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突然母のことを思い出した。翌朝炊く米や、おつゆの準備をして寝るのが母の習慣だった。ある朝、母が起きるのが遅いと同居している息子が気付き、母と一緒に寝ていた女の子に尋ねたら、母が起きないという。そこで息子が行ってみたら、母は亡くなっていたのだ。心筋梗塞か何か、だっただろう。私は東京で世帯を持っていたのでわからない。母は享年68歳だった。女の子は母が不幸な身の上の子どもを預かって世話していたのだ。突然の母の死を思いだし、今回の自分の発作を遺伝的なこととして受け止め、母の生前の生活の苦労を思い浮かべ、母に苦労をかけた筆者のことをちょっと書いてみたくなった。
筆者は高卒後家の手伝いとして農業を1年間やり、その後三朝の温泉研究所に就職、お金を貯め、それからBack to Schoolで大学へ。だから大学は他の人より4年遅れだ。勤める時身に着けるものを全部母が準備してくれた。当時、豚を飼っていてその売り上げが資金だった。背広、靴、冬のオーバーコートなど。筆者の支出のため身を粉にして働いてくれたのだ。苦労をかけた事は忘れない。母親は子どものこととなると命がけで面倒を見てくれたけれど、「子を持って知る親の恩」を感じた時は既に遅く、母はいない。悔やんでも悔やみきれない思いがいつまでも脳裡に残っている。その分、我が子に返すのが筋道かな?(自悠人)