でもある程度想像できました。

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職場の忘年会

2006-12-18 00:55:20 | 日記・エッセイ・コラム

 12月17日(日曜日)。その日は出勤、翌日は休館日なので、親睦会の幹事さんが泊りがけの忘年会を企画してくれました。
 
 最近、飲酒運転による事故が多いせいか、飲んだらホテルで泊まり、翌朝はお開きというスケジュール。

 今、ホテルの部屋でブログを更新中。
 本当は携帯電話で写真を撮ってあるけれど、パソコンに転送できるアダプターを持ってくるのを忘れてしまいました。

 毎月会費を給与天引きで支払っているので、今回は無料!で忘年会と一流ホテル宿泊の小さな旅を楽しんでいるところです(笑)

 ホテルの料理は一品ずつ食べ終えるのを見計らい、また一品が運ばれるといった、システム。
 一品ずつの料理を細かくチェックしていないせいか、突然、腐ったような磯の香りがする料理。
 よーく見たら、なんとウニが入っていた。
 どんなにカモフラージュをしていても、はっきり腐った磯の香り。
 一瞬、酔いがさめてしまうくらいのまずさにビックリ!!
 まさか、千葉でウニが出るのは思っていなかったので、本当にびっくりしてしまいました。

 ヨングク君&チンスクさんの結婚パーティーのときもロブスター(伊勢海老)にウニソースが出ていたけど、ウニが入っているとは思わないほどのまろやかな味。
 海鮮物はすべて三浦半島直送とアピールしていたので、これは新鮮なものだと思われる。しかし、千葉で食べたのは、腐った磯の香り。ますます、ウニが食べられなくなるのでは・・・。
 みんなは私がウニが大っ嫌いのは知らないせいか、「食べろ~!」と攻撃がなかったのは助かりました。(笑)
 写真があれば、たくさん書けるけど、今日はこのくらいで・・・。

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2007年は1年じゅう小笠原気分!

2006-12-16 01:13:38 | 小笠原

Ogasawara7 楽しみに待っていた、カレンダーが小笠原から届きました!!
最初に見つけたのは、ナチュラル(自然)なところをこよなく愛している、DeepBlueブログ記事
 聞いてみたところ、池袋で開催されていた、「アイランダー2006」で手に入れたとのこと。
 2日間限定のイベントなので、内地・・・・(すみません、「内地」という言葉は本来、島民が本土を指すものなのに、ここに住んでいる私が「内地」と言うのはおかしいかも)
 本土で買えるところがもうなくなっている。
 真っ先に思い浮かんだのが二見港の近くにある「フリーショップまるひ」。
 ロケーションのよい場所なので、内地に戻る前にいつも寄っているショップ。
 菓子類は内地で製造、「小笠原」と銘打っているものが多いが、正真正銘の小笠原産といえば、母島の工場で製造されたラム酒、パッションジュース、ママヤのレモンジャム、グァバ麺。
 
 お土産だけではなく、薬局、日常雑貨品なども何でもそろえているので、もしかしたら・・・と思い、メールで問い合わせてみた。
 「ただいま、在庫を切らしていますが、12月10日入港の「おがさわら丸」で再入荷しますので、13日の便で発送します」とのこと。
 問い合わせたのは11月の終わりなので、2週間かけてやっと入手!!

Ogasawara6_1  内地のカレンダーだと季節感のする風景がほとんどだけど、常夏の小笠原ならではの1年じゅう海に関する美しい風景ばかり。

 向こうで滞在中、「入---出」の手書きで記されたカレンダーをよく見かけるが、このカレンダーだとあらかじめ印刷されている。(といっても、3月まで、4月以降はシール)

 「おが丸」が父島に滞在している間は営業、出港の翌日はお休みといったパターンなので、島民の生活に欠かせないもの。

Img040 カレンダーを印刷したところはたぶん、東京。
 12月 9日 10:00発の「おが丸」に積み、父島へ。
 12月10日 11:30 父島の「まるひ」に到着。
 12月11日 小笠原郵便局のスタンプ押印。
 12月13日 14:00発の「おが丸」で再び東京へ。
 12月14日 15:30 竹芝到着、本土各地に向け仕分け
 12月15日 やっと配達!
 そのカレンダーはわざわざ小笠原まで行き、トンボ返り。

 ふと思ったのだけど、小笠原から青ヶ島に送るときは、わざわざ東京(竹芝)に着いた日の夜、八丈島行きの「すとれちあ丸」に積み替え、翌朝、青ヶ島行きの「還住丸」にまた載せることになるだろうか。
 実際、「おが丸」の航路では父島を出た翌朝の6時から7時頃、青ヶ島近海を通過する。八丈島の島影が見えても容赦なく通過、東京までノンストップ。
 伊豆諸島と小笠原をダイレクトに結ぶ便がなく、各島間を渡りたければ、いったん東京を経由しなければならない。
 各島間を渡れるのは、東京に近いグループの大島・利島・新島・式根島・神津島。
 遠いグループの三宅島・御蔵島・八丈島/青ヶ島(八丈で乗換)。

 その中でまだ行ったことのない島は御蔵島だけ。
 本来なら、今年の7月に行く予定だったが、天候が悪くて何度も上陸した八丈島に流されてしまいました。
 来年はどうなんだろう。御蔵島に行ってみたい気持ちもあるが、小笠原に帰りたい気持ちが強い。今のところ・・・(笑)
 

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硫黄島

2006-12-15 00:52:48 | 小笠原

Img039 最近、映画「硫黄島からの手紙」や書籍の「玉砕の硫黄島から生還した一兵士の回想」、「硫黄島からの手紙」など、東京から南へ1250キロ離れた、小笠原村に属する硫黄島についてクローズアップされるようになった。

 この本は今年の10月に発売されたものだが、「硫黄島からの手紙」の影響もあってか、amazonでは在庫切れ、図書館流通センター提携のオンライン書店ビーケーワンでは在庫があったので、即注文。
 1500円以上なら無料で翌日配送、首都圏なら別料金で当日お届けといったサービスを受けられる。
 JR東日本のsuicaが使えるエリアなら、駅コンビニでの受け取りもできるので、JRを毎日利用される方にとっては便利かも。

 「写真で見る日米激戦地の地 鎮魂の摺鉢山 硫黄島」というタイトルの写真集だけど、著者が今年の8月に撮影した、戦跡の様子が見られます。

 硫黄島が小笠原島庁に編入されたのは1891(明治24)年。およそ1000人が入植、漁業や硫黄の採鉱、サトウキビの栽培などで生計を立てていた。

 1940(昭和15)年、町村制がしかれ、「東京府硫黄島村」を設置。(父島に現在の村役場周辺の「大村」、現在の天皇陛下がお泊りになられたVIPホテル「ホライズン」周辺の「扇村袋沢村」、母島の北部に「北村」、今の集落が形成している沖港周辺に「沖村」を同時に設けた)

 1941(昭和16)年12月8日、日本軍の真珠湾(ハワイ)攻撃により太平洋戦争開始。
 1944(昭和19)年、アメリカからの攻撃を予測し、硫黄島の島民を内地(本土)に強制送還。
 1945(昭和20)年初め、本土攻撃を容易にするように硫黄島をB29の着陸や給油の基地にするため、5日間で奪取を計画。
 計画通りに2月19日から23日の爆撃で摺鉢山に星条旗がひるがえったが、今度は日本兵の攻撃が始まり、持久戦に展開。
 その持久戦があったからこそ、B29による本土爆撃の被害を少なくしていた。
 日本軍約21,000人、米軍約28,000人に及ぶ死傷者を出し、最大の激戦地だった。

 終戦後、硫黄島はアメリカの占領下に置かれたが、1968(昭和43)年6月26日、日本に返還と同時に「小笠原村」発足。
 島民の帰島が許されず、現在は航空基地として400名程度の自衛隊が暮らしている。
 島の中央部に空港があり、横田基地または入間基地からの物資輸送が行われている。

 硫黄島の郵便番号を調べたところ、硫黄島の細かな地名までも表示、すべて100-2100(小笠原局)で統一。どうやって運ばれるのか、謎だらけだ。
 電話番号も小笠原の市外局番は04998、硫黄島に割り当てられた市内局番は4。
 こんなところでも電話がつながるなんてすごいと思ったら、NTTパラボラアンテナの静止衛星回線でやりとりをしているらしい。つまり、インターネットもできるのだろうか。

 小笠原村もついに来年(07年)の夏あたりから衛星回線を使った地上波デジタル放送が始まる見込み。それと同時に光ファーバーも導入するらしい。現時点では、電話回線のアナログよりも携帯電話FOMAでネットにつないだほうが速いだとか。

 本土と変わらないネット環境と地上波デジタルが見られるのなら、今すぐにでも移住したいな(笑)

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1円切手

2006-12-14 00:40:52 | 日記・エッセイ・コラム

Img037 むかし、むかし、集めていた切手。
少ない小遣いで買える切手といえば、1円や2円、3円・・・ばかり。

 図案は明治時代、日本のおける逓信制度の調査のため、イギリスに行き、帰国後、官営の郵便事業を創始した「前島密」(1835年生まれ~1919年没)
 現代では馴染み深い「郵便」や「切手」の言葉を制定したのも彼なのです。

 歴史に残る偉大な人物だというのに、1番安い1円切手の図案にされては彼もたまらないのだろうに・・・。

 切手カタログで調べると、上の黄ばんでいる切手は1952(昭和27)年8月発売、下の切手は1968(昭和43)年1月発売。
 今でも郵便局で買える、現行切手の中で1番古い。

 1964(昭和39)年、万国郵便連合条約の新しい施行規則が締結、切手には英字による国名を表記することが義務づけられました。
 その条約の発効は1966(昭和41)年1月1日からなので、1966年以降に発行された切手にすべて「NIPPON」の文字が入っています。

 左にある切手は、最低額の韓国10ウォン切手。日本だと1円に相当するものだけど、やはり大極旗の図案になっているのは、基本中の基本になっているからでしょう。
 
 さて、韓国の郵便料金を調べたところ、10ウォン切手でもかなり需要があるみたい。
 ハガキ220ウォン(≒22円)、25グラムまでの封筒250ウォン(≒25円)、50グラムまで270ウォン(≒27円)。
 (ちなみに日本はハガキ50円、封筒80円、90円)

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今が紅葉の最高潮!檜原旅 No.9

2006-12-13 00:34:55 | 奥多摩&檜原

 しばらく間を置いてしまいましたが、檜原旅 No.8の続き。
今日は12月13日、奥多摩や御岳の紅葉は完全に散ってしまったかも・・・。

Hinohara54_1
 御岳山駅から徒歩15分のところに飲食店やお土産ショップが建ち並ぶ、メインストリート。
 「お土産とお食事処」の赤い看板に惹かれ、「千本屋(ちもとや)」で昼食。

 Hinohara59          ここのオーナーいわく「団体客が広い客席数の備えている食堂に行ってしまうため、ここでは私の作った手作りのコンニャクをサービスします」と持ってきてくれました。
 刻み葱とおろし生姜の入っている醤油に付けて食べてみると結構美味しい。

Hinohara55_3 刺身コンニャクの原料は山頂の畑で取れたものらしい。
 オーナーが若かった頃、御岳山から離れ都会でサラリーマンHinohara57をしていた。
 ところが、御岳神社の建築に用いる木材調達のため、木を切り落とせるのはこの人しかないと請願され、御岳山に戻ったとのこと。
 壁に大きな鋸などが飾っていたので、この人はきこりだったということが伺える。

Hinohara58 ここのお店の自慢、「岩清水のコーヒー」(菓子付きで530円)。
なんと、七代の滝の湧き水まで汲みに行って、それをコーヒーにしている。
 グーグルマップで場所を調べてみたが、千本屋からは500メートルはありそう。往復1キロかけて、水を汲んでくるのは相当な労力がいるものだ。
 このあたりだと水道の蛇口をひねれば、ほとんどミネラルウォーターのはずだけど、それより超えるこだわり。

 ここでも「東京都」。
 私が東京に行くとしたら、いつも23区は素通り、極端な端っこの奥多摩と伊豆諸島・小笠原で宿泊するのが多くなってきた。
 この間の打ち上げ会で23区内に宿泊したのは何年かぶり。
 いつもは田舎生活なので、夜になっても空が非常に明るいなあと思いました。(笑)

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チャングム料理教室

2006-12-11 23:43:40 | 日記・エッセイ・コラム

Soba1

  今日は休み。
両親の友人が遊びに来ることになっているので、自宅でチャングムが料理教室を開いてくれました。

 メニューは奥多摩そば、うどん、ピザ。
 この間の檜原旅でいつの間にかにチャングムが奥多摩そばの粉を買ってきたらしい。


 「力仕事に熟手(「スクス」と言い、朝鮮王朝時代の男性出張宮廷料理人)の出番だ」とチャングム。
 ドックおじさん(父)がそば粉をこねている間、「迎えに行ってくるね」と話しかけると、「ちょっと、待ちな、私も行く!」と熟手の仕事を一時中断し、一緒に駅へ。
 本来なら、そば粉を休まずにずっとこねて、薄く延ばしたほうが美味しいらしい。
 戻ってきたときは水分が蒸発してしまったのか、ちょっと硬くなってしまった。
 2,30分くらい練り続けていたが、やはり疲れてしまいました。
 奥多摩のそば屋さんは本当に大変だなあ・・・。

Soba6
 そばはどんなに打っても、薄く引き延ばすのは難しかったけど、うどんは簡単。



Soba3 チャングム特製のピザ。
うどんを打ったときと同じ強力小麦粉から作られたもの。
 FAX1本で家まで配達してくれる、「ピザーラ」は脂っこくてスパイスもすごく濃くて、カロリーがすごく高そう。
 やはり手作りのほうが本当にヘルシー。
 太る心配もなく、あっという間に平らげてしまいました。
 
 チャングムは韓国宮廷料理だけではなく、日本のうどん&そば、しかもイタリア料理のピザまでも作れる、多国籍の料理人。

Soba4  今まで美味しかったと思えるうどんは香川県の「讃岐うどん」。
麺が太くてコシがあって、まるで讃岐うどんのよう。
 今回のは麺つゆだけの「素うどん」だったけど、天ぷらうどん、月見うどんにすれば、さらに美味しくなっていたかも知れない。


Soba5 食後のデザートは自家製ブルーベリーソースのチーズケーキ。
前回も同じチーズケーキだけど、同じ系統の色々なチーズケーキを作れるのはすご~!!
 両親の友人も「お店で買われたもの?」と勘違いしていた。
 プロのケーキ屋さんが作ったかような味になっていたからでしょう。
 今度は国王さまのお出ましにチーズケーキ第三弾が出るのかな??
 (チャングムもこのブログを読んでくれたらいいな・・・)

Soba7 両親の友人はマナちゃんに会いに行ったつもりが、大工の目から見れば放っておけないと家具の調整。
 (わが家でも家具の増設や取り付け工事で大変お世話になりました)

 戸棚の扉を開けるなり、ナマちゃんがピョンと飛び移り、調整中の友人を観察していました。本当に可愛いでしょう。(笑)

 ナマちゃんの体は本当に柔らかい。しっかり抱きついたつもりでも、うまく抜けられてしまう。

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ヨングク君結婚パーティー打ち上げ会

2006-12-10 00:02:00 | 日記・エッセイ・コラム

Yonguk8 忘れもしない、9月9日(土曜日)はヨングク君&チンスクさんの結婚パーティー。
 お手伝いをやらせてもらいましたので、実行委員の打ち上げ会に招かれました。
 

Yonguk9 おや、これは・・・!?川棚温泉(山口県の実家近く)の「たかせ」の「うなめし」に似ている。
 そういえば、数年前、ヨングク君とおのっち君が山口の家に来たとき、「たかせ」に寄ったことがあり、懐かしい山口の味を求めたのかい?
 「備前焼き」というお店なのに、「うなめし」までも取り扱っているなんてびーっくり。
 パーティー準備中のニュース撮影裏話も披露、盛り上がってしまいました。

 翌日も仕事を控えているため、アクアラインの最終バスで帰ろうと思ったが、お酒を飲んでしまったし、アクアライン駐車場から自宅までは飲酒運転になってしまう。

 「うちの家に泊めて行けば」という、おのっち君のお言葉に甘え、伺ってみると・・・
 男の人にしては、お洒落な部屋になっていました。
 冷蔵庫の中身も拝見。
 1人暮らしなのに、色々な食材が揃えてありました。
 すご~~!!と目を丸くすると、なんと自炊し、お弁当まで作っているとのこと。
 なるほど、龍の子学園の先生なので、子供たちの前でコンビニ弁当をさすがに広げないので、学校のある日は常に自作のお弁当だと心がけているらしい。

Yonguk10 朝ごはんもご覧のとおり。
トースト、ドレシッグで漬けたサラダ、ポテト焼き、ヨーグルト、よく熟れているリンゴ、コーヒー。
忙しい朝でも短時間で出来上がってしまいました。
 ヨーグルトも色々なフルーツの入っているシロップなども盛り付けも工夫されていますねぇ。
 コーヒーもちゃんとコーヒーメーカーで豆から挽いたもの。
 まるでホテルの朝食のようなもの、すごー、すごー、と感動しまくり。

Yonguk12  おのっち流のダイエットドリンク!?
 100%パインジュースに豆乳を加え、飲むだけでやせられるらしい。
 私も飲んでみましたが、意外と美味しい味がしました。
 言葉では言い表せないほどの珍しい味。




Yonguk11 コーヒーがすごく美味しいなと思ったら、このミネラルウォーターで作ったらしい。
 韓国ではホテルやどこの家庭でも備え付けているものと同じですねぇ。

 おのっち君は毎週木曜日のNHK手話ニュースのキャスター、まるで芸能人の家にお邪魔したかような気分でした。
 お世話になりました~!
 朝からお仕事で出かけてしまいましたが、一晩一飯の恩義がなくて、ごめんなさい・・・。いつかはお返ししますね!
 

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12月7日付読売新聞記事

2006-12-09 22:18:32 | 日記・エッセイ・コラム

 12月7日付けの読売新聞を読んで唖然・・・。
 なんと時代逆行的な記事。
 他にも異論を唱えているブログを見つけました。
 
 「ろう者で日本人で
 「HunteЯ-☆Hoshi

 おそらく手話やろう文化を十分把握しないまま、書かれたと思われる。
 外国語を学習したての初心者が、その国の言葉や文法を評論するようなもので恥だと思わないのかな。
 黙っていれないので、新聞社に抗議の投稿をしてしまいました。

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窓口が混んでいれば、これが便利!

2006-12-08 16:58:00 | 日記・エッセイ・コラム

 親が千葉に転居、飛行機や新幹線を利用する機会が減ってしまった。
 以前まではこのシーズンになると、インターネットのえきねっとで予約し、みどりの窓口で受け取る方法だったが、窓口の前で長蛇の列だとイライラしてしまうほど5~10分は待たなければならない。

 ところが、最近はJR東日本の主な駅に最強なマシンが登場。
 わざわざ窓口の係員と接することなく、窓口で取り扱う一部の商品がタッチパネル指定席券発売機で買えるようになった。

 窓口では相変わらず長蛇の列だけど、横にあるタッチパネルが空いていることも。

 早速操作してみると、希望する車両や座席の位置までも自由に選べるようになっている優れものだ。

 今度は試しに「乗車券のみ」のボタンを押し、ひらがなで「ながと」を入力すると、長門を冠する駅名の一覧表が出てきた。
 「長門二見」も出てきたときは「へぇ、山口のキップをここでも買えるんだ?」と内心びっくり。

Img035 英語表示のボタンだと、英字併記のキップが出てくるのかなといじりまくってみましたが、英語の解読力が必要だったらしく、読めませんでした。

 窓口がすごく混んでいるときは、この券売機が便利。目印はむらさき色の「指定席券」表示が出ている機械。

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今が紅葉の最高潮!檜原旅 No.8

2006-12-07 00:41:18 | 奥多摩&檜原

Hinohara47 御岳山頂までは徒歩40~50分。
秩父多摩国立公園に指定されているため、自動車は郵便、宅配業者、物資輸送などの許可を受けたものしか登れないようになっている。

 今日は残念ながら雨が降っているため、ケーブルカーで山頂へ。
 ドックおじさん(父)なら簡単に登れるが、ハン尚宮(母)は足腰が弱っているので、よく晴れていてもケーブルカーで登っていったほうが良さそう。

 ここは御岳登山鉄道の滝本駅。ここでも大手私鉄の京王電鉄のグループ。
Img033 日付が8.11.28になっていますが、なぜか「1」が抜けていました。
硬いキップをスライドさせながら日付を入れる機器は昭和時代の遺物、「1」がどこかになくしてしまったかも知れない。
 東京都内で硬いキップと今では滅多に見かけなくなった改札鋏が健在なのは、ここだけになっているかも。
 朝7時から夕方の5時まで毎時00分、21分、42分になっていて、覚えやすいダイヤ。

Hinohara48 急な勾配仕様の電車内。
ハン尚宮(母)が「この人は観光客でもないような、普段着のような人でも山に行くんだよね?」
 「山の上に人が暮らしている民家があるよ」
 「あの山でも!?」と目を丸くしていた。

Hinohara50 標高800メートルの紅葉。
 緑一色からやまぶき色、赤色の2色が加えられ、華やかな光景。
 晴れていたら、もっと色が映えていたかも知れない。
 残念。

Hinohara49_1  市街地でよく見かける住居表示までも。
 駅周辺などの市街地では道標として、似たようなものが取り付けられているが、市の名称は付いていなかった。
 「青梅市」とわざわざ付いているのは、東京都は各市の面積が小さいので、きちんと表示させているかも知れない。

Hinohara51 このあたりでは民宿や宿坊(寺院内の宿泊施設で精進料理が出される)を多く見かけるが、目を引くのはこの東京都指定有形文化財の馬場家住宅(1866(慶応2)年建築)。
 玄関に「現在でも生活していますので、見学は外覧のみでお願いします」と丁寧に断りの掲示板が立てられていました。

Hinohara52 この近くでも民家。
 どの民家でも駐車場を備えていないので、クルマを所有しても、ここまでは乗り入れることはできないみたい。つまり、駐車場はふもとになっているかも知れない。(私の推測)

Hinohara53 チャングムが見つけた「青梅市御岳山診療所」。
 診察時間は毎週火曜日と金曜日の午後2時25分から3時15分。
 (受付時間午後2時25分から3時まで)
 今日は火曜日なので、電気が灯っていました。
 それにしても、2時半から3時半までといったように、区切りのよい時間表示ではなく、25分や15分などの中途半端な時間を強調しているのは、少しでも過ぎると診てくれなくなるかも、しっかりその時間内という心理が働くからだろうか。

 

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今が紅葉の最高潮!檜原旅 No.7

2006-12-05 00:11:02 | 奥多摩&檜原

 11月28日(火曜日)。
 両親がこのエリアでまだ行ったことのないところといえば、御嶽(みたけ)山、高尾山・・・。
 今日は御嶽山で紅葉狩りと思ったが、この雨だと楽しさも半減してしまう。
 (あの山を「みたけ」と言い、漢字は御嶽?とさっき、調べてみたところ、JR青梅線のみたけ駅は御嶽、山の名称は御岳。なんと、紛らわしい。御嶽と書いてしまったのは、駅前の国道を何度か通過していたせいか)

 よく晴れていれば、新宿の高層ビルも望める場所だというのに、残念。

 せっかくここまで来たのだし、登ってみようということになった。
 奥多摩周遊道路と奥多摩湖を経て御岳に行こうと思ったが、この雨だと標高のとても高い周遊道路では濃霧だし、対向車が見えずに事故も多い。
 周遊道路を避け、JR五日市線の鉄橋下をくぐり、日の出町経由のほうが比較的平らなところなので、そのルートにした。

Hinohara40 数馬分校からわずかな距離にある、人里(へんぼり)の檜原村立南秋川小学校跡。
 (建物がなくなっているのは、昭和59年に焼失。辛うじて石垣だけが残っていました)

 さらに少し先も南郷の南檜原小学校跡 街中のコンビニごとくわずかな距離ごとに小学校があったのは、明治時代は交通の便もなく、深い積雪のさなか、小学校に通うのは大変だったらしい。
 村内に8校もあった小学校が次々と廃校、檜原小学校に集約されたのは1986(昭和61)年頃。そのうち、最後まで残っていたのは数馬分校(1999(平成11)年廃校)。

 ここに訪ねてきたのは、南秋川小学校跡の向かいにコンニャク工場の井上商店。
 親が立ち寄っている間、この周辺を散策。

Hinohara41 ずぶ濡れのワンちゃん。
 「こんなに濡れてかわいそう・・・」と思ったら、このワンちゃんは猟犬。
 

Hinohara42  このワンちゃんがハンターに指示し、撃ち落した山鳥。
 ハンターが自慢げに私たちに見せてくれました。
 「ついさっき、撃ち落したばかりなので、まだ温かいんだよ、あっはははは」(チャングムの手話通訳)
 さっきから私たちのほうをじっと見ていて、手話が珍しいからだろうかと思ったら、手話で話しかけてみたい、でも、通じなかったらどうしようか・・・と。
 どうやら、ハンター仲間にろう者がいるらしく、手話を学習中だそうだ。

 ハン尚宮(母)が「手話を頑張って覚えようね~!」と手話で励ました。(笑)

Hinohara43 郷土資料を調べに図書館に行ってみたが、毎週月曜・火曜日は連休。
 月曜日はどこでも休みになっているが、火曜日も休みかよ?

 ここはもともと治療所だったが、まもなく建築中の大きな図書館に移転される。
 OPAC(所蔵検索)システムが構築されていれば、自宅にいながら檜原村立図書館にどんな本があるのかネットで検索も可能になる。
 
 東京都図書館横断検索 では「檜原村」にチェックが入れないようにしているが、表示されているのは、準備中だということかな?
 もし、表示されていれば、檜原村でしかない資料を最寄りの図書館を通して貸出が可能になる。
 しかし、郷土資料はほとんど貸出禁止の館内閲覧なので、館外貸出はその図書館の裁量になる。
 (個人での申し込みや郵送取り寄せはできませんが、近くの図書館に申し込めば、図書館同士の貸出手続きが行われます)

Hinohara44 あきる野方面の檜原街道で見つけた、お洒落なパン屋さん。
 村内で一軒しかないパン屋さんなので、店内では大繁盛中。
 
 通りすがりでも買って行きたくなるようなロケーションのよい場所にありました。

Hinohara45  焼きたてのが次々と運ばれてきました。


Hinohara46  「檜原ブランドのパンは最高に美味しいかも知れないので、買い占めるぞー」とドックおじさん(父)。
 ここのパン屋さんはすべて手作り、防腐剤などの化学添加物が使われていない。
 ずっと寝かせたままでも大丈夫なお酒とは違って、買った当日か翌日までに食べきらないといけないし・・・。買いだめをしたがる傾向はお酒と関係あるらしい??

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大長今特製チーズケーキ

2006-12-04 00:11:57 | 日記・エッセイ・コラム

Cheese このブログでおなじみの「チャングム」を漢字にすると、「長今」。
韓国も漢字文化圏なので、ハングルと漢字を併用しているが、読みが異なります。
 「大」を冠すると、「テジャングム」。(偉大なる人物だという意味だそうです)
 昼休みに突然、「試作品としてチーズケーキをお持ちしました」とチャングムからのメール。どうやら、家まで届けたらしい。

 「試作品といっても、国王さまに献上してもよいほどの完璧なケーキになっているのでは?」と返事。
 
 夕食後のデザートは楽しみにしていた、大長今特製チーズケーキ。
 見た目では、プロのケーキ屋さんが作ったかような造りになっていますね。
 おや?ケーキの下にあるものはチョコレートなのかい?と口にしてみた。

 噛み応えがあって、口にほんのりと甘さが広がる、逸品。
 六本木や麻布あたりの一角にあるケーキ屋さんに出してもおかしくないくらいの美味しさ。
 年末年始は国王さまのお出まし、ぜひ献上を~!!とお願いしてしまいました。
 本当に作ってくれたら嬉しいな~(笑)
 
 下の黒いものはチョコレートのようだけど、そうでもないような??本当に幻の味。
 チャングムに聞いてみたところ、「今流行りのオレオクッキー」だそうです。
 チーズケーキに柔らかいクッキーを組み込ませ、2種類の味覚を楽しむことができるなんて、まるでドラマに出ていたチャングムのようだ。

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今が紅葉の最高潮!檜原旅 No.6

2006-12-03 00:01:00 | 奥多摩&檜原

 田舎の朝は空気が澄んでいて、すがすがしい朝。
 チャングムは鳥のさえずりで目が覚めてしまったのか、6時半に起きたときは温泉に行ってしまったらしい。

 Hinohara32
 檜原らしさ雰囲気の出ている朝食。
 ここの味噌汁は自家製なので、2杯もおかわりしてしまった。
 田舎の味噌汁はどこでも美味しいんだよね。

Hinohara35  大部屋からの風景。
 

Hinohara34 なるほど、新館の各部屋にベランタが付いていて、上の風光明媚な風景が見られるわけだ。

 


Hinohara36 私たちの泊まったお部屋の障子を開けると、民家だったときの玄関。
年季の入った黒く光っている板張りの廊下に土間。
 
 住居用として実際に暮らしてしているため、障子越しの廊下で従業員の足音がしたとのこと。(チャングム談)つまり、Dコースは普通の家に民泊するような感覚になるのだ。

Hinohara33 鴨居にあった、賞状額。
 昭和30年代、40年代の救命感謝状、書道の受賞などたくさん飾られていましたが、これはたぶん、民家時代の名残。
 「褒章の記  昭和三十四年九月 東京都南檜原小学校数馬分校改築費として金五拾万円を寄附」と書かれています。

 数馬分校といえば、たから荘の真上に建っている校舎。(2006年5月下旬撮影)
Okutama37_2  この建物はちょうど1959(昭和34)年竣工、建築費に兜屋旅館の寄附金が含まれていたのですねぇ。
 数馬分校は1999(平成11)年廃校になりましたが、倉庫として使われているのか、随時手入れが行われているみたい。
 南檜原小学校も南郷地区にあったが、1984(昭和59)年に廃校。


Hinohara37お世話になった、「兜屋旅館」全景。
 200年前の世界にタイムスリップしたければ、茅葺き屋敷のC,Dコース。
 プラシバシーを確保したければ、新館のA,Bコースがお勧め。
 

Hinohara38

 貫禄のある、看板ですねぇ\(◎o◎)/!
 


 ご近所同士の「たから荘」もお勧め。
 どのお部屋でも静かな和室、窓の下を流れる渓流のせせらぎが素晴らしい。
 ボリュームたっぷりの山菜料理に天ぷら、牛肉も付くフルコースだというのに、12000円。
 チェックインの直後にほくほくの檜原産のじゃがいも焼きサービス付き。

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今が紅葉の最高潮!檜原旅 No.5

2006-12-02 17:22:53 | 奥多摩&檜原

Hinohara26 いよいよ夕食の時間です。
 大部屋の片隅に料理が並ばれていました。
 あまりにも広すぎたお部屋にわが家の4人だけなので、何だか違和感がしました。
 休日ならば他の宿泊者も一緒になっていたかも知れない。
 今日は週始まりの月曜日なので、誰もいないのは当然か・・・。

 「兜屋旅館」の自慢料理は山菜料理。
 添加物を一切に使わず、檜原で取れた様々な種類の山菜が盛ってありました。
 医食同源ならぬ薬食同源のようだ。
 味付けも一般家庭では真似できないほどの工夫がなされている。

 私は細かく評する立場にあるものではないけど、まず、手前の「ヤマメ」。
 「たから荘」では、食事の進み具合を見計らい、スタンバイしておいた「ヤマメ」のお皿に焼きたてのが運ばれてくるが、ここは最初から付いており、ちょっと冷めている。
 焼きたてを運ぶぐらいの気配りが欲しいものだ。
 旅館業にとっては、お客さんを喜ばせる仕事・もてなし・サービスが大切なんだよね。
 
Hinohara27 ドックおじさん(父)は「ん?ほとんど山菜じゃないか」と不満言いたげな表情。
 韓国ドラマ「チャングムの誓い」にも出ていたが、明国(今の中国)からの使者にチャングムが素質な山菜料理ばかり出し、接待官が「作り直せ!」と激怒したという場面。
 明国の使者は糖尿病を患っており、料理人として脂気の多い料理を作ることはできないという気遣いだった。
 これと同じように受け止め、美味しく戴きました(というか、もう少しの2、3品の田舎料理があればいいのでは)(笑)
 色々な料理を少量ずつ味わうと、思っていたよりも満腹感が得られるので不思議なもの。
 
 このあたりでは携帯電話の鉄塔すら見かけないのに、ドコモ携帯のアンテナが3本。
 山の景観に合わせ、基地局も周辺の色にカモフラージュしているかも知れないが、さすがに小笠原でも使えるドコモなんですねぇ~。

 明日の天気をチェックしてみたところ、残念ながらまた雨が降りそうとのこと・・・。

 テレビもないので、今日はいつもよりは早めに就寝。
 畳の下に暖房が効いているので、すごく暖かくて気持ちよかった。

 と、と、ところがかゆくなってきた。

 それは・・・・なんと、!もうすぐ12月だというのに、蚊はまだ生きていたのか、古い民家なので暖かさを求めに隙間から突破して来たらしい。

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