息子の立川高校入学を記念して庭に植えた一本の梅の木、当初はその紅梅を鑑賞するだけだった。ワイフは新島襄の言葉、「真理は寒梅に似たり 敢えて風雪を冒して開く」を口ずさみながら寒中開く梅の花とそこにやって来る鳥たちを楽しむのが常だった。だがあまりにも多く実をつけだしたので勿体なくて「花だけでなく実も愛でよう」と梅酒造りを思い立った。過去25年以上、アメリカに住んだ20年間でさえ、梅雨に帰国しては造ってきた。市販のものは甘すぎるので我が家に丁度良いかすかな甘味にし、梅は多め、手前味噌ながら大変美味だ。ワイフは梅酒造りには無関心だったがTastingには年中つきあってきた。この梅の木、枝葉が茂ったので「来年はさっぱりと坊主にするぞ、梅酒造りは今年が最後かも」と言ったら、ワイフが梅を洗ったり干したりと、作る時から手(ちょっかい)を出してきた。理解に苦しむなあ。(自悠人) 梅酒は最低3年は寝かさなければ美味にならないと自悠人が言う。梅の収穫が多く5瓶も作ったが、「いいお年」の夫と「既往症あり」の妻が、床下にまだ沢山瓶があるのに、今また5瓶も作る意味は?はてさてこの梅酒、頂くときがあるのかな?と、砂糖を計量しつつ、我ら夫婦の命も天秤にかけた。(彩の渦輪)
雨にも負けず、風にも負けず、超然と丸顔を向けてくれる紫陽花は石原裕次郎同様、筆者が最も愛する花だ。特に丸顔に花弁びっしり、藍色か薄紫色の伝統的な色の花がいい。花言葉は「心地よい静けさ」や「無常」とかで、心の疲労を緩和するというがその通り。堀口大学はこの花に自分を重ねたとかで、「蝶も来ないし毛虫もつかぬ」と先日の天声人語に引用してあったが、筆者も紫陽花の超然とした姿に年々歳々尊厳を感じ愛でてきた。本日は病院行き、心配してくださる先生に会いに行く日は家を出る前から元気が漲るが、なんとその病院の敷地の片隅に筆者好みの紫陽花が無言で揺れていた。ドクダミと共生して。筆者のために制作してくれた娘のちぎり絵もここに並べたが、超然とした今朝の紫陽花やちぎり絵の紫陽花を眺めて「心地よい静けさ」に和む平和が続きますよう祈った。日本の若者が軍隊で殺人を命じられる時代に戻らないよう、「無常」の花言葉のほうは御免こうむりたいものだ。(彩の渦輪)