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今が紅葉の最高潮!檜原旅 No.4

2006-12-02 02:08:12 | 奥多摩&檜原

Hinohara24 クリスマスのイルミネーションが輝いているシーズンだが、夕方4時半頃になると真っ暗闇。
 民家の明かりだけがぼつぼつと点在する風景が続くだけだった。
 
 5時頃、「兜屋旅館」に到着。
 「あちらの部屋でございます」と案内されたところは、新館の2階。
 「うわっ、思っていたよりも素敵なお部屋!」と思ったら、囲炉裏付き。
 「ん?予約したのは確か、囲炉裏のないお部屋だったよね?」
 「国王さまがお泊りになられるなら、ここのお部屋になっているみたい」

 ご主人にもう1度予約内容の確認をしてみた。
 どうやら、電話で予約をしたときのおばあちゃんが聞き間違えたらしい。
 私がホームページを見ながら、「Dコースで2階の窓が付いている部屋がいい」とチャングムを通じて伝えてしまったのが原因だったらしい。
 電話のあと、チャングムが「おばあちゃんが出てきて、予約内容の確認もなかったんだけど、大丈夫なのかしら?」と心配していたのが当たってしまった。

 予約の間違いに気づいた、ご主人が平謝りに謝っていた。
 囲炉裏付きの部屋は山菜料理、囲炉裏で焼く料理または猪鍋などのフルコースで24000円!!(平日)

 最高峰のお部屋から一転、ここの部屋に案内されました。

Hinohara25 ホームページではよくわからなかったけど、新館と築200年の旧館があり、Dコースは旧館の座敷部屋。

 「旧館でお泊りになられるお客様は1組だけですので、3つのお部屋が使えます。気兼ねなくお寛ぎください」とのこと。

Hinohara31 えーっ!他にDコースのお客さんがいれば、襖で仕切るらしい。
 もちろん、鍵もかからない。
 聴者同士のお客さんだとしたら、音声会話が筒抜けになってしまうじゃないですか。
 
  
Hinohara28 3部屋の入口は扉ではなく、昔ながらの障子戸を引けばすぐに部屋。
 30畳近くのお部屋を貸切の状態なんて広すぎる。
 
 Dコースはここなんだけど、Cコースはどんなお部屋?と聞いてみると、Cコースは、同じく旧館の中にありまして、トイレや洗面所がついている個室。AとBコースは、新館の囲炉裏付きだが、料理の内容が異なるとのこと。

 わかりやすく言えば、

 AとBコースは新館の囲炉裏付きのお部屋。
 Aコースは フルコースで部屋食。
 Bコースは 山菜料理で部屋食。
 Cコースは 旧館の個室。食事は大部屋で山菜料理
 Dコースは 旧館の襖で仕切られたお部屋。食事はCコースと同じ。

 Dコースだけは障子戸に囲まれた部屋になっていて、残念ながら外の景色が見られませんといった具合にホームページに載せたらいいのに。

 テーブルの置いてある部屋は囲炉裏があったらしく、天井では煤で真っ黒になっていました。200年の歳月の重厚さを感じさせるお部屋。
 ただ残念なのは照明器具が昭和時代のものになっていた。
 200年前といえば、ろうそくか灯油ランプのどちらか。
 これを使えば、雰囲気がからりと変わるかも知れない。

 畳の下に床暖房が入っているらしく、隙間だらけのお部屋でも寒く感じなかった。

 ドックおじさん(父)が「んー、テレビがない、つまんない」と。
 昔の雰囲気をそっくりそのまま残そうと電話、時計、テレビ、冷蔵庫などの近代的なものは置かないというのが宿の方針になっているみたい。
 テレビを見たければ、囲炉裏付きの談話室。
 しかし、誰も居ないカランとした広い囲炉裏部屋でテレビとはやはり違和感がします。

Hinohara30 部屋の中で飾られていた、旅館になる前の屋敷。
(昭和40年代?)
 現在では茅葺き屋敷の隣に新館が建てられている。
 私たちが泊まっている部屋はこの屋敷。

Hinohara29 新館の地階に温泉。
 更衣所に温泉成分を示す保健所の証明書が掛けられるはずだが、そこにはなかった。
 もしかしたら、多摩源流の清水を沸かしただけ?と聞いてみた。
 「ちゃんとした温泉です。本来なら証明書を掛けなければならないのですが、忘れちゃいました」

 疑われないようにちゃんと表示して下され~!
 

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今が紅葉の最高潮!檜原旅 No.3

2006-12-01 00:16:13 | 奥多摩&檜原

 11月22日(水曜日)のテレビ朝日で放映された「銭形金太郎」をご覧になった方はご存知かも知れませんが、青つなぎを着た上田晋也サポーターが東京都の最果て地、檜原村に訪ね、永村忠士さんの生活ぶりを紹介。
 自宅は川岸にあり、土台の石垣も1つ1つ石を積み上げ、建設業者からもらった廃材を組み立てながら自分で建てたという。
 ビンボーぶりをアピールしているのだが、職業はなんと檜原村議員。 

 テレビでは個人情報保護法を遵守しているのか、住所を伏せていたが、ネットで「檜原村 議員」のキーワードで検索すると、住所が出ていました。
 その住所を基にグーグルマップで検索すると、細かな地図までも表示。

Hinohara19  このあたりかな・・・?とクルマをゆっくり走らせると、テレビで見たままの光景に出くわした。
 しかし、眼下の川に阻かれ近づくことはできません。
 通りすがりのおじさんに「向こう側に行くにはどうしたらよいのですか?」
 「テレビで見ましたか?はっはっはっ、ここから向こうに行って、橋を渡れば行けるよ」と教えられた。

 橋を渡ったところで右折すれば、たどり着けるのかな・・・?と思いきや、
 1984(昭和59)年に廃校の檜原村立北檜原小学校跡じゃん。

Hinohara20 村役場近くの小学校から車であっという間だけど、明治時代の道は現在のように整備されていないし、バスや自動車も普及していなかった。
 標高が高く、厳冬の寒さと深い積雪の中の通学は非常に大変だったので、住民の力でここに小学校を建立。
 児童の減少に伴い、昭和59年に廃校されたが、渋谷区がこの校舎を借り受け、都会から心地よい田舎の自然を求めにやってきた区民の無料宿泊施設として提供中。
 校門は往年の「北檜原小学校」のままになっているが、建物の正式名称は「渋谷区立檜原自然の家」だそうです。
 利用できるのは、渋谷区民、区内在勤、在学の方のみ。
 利用料金を払ってでも夏の間は利用してみたいもんねぇ・・。
 通年管理人が駐在しており、まるで現役の木造校舎のよう。
 
Hinohara21  山里の日暮れは早い。
まだ3時半だというのに、薄暗くなっていました。
 
 あちこち、対岸に行ける方法を試みたが、神戸(かのと)岩に行ってしまったり、とんでもない方向に。
 村内の道は知り尽くしているつもりでも、あの場所に行くのは非常に難しい。

 「永村さんは本当に仙人のようだ、あの場所に行くのは諦めよう」とその場所から離れた。
 しばらく走ったところで、ワゴンの助手席にワンちゃんが座っているのを見つけた。
 テレビで上田サポーターが車の助手席に乗っているとき、「おや、毛が散らかしていますね」と永村さんに話しかけたところ、「あー、その席はワンちゃんの指定席なのじゃ」と答えたのが一致している。
 「間違いなく、永村さんだ!」と急ブレーキ、Uターン。
 突然のUターンにチャングムはびっくり。
 「テレビに出ていた有名人がそこに!!」
 「どこどこ?えーっ!!本当だ!さすがに運転しながら見つけるのは目が肥えているねぇ」

Hinohara22 聴者とろう者との架け橋になるのは、チャングム。
紙に書いて筆談しなければならないが、チャングムのおかげで手話通訳してくれました。
 どこかの旅に出かけるときは聴者がいたほうが、現地の色々な情報が入って来るしね。
 (青ヶ島や八丈島のときもnorinoriさんが現地の音声情報を通訳。手話通訳者は貴重な存在なのです)

Hinohara23
 ワンちゃんと記念撮影。
 探し求めていたものが偶然出会えたのは不思議。
 

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