先頃の「皆が喜寿」Partyで音楽が結構会を盛り上げてくれたと思う。定年間際からの生き甲斐に音楽、特に器楽演奏を選んで楽しむ人が多いようだ。呆け防止に音楽はなかなか良い。当日ケーナを吹いた日野の秀子さんはオカリナをやっている山名湖の麗子さんと意気投合し、来年合奏発表しようということになった。サクソフォンを吹いてくれた国立の孝さんはアコーディオンの毅さんに刺激され、自転車とタクシーを乗り継いで自宅に大きな楽器を取りに帰り、Partyに間に合って堂々の演奏。毅さんはアメージング・グレースを素敵に編曲しての演奏で進歩が目覚ましい。奥さんの幸子さんが傍できれいな声でジュエットし、微笑ましかった。台湾の黄ご夫妻の雨夜花のジュエットもよかった。全員の合唱もよかった。私もピアノを弾きたかったがまだ府中にピアノを運んでいなかったので残念だった。
今回も日本にいられるのはそう長くはなさそうだがピアノのレッスンを再開した。指が思うように動かない。暗譜も出来ない。さる6月、アメリカの大学で、演奏会用のホールで演奏したというのに。卒業後有名シンフォニーで演奏することが決まっている音楽専攻の優秀な学生、プロの卵の演奏するベースと「六段の調べ」を合奏できたのだった。彼が私の教える日本文化のクラスに在籍したのがご縁だった。60の手習いで始めたへたくそな私が、年齢とスキルの壁を超え、州立大学の一カレッジで着物を着て演奏したことは一生の思い出となるだろう。わずか1カ月余り前のことだった。そのために練習していたとき、家のピアノの前の窓外ではリスがデッキの支柱の木の股で足を広げて鑑賞してくれた。鹿の親子もピアノのすぐ窓外に座って聞いてくれていた。そんな風景も本番の発表も一緒に脳裏をよぎり、今、胸にキュンと来るのである。いずれまたどこかで日本文化発信のために弾くチャンスがあるかもしれないと思って練習に励むこととしよう。練習が捗らないので諦めたくなってしまうのだけれど。(彩の渦輪)