あけぼの

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鴨水会と米城会盛会だった

2014-11-18 14:53:39 | アート・文化

Dscf3768_2014Dsc_2638_7jpg役員整列
Jpgdscf39465 アホな役割

 119日、自悠人の出身高校、鳥取県立倉吉東高校の同窓関東人会、鴨水会が、その週末の15日、筆者の出身高校、鳥取県立米子東高校の同窓関東人会、米城会があった。鴨水会は200名、米城会は190名、10名負けたがいずれも霞が関ビルの35階で。

鴨水会(この項、自悠人)面白い出会いがあった。同テーブルに2歳上の高校の先輩がいて偶然に住所が同じだった。町内会は異なるが、同窓生が20年近く知らずに近くに居住していたのだ。帰宅翌日、早速に家に招いた。その先輩、発声がのろく、話し出してまた後戻り、行きつ戻りつ話を継続させる。84歳の彼だが、東大の物理学科卒業、現役のころは東海原子力機関で働いたそうそうたる前歴の人。だが年齢には勝てないのか。同じ東大でも先般「小川地球村塾」に参加した91歳の東大名誉教授の話し方は理路整然とした話しぶりだった。日常の訓練の差が現れたのか。交際を積極的にやることが違いを生じると思う。同窓会出席者は自信があったり、何かを得ようとする気持ちのある人が多いようだが、同期や長年の友人との再会を楽しむためにも出かけることはよいことだ。

米城会(この項、彩の渦輪)

本部役員なので病後でも出ざるを得なかった。準備のため2時には霞が関の会場入り。副会長の私に今回挨拶のチャンスが無かったわけは―もう一人の副会長K氏がやりたかったんです。去年筆者が英語で開会の辞を述べたので、それを真似て「自分も英語でやってみたかった」と、挨拶後まだ正面に並んでいる役員席で私におっしゃったが、二番煎じじゃあネ。挨拶はユニークでなきゃあ。東大出身のビジネス界お偉さんも可愛いモンですね。米城会の第一部は講演で、講師は米子東高校72期、『梨の花は春の雪』で鳥取県出版文化賞を受賞した作家、松本薫さん。袴姿で講談調、なかなか良かった。第二部は稲田屋寄贈の大樽の鏡開きに始まりふるさと情報、卒業期ごとや年齢の近いものが一緒に飲食しての懇親会。自己顕示欲の強い人々が小止みなく壇上ではしゃぎまくっていたが誰も聞いちゃいない。筆者に抽選係りが振り当てられた。壇上で抽選し鳥取県産物類の景品を手渡す役割り。同期の52期に1つぐらい当てたかったが、総会担当期の係りが「なるべく若い人に当てて!」と、引いた籤まで取り替えられ、ホント、アホなお役でござりました。


癒しの楽園へ~インドネシア~

2014-11-08 15:35:02 | アート・文化

Besakih_temple_2 ブサキ寺院

大山(鳥取県)と同じ高さのバトゥール山

 インドネシアの島々の中でも飛切り長閑で美しいバリ島へ、そのまた近くのレンボガン島へと、ヒーリング・リゾートというキャッチフレーズに惹かれ、短期間娘と出かけた。「暫くは海外より日本の温泉へ」とマグロの回遊に釘をさした娘だったが、筆者がストレス・マグロになっているだろうと、荷物持ち係で同行してくれたのだった。

 ブサキ寺院はバリ最高峰のアグン山麗にあり「母なる寺」と呼ばれるバリ・ヒンドゥー教の総本山だ。バリ島には特にヒンドゥー教の寺院が多く、大小30もの寺が集まる集合寺院がブサキ寺院だ。インドはマドライでヴィシュヌのお神輿を担いだ賑やかな祭礼に参加したことを思い出しつつ、輝く顔、顔に混じり参拝。ブサキ寺院の北西、カルデラ湖が望めるバトゥール山 (1717m) へ娘が登ると言う。鳥取県の大山 (1713m)とほぼ同じ高さなので賛成し、筆者は緑の多い田園地帯ウブドゥを歩いた。緑一色に覆われた水田に並ぶアヒルの行列には思わず微笑が。娘が小学校の頃の綽名は「ガーコ」、アヒルのようにお尻を突きだして歩き、ガーガーと煩い女の子だったが、そのガーコは今、母のストレス解消のため荷物持ちでやってきて、ついでに、幼い頃登った大山-母の郷里の山-を思い出しつつ、くねくねとした山道を登っているのだ、と想像して。続く(彩の渦輪)


ビンロウの国で温泉巡り

2014-09-17 21:35:27 | アート・文化

Dscf1024 Dscf1002 Dscn1478Dscn1524  Dscn1527 Dscf1064  Dscn1573Dscn1574 Dscf1008_2Dscn1490 Dscf1084 日本に20年以上滞在し、Partyにも何度も参加してくれた黄さん夫妻が近年台湾に帰り、「ぜひ来てください!」「はい、行きます」と約束してからまた数年経ち、「約束を果たしましょう!」と急遽出かけた。黄さんが関わるEmaxという会社-日本の多くの企業と協力関係にある台湾の総合代理店-の創立20周年記念Partyにも参加し楽しいひと時をすごしたが、その夜から激しい腹痛。「救急車を呼ぶか!」と思ったほどだったが耐え、翌日から3日間温泉巡りをした。温泉に入った後暫くは痛みを忘れることに気づいたし、夫も温泉大好きの人だから。日本統治時代、保養寮のあった泰安は現在も台湾警察の管理する保養施設で一般人も受け入れ、熱くて中々良かった。続いて礁渓温泉、泉郷風華という名のOnsen Villaだ。最後の日は烏来温泉。ここは最高!広い露天岩風呂で火照った身体に緑風が石ゴロゴロの渓谷から吹いて来る。天池御皇温泉と言い、パンフにSpring Paradise: Pure hot spa & resort in Wulai. Harmony with natural sceneryとある。海の波で洗われえぐられた奇岩が林立した野柳のGeoparkや、農民、庶民のため活動し、法務大臣までなった陳定南の記念園区も訪問。ビンロウ屋さんが多いのには驚いた。ビンロウとは噛むと気分が高揚し頭が冴える煙草のような嗜好品だ。多くは女性が売っていた。今回は腹痛を押しての温泉巡りだったが、奉仕活動を5つもやっている忙しい黄さん夫妻に案内や運転をして頂き台湾北部を極めた、満足感のある旅だった。(彩の渦輪)

写真順に1、EmaxのPartyで会長さん夫妻、黄さん夫妻と。2、3。黄家ではフルーツやへちまのスープ(美味)。4、5 野柳の奇岩。7、8 客家(ハッカ)レストランとにがうり。10.警察の管理する温泉。11.これがビンロウ屋さんの看板。とても沢山ある。


私の靴物語パートII:葬式にダンスシューズ

2014-09-09 13:59:09 | アート・文化

Dscn1457 黒色のシューズは1昨年捨ててしまって今は無い。昨年中の葬儀は黒っぽい茶系で間に合わせた。普段着に近い礼服で来る参列者もいるくらいだからシューズの色にこだわることもないと思ったが、絵の仲間の葬儀の今回、ワイフが「昔、ダンスに使った黒靴を履いたら?」と言い、思い出した。彼女は靴箱を管理、まめに靴を干してしていたからだが本人は忘れていた靴だった。定年60歳の時から姿勢矯正と健康目的でダンスを習い、5か月目に鹿革の靴をオーダー・メード。でも、履いたのは1か月ぐらいだったか。骨折による古傷の左足指2本の付け根が痛くなり、ダンスをやめ21年になる。靴の存在さえ忘れていても無理はない。今回の葬儀に履き、ピッタリでよく似合うと思った。ダンス気分で参列したわけではないが、突然の友人の死に立ちあった鹿革の靴が鎮魂に「別れのブルース」を踊った。(自悠人)


四国良いトコ一度はおいで

2014-09-06 14:05:02 | アート・文化

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四国というところに足を踏み入れたことがなかったので急に思いつき出かけた。スリル万点、祖谷のかずら橋 徳島阿波踊り空港に降り立ったので徳島から始めよう。有名な大歩危(おおぼけ)渓谷は大小の青岩と碧流の織りなすダイナミックな奇観だが、そこから近い日本3奇橋の1つ、幅2m、長さ45m、高さ15mの「祖谷(いや)のかずら橋」は山あいの峡谷に渡した吊橋で国の重要有形民俗文化だ。かつて平家一族が追っ手から逃れるため、切り放し易いよう野生のシラクチカズラで編んだ橋とか。手すりはカズラ巻き、プツプツ切れたところもあり頼りなく、揺れる足元から遥かな谷底に祖谷川の清流が見え、緊張と恐怖の極に達した。「良い死に土産が出来た!」と叫んだが、死に土産どころか若返った気分だった。

四万十の沈下橋と田宮虎彦の『足摺岬』 高知県、四万十市に来た。日本最後の清流、四万十川は先頃の台風で土手に流木が重なっているが、やっと川にエメラルド色が戻ったという。稲が横たわり痛々しい光景を目にしながら四万十川最下流にかかる佐田沈下橋へ。沈下橋というのは増水時に川に沈むよう欄干なしで建造された橋、欄干にゴミがかかれば橋が流されてしまうからだ。濃緑色の山々を反映する翡翠色の四万十川を見下ろしながらの沈下橋ウォークは爽快だ。田宮虎彦の『足摺岬』、何度も映画化されたが覚えている?昭和初期、軍国主義突入の頃、自殺願望で足摺岬にやって来た暗い青年を演じたのはニヒルな木村功。抵抗不可の暗い時代、惨めな現実を生きねばならない人間の宿命を描いた短編で、四国最南端の足摺岬で始まる。戦争参加の可能性が生じた今読むのにぴったりの作品だろう。高知県では主要道路脇の至る所に憲法9条を守ろう!」のDscn1407_2 看板が立いた。(彩の渦輪)Dscn1409

写真は順に、祖谷のかずら橋をこわごわ渡る筆者、大歩危四万十橋にかかる沈下橋、最後の2つは足摺岬