湖に差し掛かると怖い。眼下は澄明な水だけ。すごい揺れ幅だが列車が進んでいる気配を感じないのだ。「わが人生は今終わりこの湖の底の藻屑となるのだ!」と観念した頃列車は向う岸の地面を走っている。窓外は命を賭ける価値があるほど神秘的だ。
標高2400mのディヴィサデロに着く。沿線では一番の絶景、銅峡谷が見られる。規模はグランドキャニオンの4倍だというが確かに息を呑むほど雄大だ。筆者は断崖絶壁の上に立つホテルに宿をとったが、この駅では列車は15分ぐらい停車するので、乗客はぞろぞろとこの有名な絶景を眺めに行く。展望広場の向こうの絶壁の上に不安定に乗っかった巨大な丸石がある。一人のひょうきん者が其の上に立ち、受けを狙ってぐらぐら石を揺らしている。見物客から悲鳴が上がる。落ちたら千尋の谷なのだ。筆者は騾馬で登った南米一のアコンカグアを思い出した。揺られながら見下ろす眼下は千尋の谷だったから。過去訪れた幽幻峡を種々思い出させてくれる銅峡谷には鮮明な色の高山花が咲き競っており、子どものように嬉々として花束を作った。先住民タラウマラ族のおばさんが大風呂敷を背負って急斜面の石段をすいすいと上がって来て見る間に民芸品を並べた。精巧に編んだ籠や筆立てはとてもよいセンスだ。断崖絶壁上のホテルではハチドリが窓外で羽ばたいていた。夜は世界からの客と一緒に合唱し、歌声喫茶を楽しんだ。
翌日のディヴィサデロ駅で名残を惜しむ筆者の目に映ったもの、それはとても若い母親二人だった。一人は大風呂敷に赤ちゃんを入れて背負い物売りをしている。赤ちゃんは微動だにしない。生きているのかな、と疑うほど動きが無い。だが母親は背中の赤ん坊を気にする気配は無く、僅かな日銭を得ることに必死なのだ。もう一人の母は幼児を連れていた。幼児が何かねだった。母は小銭を渡した。その子は間もなくビニール袋入りの少量のコーラを嬉しそうに持って帰って来た。量り売りのコーラだった。
美しい山岳風景や人間ドラマを見せ、郷愁を運ぶチワワ太平洋鉄道の高原列車は今日もゆく。山越え谷越えはるばると、ランララララララララララ・・・(彩の渦輪)