あけぼの

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湖上は大揺れ、チワワ太平洋鉄道~完

2010-07-28 08:16:33 | アート・文化

湖に差し掛かると怖い。眼下は澄明な水だけ。すごい揺れ幅だが列車が進んでいる気配を感じないのだ。「わが人生は今終わりこの湖の底の藻屑となるのだ!」と観念した頃列車は向う岸の地面を走っている。窓外は命を賭ける価値があるほど神秘的だ。

標高2400mのディヴィサデロに着く。沿線では一番の絶景、銅峡谷が見られる。規模はグランドキャニオンの4倍だというが確かに息を呑むほど雄大だ。筆者は断崖絶壁の上に立つホテルに宿をとったが、この駅では列車は15分ぐらい停車するので、乗客はぞろぞろとこの有名な絶景を眺めに行く。展望広場の向こうの絶壁の上に不安定に乗っかった巨大な丸石がある。一人のひょうきん者が其の上に立ち、受けを狙ってぐらぐら石を揺らしている。見物客から悲鳴が上がる。落ちたら千尋の谷なのだ。筆者は騾馬で登った南米一のアコンカグアを思い出した。揺られながら見下ろす眼下は千尋の谷だったから。過去訪れた幽幻峡を種々思い出させてくれる銅峡谷には鮮明な色の高山花が咲き競っており、子どものように嬉々として花束を作った。先住民タラウマラ族のおばさんが大風呂敷を背負って急斜面の石段をすいすいと上がって来て見る間に民芸品を並べた。精巧に編んだ籠や筆立てはとてもよいセンスだ。断崖絶壁上のホテルではハチドリが窓外で羽ばたいていた。夜は世界からの客と一緒に合唱し、歌声喫茶を楽しんだ。

翌日のディヴィサデロ駅で名残を惜しむ筆者の目に映ったもの、それはとても若い母親二人だった。一人は大風呂敷に赤ちゃんを入れて背負い物売りをしている。赤ちゃんは微動だにしない。生きているのかな、と疑うほど動きが無い。だが母親は背中の赤ん坊を気にする気配は無く、僅かな日銭を得ることに必死なのだ。もう一人の母は幼児を連れていた。幼児が何かねだった。母は小銭を渡した。その子は間もなくビニール袋入りの少量のコーラを嬉しそうに持って帰って来た。量り売りのコーラだった。

美しい山岳風景や人間ドラマを見せ、郷愁を運ぶチワワ太平洋鉄道の高原列車は今日もゆく。山越え谷越えはるばると、ランララララララララララ・・・(彩の渦輪)


湖上は大揺れ、チワワ太平洋鉄道

2010-07-27 14:06:19 | アート・文化

 汽車の窓からハンケチ振れば/明るい乙女が花束投げる/・・・「高原列車は行く」の歌そのままに、チワワ高原列車は比類無きパノラマ風景とドラマを展開し、貴方の胸に忘れえぬ鮮明な思い出を刻んでくれるだろう。長の年月をかけて1960年に完成した全長653kmの鉄道で、標高2000m級の山岳地帯が続くチワワ~ロスモチス間を一日一往復、列車はゆっくり進むので窓外の原生林や緑の渓谷を心ゆくまで堪能できる。

心に残る鉄道の旅は十人十色だろう。オスロー~ベルゲン間のベルゲン山岳鉄道はぞっとするほど美しいフィヨルドや豪快な滝を見せてくれる。マチュピチュからクスコまでの列車も郷愁を呼ぶ。スイッチバックを繰り返し、夕日が落ちる頃には別れを惜しんで車内に哀愁を帯びた「コンドルは飛ぶ」が流される。先ほど悲しい犠牲者が出たスイスの氷河特急列車は日本人には大変な人気のようだ。このように鉄道マニアにはご贔屓鉄道は種々あろうが、このチワワ太平洋鉄道はいずれにも劣らぬ垂涎ものだ。窓外のある場所には転覆した列車が錆びるに任せて放置され、何かを強く訴えてくる。乗客は想像力を逞しくし犠牲者に語りかけ、物思いに沈む。

その転覆車両を見た直後だった。列車が急に止まった。そのうち誰かが、「踏切事故だ!」と叫び、乗客が次々と線路上に降りはじめた。筆者も降り、線路上を人の後について列車の先頭まで行ってみた。野次馬根性一番のこのおばさんが見たものは・・・即死した若い運転手だった。踏切のど真ん中に停車した中型トラックの運転席でハンドルは握ったまま、生きているような表情の青年だった。どこにも傷や出血がない。当たり所が悪いショック死だったのだろうか。「遮断機が下りる前に渡りたかったの?朝っぱらからこんなのんびりしたところで、なぜそんなに急いだの?命をかける気は毛頭無かったでしょ?うっかりミスだったのよね?」と筆者は心中で問いかけた。「人はひょんなことで取り返しのつかないミスをするものなんですよ」と、その安らかな死に顔が言葉を返したように思えた。続く(彩の渦輪)


猛暑は幸福感を招く

2010-07-26 16:37:44 | アート・文化

「心頭滅却すれば火もまた涼し」は信長に焼き討ちに遭った甲斐の禅僧の言葉だ。猛暑の最中庭木のテッペンに登って剪定をする。目的を持って踏ん張る足腰には緊張感が走る。滴る汗を拭くことも出来ない状況に置かれれば無心に仕事をするだけだ。一区切りするまでは一心不乱、暑さなど念頭にない。こんなひと時を幸せと言うのだろう。

 暑くなると思い出されるのがサイパン島で玉砕兵士や民間人たち。渇きと飢えと絶望の中で祖国のために犠牲になった先輩たちだ。進むも地獄、引き返すのも地獄、彼らは暑さなど感じなかったに違いない。自分の夏休みは魚捕りやセミを追いかけた。お盆には生き物は捕るなと言われた。真っ黒になるまで蚋が素足にたかったが、噛まれても平気で魚捕りに集中した幼少のころが懐かしい。歳を重ねた今、環境に支配されることなく打ち込めるものにアクティヴにトライ出来る幸せを思う。流れる汗と共に体内の毒素は消えると信じる。(自悠人)


 仏陀も人も笑顔が優しい国 ~ミャンマー完~

2010-07-25 15:09:35 | アート・文化

Tadaaki_125 金ぴかのパゴダは吸引力がある。ヤンゴンに着いてすぐにシュエダゴン・パヤーを訪れた。パヤー(仏塔の総称の現地語)は下部がどっしりと安定感のある膨らみを持ち、尖塔は天を突き刺し、仏教信徒ならずとも引き寄せる。屋内は勿論裸足。「裸足で参拝して毒虫に刺された」という経験談に臆したが、靴下を脱ぐまで係が追ってきたので以後は観念して行く先々で裸足になった。比較的安価で信頼抜群の飛行機でバガンに着き、空港の客待ちタクシー、アウン君を雇いオールド・バガンへ。半日回って全部見切れず、二日目もハン君と巡った。仏舎利が祀ってあるのがパゴダでその他の遺品、例えば髪の毛やお箸、袈裟等があるのが寺院だと言う。僧の教育や冥想場は僧院だ。長閑な大地に見渡す限り無数のパヤーが林立している。金ぴかで聖なる仏塔シュエズイーゴンを始め、白い大きなシュエサンドー、上品な白色やレンガ作りの寺院、僧院等、大小、高低、建築様式も様々、11世紀以降の建築物が多い。ティーローミンロー、外観の美しいナガーヨン寺院、シバ神が祭られているヒンドゥ寺院等、書ききれないほど巡った。ハン君に「なぜこんなにパヤーが多いの」と聞いたら、王が変わる度に建てたのは勿論だが仏塔はかつて誰でも建てられたという。目的を明記して申請するのだ。1975年にミャンマー大地震があり、地震前に4446のパヤーがあったが、地震の後2230残り、現在は復活して3400ほどある。

4体の黄金の立像が溜め息をつくほど魅力的なアーナンダー寺院では女性が飛んで来て説明した。立像は離れて見ると微笑んで見える。「欲張るな、怒るな、妬くな」と教えたという。このガイドは物売りで、出口で「チャット(現地マネー)はないか」と聞く。「ない」と答えたら「円を交換しなさいよ!」と。最近はドルの価値が下がり物売りの子どもまでチャットを好み、ドルは馬鹿にされていた。囚われの経験のあるマヌーハ王が死ぬ前に一つ建てたマヌーハ寺院は坐像と寝像が建物一杯に建造され、鬱々としたムードで余韻抜群だ。仏陀の表情豊かなこの国には火炎樹が咲き誇り、猛暑だったが安全で良い旅だった。(彩の渦輪)


仏陀も人も笑顔が優しい国 ~ミャンマー①

2010-07-24 08:20:44 | アート・文化

Tadaaki_160 ミャンマーの首都ヤンゴンでは近隣諸国の首都と異なりバイクが見かけられず、車は整然と走っている。中心から直径40kmの範囲内では軍関連以外はバイクは禁止だそうだが、これは騒音からも空気汚染からも住民を守っている。時差は日本と2時間半、この30分は珍しいがタイとの違いがミャンマーの誇りだ。人々はゴム草履が殆んどだが、どこにでもあるパゴダ(仏塔)に気楽に立ち寄りお祈りしていくのに便利だからだ。無数にある金ぴかの仏塔の門前には屋台や露店があり、美味しそうなエビのかき揚げを売っている。列車の内部はゆったりとした板張りで、ガタンゴトンと身体も揺れる。日本の中古車が大もてで、車体には旧所持者の名が…曰く、「遠藤商店」「能登観光バス」「郡山通運」「船橋新京成バス」…「新」とはいつ?と思いつつ、古い日本車が大切に使われているのを喜んだ。

懐かしい風景の中、行き交う人々は笑顔が美しい。日本人そっくりで「生まれた時お尻に蒙古斑があることまで同じ」と共通性を何度か聞いた。篤い信仰心から人は正直、誠実だ。ヤンゴンから列車で2時間のパゴーは何て素敵だったことか。自転車に客用座席を設置したサイカーというのが半日なら一人3ドルというので二台頼んだ。運ちゃんは汗だくでペダルを踏んで見どころへ案内してくれた。巨大な寝像が青天井の下で微笑んでいるこの町は牛さまがお通りになる時人は待つ、胸温まる街だ。チャッカワイン僧院では若い僧侶たちの食事風景等、生活の一端を見学させてもらった。僧たちの多くが微笑みを返してくれた。サイカーの二人に6ドルのところ10ドルあげたら喜んで列車が出るまで駅で見送ってくれた。メイミョーという街で「ヒロミカフェ」を探していたら、あるホテルのボーイさんがバイクに乗せてくれ、着いたら引き返し、歩いていた夫も乗せて来てくれた。根っから親切な人々。かつて地理でビルマ(ミャンマー)とかラングーン(ヤンゴン)、イラワジ河を学んだが、その地を訪れ、人々と笑顔を交換する日があろうとは想像しなかった。続く(彩の渦輪)