あけぼの

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郷愁のベトナム:お母ちゃんは一生懸命 完

2008-07-31 07:04:54 | アート・文化

  アオザイは届かなかった。洋服屋に飛んで行き、昨夜の娘に「お代を返してください。バスが出ますから」と言うと、お母ちゃんは娘を大声で叱り飛ばし、私が昨夜払った紙幣を取り出してくれ、長距離バスの運転手に待ってくれるよう交渉したがバスは時間に出発、彼女は視界から消えた。わが娘へのアオザイは夢と消えたが、ホーチミンへ戻ってから作ってやろう、などと考えつつ大型バスの二階席でくつろいで10分も経った頃ふと窓外をみると・・・なんだか見たようなおばさんがバイク群の中にいる。おや、あれはアオザイ屋の娘の母ちゃんでは?どこへ行くの?ひょっとして彼女はこのバスを追っかけているのでは?

 次の信号で彼女はバスに追いついた。だが彼女がバスのドアを叩く前に非情なバスは発進した。また彼女の追跡が始まった。どこまで追いかける気なのか。このバスが沿道のホテルの客を拾いつつフエに向かうバスと知っての追跡なのか。それに気づき、私は今朝受け取ったドルを手に持ち、二階席から下り、運転手横のドアのそばに立って待機した。やった!彼女は大きなホテル前で遂にバスに追いついた。ドアが開くと彼女が服を差し出し、私もすかさず代金を渡した。「遅れてご免なさい!」とお母ちゃん。「有難う!」と私。

 ご存知ベトナムの道路はどこでもバイクの洪水だ。もし私の席が二階席でなければ、もし私の記憶力が良くなければ、彼女は見えなかった。もし彼女がバスに追い着けなければ、もし私がバスの入り口でお金を準備して立っていなければ、服と代金の交換は成功せず、二人の母の娘への思いは実現しなかっただろう。(彩の渦輪)


郷愁のベトナム:お母ちゃんは一生懸命!

2008-07-30 07:58:16 | アート・文化

  ベトナム社会主義共和国は1986年に解放路線に踏み出した若い国だ。ベトナム人の一般的性格は勤勉実直、一生懸命、素直、平和愛好、助け合い、家族の絆が強い、等、日本人とよく似ている。これらの性格、特に「一生懸命」を如実に示すあるおかあちゃんを紹介しよう。郷愁の街ホイアンで自転車観光に心地よく疲れ、夕食をとろうと外にでた。ホテル近くの小さな料理店を通り過ぎると、その隣の婦人服店の前で若い女の子が「どこへ行くの?」と声をかけてきた。「夕食へ」と返事すると「隣のベトナム料理店は美味しいと評判よ」という。「じゃあ」と後戻りして椅子に座ると、彼女は奥へ「お客さん!」と声をかけた。彼女は自分の店番をしつつ父の店へ客を拾う孝行娘だった。お母ちゃんが料理を運んできた。食事が終わると今度は彼女が「隣(娘の店)でアオザイを作りませんか。とても安いですよ。二〇㌦で身体にぴったりの注文服が出来ます!」と。心が動いた。

 ベトナム航空搭乗員の優雅なアオザイ姿を見た瞬間からきれいな色のアオザイを娘に買って帰ろうと決めていた。だがホイアンの観光はもう終り、翌朝のバスでフエに向かう計画だった。「明朝のバスでここを発つので無理でしょう」と私。「一晩で準備しますよ」と店の娘。心が踊った。「では作りましょう」と隣の店へ。「明朝きっかり7時半に持ってきていただかないと長距離バスは7時45分にホテル前を出ます」と私。「大丈夫、一晩で縫わせます。その代わり今全額払ってください」とお母ちゃん。全額支払った私。娘のために客を見つけた母の熱意にほだされた私も、難病にとりつかれた娘のためにきれいな服を買いたい母だった。(彩の渦輪)


ホイアンの日本橋

2008-07-26 19:44:20 | アート・文化

 ベトナム中部の街ホイアンはトゥボン川が南シナ海に注ぎ、期待に違わず魅力的な街だった。四〇〇年以上前に日本の商人たちが御朱印船でやってきて日本人街を作り、千人以上住んでいたという。古い街並みが大切に残されていて不思議な懐かしさが込み上げる街だった。貸し自転車で旧市街に出かけ、木造家屋の狭い街並みを走り回り、念願の來遠橋(らいおんばし)にやってきた。屋根付きのこのタイコ橋は別名日本橋、当時日本人によって建てられたという。幅は結構広く内部はほの暗い。中ほどには小さなお寺があり、仏像の前にローソクの灯が揺れていた。歩道の優雅な角度と時代を経た欄干の装飾が、当時上等の絹の衣装でこの橋を往来したであろう日本人商人たちへの親近感を呼び覚ました。(彩の渦輪)


奉仕活動は暑くない

2008-07-26 14:01:45 | まち歩き

 土用の最中、市が借り入れている植木仮移植用の土地が草ぼうぼうだった。家の前だし見かねて草取をした。炎天下汗をかくのも健康法であり仕事の後はシャワーを浴びれば良い。どうせTVを見ていたって暑いが外で懸命に汗を流しても暑さを感じないから不思議だ。時間給で働けば暑さがよけい身に沁みて「暑い」と苦情を言いたくなるもののようだ。言われてやるのではなく自ら目標を創造し、その達成のために無心になる心がけが自分にも有益ではなかろうか。猛暑だと騒いでいる皆さま、暑さを忘れる秘訣の一案です。(自悠人)


郷愁を呼ぶベトナム 完

2008-07-22 11:27:32 | アート・文化

   翌日、警察に行った。警察の見解ではスープの値段は確かに高いことは認めた。が日によって値段が違うから確かめようがない、と軽くあしらわれた。領収書についてはその場でレストランに「脱税の恐れ」と電話してくれた。「渡した領収書を持って店に来てくれれば新しい領収書と取り替える」と言ったようだが私たちにはその必要がなかった。毎日騙せる外人カモを物色している奴から再び犠牲者が出ないように、との思いで警察に行ったのだった。領収書のコピーは警察に残されている。奴も警察から忠告の電話がかかろうとは予期しなかった筈だ。騙すインテリ・マネージャーに反し、裏通りの土壁に鏡を吊るして僅か1ドルほどで櫛を使って真面目に散髪をしてくれた青年は明るく爽やかだった。途上国の旅ではよく散髪をするが、安いし客たちとコミュニケーションが楽しめるからだ。

 総じて発展途上のベトナム、昼夜を問わず懸命に働いている人たちが印象的な残像を脳裏に残した。いつかは車社会に移行するであろうが、大気汚染は益々厳しいものとなるだろう。列車とサイゴン川移動船では悠々たる大自然の営みに心が和んだ。(自悠人)