あけぼの

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治安の悪い街をウロウロ忍耐の旅

2018-02-27 09:06:06 | 講演・アート・音楽・スピーチ

かつてメキシコ・シティに一年強駐在員として住んだことがある。後輩がその後を引き継いだこの市とその周辺を思い出して書いてみる。というのはその後輩が先日来訪し、一夕思い出話を楽しんだからだ。人口1000万人を超すメキシコ・シティは大都会、道は狭く車は大渋滞だ。市内見学は乗り下り自由な屋上遊覧バスが便利だ。後輩は「地下鉄、バスは乗らず、社用車とかかりつけタクシーだけ利用した」と話したが、筆者は違った。

 後輩が駐在になってから、久方ぶりにメキシコ・シティ訪問の1人旅をした。周辺の街を彷徨したのち、地下鉄で郊外へ。バスで6時間の州都、オアハカのモンテ・アルバン遺跡を目指した。紀元前400年頃から700年に渡り栄えた街だ。中央アメリカ最古、マヤ文明が最盛期を迎える前に衰退したサボテコ族の遺跡だ。踊る人々…拷問された捕虜の死体で、口から血を吹きだしている裸体像だそうだ…のレリーフがあったが今は人類学博物館に保存されているという。他に45度傾斜で建てられた天体観測の天文台もある。高台から眺めると石材の塊がぱらぱらと散撒した感じで、神殿、宮殿もあるのだが、石壁と石段のシンプルな遺跡群だ。メキシコの世界遺産は規模と内容でテオティワカンに勝るものはない。ここはアメリカから訪問してきた妻と石段登りを楽しんだ。これらの遺跡を見て思ったこと。歴史は語る。人類は知恵を出して新しい社会を創生するが他方、権力で人民を苦しめる非道行為もやる。オアハカに1泊しまた長距離バスでメキシコ・シティに帰ったのだが、なんと友人の宿が判らず右往左往した。警官にも2回聞いたがこれは愚かだった。彼らは田舎から首都警備のため動員され、ただ立っているだけ、ロボットのような警官だった。迷った原因は地下鉄の出口を間違えたこと。北口と南口を間違えたせいで45分迷い、夜遅く宿に着いたが、それでも無事着いたのはかつての滞在体験が役立ち、危険な街の夜の行動を支えたからだろう。怖い例を強調して話す嫌いもあるが私は体験者、警官を含めて6か月で3回脅されたり掏られたりしているのだ。だが、その体験に怯えて行動をしないのでは筆者の旅ではない。用心しながらも瞬時に頭を働かせ次の行動に移るだけだ。(自悠人)


出足は惨め、だが瘤は去り、笑顔に包まれた誕生日の快気祝い

2018-02-22 10:54:39 | 講演・アート・音楽・スピーチ

  2月20日は筆者、彩の渦輪の誕生日、且つ瘤夫(大動脈瘤体験者)、自悠人の半年毎の検査日で榊原記念病院へ。自悠人は足骨折の後遺症、痛み・むくみがあり松葉杖で、当然筆者がお供だ。出がけに保険証が見つからず、誕生日なのに「責めあい」でスタート、どこに置いたか記憶になく、遂にボケたかと落ち込んだ。保険証無しの場合は多分100%負担だろうと大金を準備し出かけた。病院の受付の女性は前回来院の日付けを見て「1割でいいですよ!保険証が見つかったらFaxしてください」、とFax番号をくれた。「さ~すが~榊原記念病院!」と感動してお礼を言ったら彼女はニッコリ。自悠人の主治医は心臓血管外科の部長先生だ。「手術痕が縮まり、良くなっている。破裂のリスクは無いから海外にも行っていい!」と。拙著、「地球千鳥足」を謹呈したら、「この前の本は『デートは地球の裏側で!』だったね!」とよく覚えていらした。読んでくださったんだ!先生は「次の来院は1年後でいいよ!」と。筆者が「そんな先では寂しいですよ!」というと先生は、「病院なんか来ない方がいいんだよ!」と、笑顔で、お口はポンポン。笑顔と笑い声で病院を後にし、市役所に保険証再発行願いに行った。棗(なつめ)さんという珍しいお名前、お目目がチャーミングな女性が、「お顔に見覚えがありますッ!」と素早く再発行してくれた。「棗は根が張る植物で『不屈、英語はTenacity』ですよ!」と教えてあげて、ここでも笑顔の交換。自宅に帰り病院へ保険証をFaxしている頃、自悠人はやっと筆者の誕生日を思いだし、近くのPietroへ。「紅ずわい蟹のクリームドリア」で「Happy Birthday!」と乾杯。 帰宅すると親友千代子さんから筆者の好みの色の素敵な花籠が。「お誕生日おめでとうございます。素敵な年になりますように!」とのカード付き。午後、自悠人が「確定申告に行って来て!」というので税務署へ。長い行列で2時間以上かかったが無事終えて帰宅すると、まあ、秀子さんが栗入りお赤飯を持って家に来てくださっていた。「今日は大安ですよ!自悠人さんのお足の怪我、もう2か月になるので治られる頃と思い快気祝い作ってきました!」と。美味しそうな栗おこわには赤と緑の2つの南天が飾ってある。夕食は食卓に千代子さんからの美しい花篭を飾り、秀子さんからのお赤飯と筆者から自悠人への快気祝いに準備した鯛で乾杯しました。(彩の渦輪)

   


自分は運がいいほうと思う?悪い方と思う?

2018-02-17 09:17:24 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 昨年の今日、2月17日、腹部大動脈瘤の手術をした。担当医の新本先生は言われた。「貴方は眠ってるだけでいいけど俺は大変なんだよ、大変な手術なんだから」と。実際私は3時間、何も知らなかった。気づいたときは病室のベッドに上だった。裏も表もない正直な先生だ、と思った。手術では3つに分けた人造血管、即ちステントが32cmにわたって腹部で繋ぎあわせ、挿入されているのだ。新本先生は東大出身、心臓血管外科の部長先生だが、偉い先生が「大変」とおっしゃるぐらい大手術だったと思う。命を貰ったと同じだ!このBlogの表題は朝日新聞のBe between欄の見出しで質問していたが、自分は運がいいほうだと思う。だが、同じ年の暮、階段から落下、足腓骨骨折、歩けず、7週間苦しみ、暫くは這いまわり、最近はびっこで伝い歩きするが、まだ痛みがあり、運が悪いなあ、と思う時もある。一体自分は運がいいほう?悪いほう?どっち?自分は運がいいほうだと思いましょう!(自悠人)


ラッキーセブンの7週目、歩けたぞ!有難う!

2018-02-12 17:20:24 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 骨折して49日目の昨日、やっと数歩、歩けた。びっこを引きながら。新田医師に足指付け根や平たい腫れの部分の原因を説明されて納得。「骨はくっついている。リハビリとして各関節部の強制的な運動を始めよ!」と。使えなかった膝から下を、風呂の温湯の中で動かせ、とも。本日は二階から下の食堂へと歩いた。恐れおそれだが一応びっこで歩けた!

辛かった約7週間。肉体的、精神的に辛苦を味わったなあ。折れた足首は少々痛いが、今後は一日、一日の歩きが薬だ。四つん這いが卒業出来、トイレの不自由からも解放され、見通しがついた!来週は車も使えるかな?アメリカ行きも松葉杖不要かな?こんなに素晴らしい気分になれたのは久方振りだ。読者のみなさま、ご心配有難う!

 喜ぶのはまだ早かった!昨夜、布団の上で急に立ち上がって2歩目に痛みが走った。ああ、くっついた骨がまた離れたか、足首の関節がずれたか?不安が脳裡に満ちた。が、5分後、あたかも足首に油を注入されたように軽くなった。元の木阿弥に返ったのかも、という不安と快適さが交互し、夜明けを待った。朝、同じようにびっこをひきながら歩けた!急に立ち上がった刺激で癒着した場所が離れて正常になったのだろう。動いたことが幸いしたのかもしれないが、「ラッキー!」の一語。今日からは、杖でびっこをひきながらも、歩け歩け運動だ。(自悠人) 


難病完全治癒までの努力:病気を忘れ玄米菜食&サティラロ博士

2018-02-09 13:30:49 | 講演・アート・音楽・スピーチ

  癌を発見された5年3か月前、まず本を読み大勉強した。 写真1.「今あるガンが消えていく食事」には啓蒙された。この本からは食事療法の意義と実際の食事レシピを学び、大変役立つ本だったが発売直後に“題名が駄目”と発売禁止になった。禁止になる前に買ってホントによかった!そして玄米菜食実践3年半、肉は鶏肉以外食卓から追放した。

問題は1つ、“肉体と精神への注意・努力は相反する努力だ”ということ。前者、肉体へは癌抑制に役立つ食品を摂取するため“癌を意識”せざるをえないが、後者、精神へは“癌を忘れて暮らす努力”が必要だから。教師、純子先生がいみじくも言い当ててくださったように、「海外バックパックの旅、歌、及びチャレンジ精神」が癌を忘れさせ、免疫力を高めただろう。写真2、サティラロ博士の2冊は特に感銘を与える著作であり啓発された。

写真2.「からだと心の栄養学」:、心が身体を変える、信じることの信じられない力、生命のための料理、変わった自然食の作り方、等、情報と意識の扉が開いた本である。「ある『完全治癒』の記録」:末期がんの宣告を受けたアンソニー・J・サティラロ博士は数回の手術後現代医学に見放されるが、東洋的食養法を知り、玄米菜食を実践するうち、16か月で奇跡的に完全治癒を遂げる(裏表紙の著者紹介より)話で、感動物語だ。

と、ここまで書いたら、そばから「夫いじめも書いといてよ!」と、まだ腓骨骨折が治らず這いまわっている自悠人の声。毒舌夫への反論…いや「夫いじめ」が当っているかナ…もストレス解消に役だったかもね。(彩の渦輪)

写真3.は写真1.の本の中の献立。他は筆者が良く食べる安全食品