あけぼの

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「のどごし」と「ヱビス」ビール

2012-09-04 10:01:39 | うんちく・小ネタ

今年の残暑は厳しかった。ビール産業は盛況だったろう。不燃物の回収場所には圧倒的に「のどごし」が多い。庶民は「のどごし」、プライドで頂くなら「ヱビス」か。勿論、お店では「生ビール」が一般的だ。日本では泡ビールが結構美味しいから愛飲者が多い。暑い時の飲物だから冷たくてビールと名さえつけば名前やメーカーは何でも良いではないか、と思いながら手ごろな「のどこし」も頂く。「ヱビス」の味が気に入って飲むわけではない。エビスはソフトに酔える気がするから気に入っている。癖のある「地ビール」など気分次第で飲むだけ。アメリカの友人が言っていた。「人生は安ビールを飲むには短すぎる(Life’s Too Short to Drink Cheep Beer)」と。美味いビール賛美派が作家William Brandt氏の名言を引用したようだ。そう言う人々も安価なビールを併用するようでよく売れている。

ところで私の場合、家ではそれこそ気分によって「のどこし」と「ヱビス」を使い分けて愛飲している。雰囲気と気分で飲むなら「ヱビス」、客人と一緒の時は必ず「エビス」だ。パーティをやる場合も「ヱビス」で招待客と景気づけする。テーブルに黄色の缶が並んでいると豪華に見え、食べ物を引立ててもくれるように思う。「ヱビス」ビールにシャンペン、ワイン、コニャック、テキーラ、等でアルコール類の追加をする。何でも飲めるとなると長時間にわたって飲めるのはビールだ。最近の客は健康を考えてかスマートだ。深酔いするような飲み物はほどほどにする。ドリンクスもジュース類よりお茶か水が好まれる。水割りの客も少なくなった。ワイガヤの気楽な会ではやはり「ヱビス」が楽しさを盛り上げてくれるように思う。瓶ビールは腕などに触れてこぼす確率が高いから嫌いだ。アメリカ人でもビール通の人は日本のビールが好きでサッポロビール好みが多いが、日本通のケビンさんは「大きなスーパーでヱビスを探しても見つからない!」とぼやいていた。

 ビールのチョイスはふところ状況にもよるだろうが、気分で、涼味で、プライドで、等、勿論個性的に選び、楽しく酔いましょう。ビールは生きる力に貢献していると考えるこの夏の酷暑だった。 自悠人(Aug.31, 2012


紅梅の下、少年たちの歓声

2011-02-12 14:08:21 | うんちく・小ネタ

 眼下の風景 絵は彩の渦輪の本より矢川の家の窓から見下ろし家々に囲まれた道と畑の空間を子どもたちが声をあげながら群れで追っかけっこをしている。どんよりした曇り空に紅梅が満開、暖かくなったサインだろう。道に転がって戯れている者もいる。ふと少年時代を思い出した。履物は何をはいていたのだろうか。今は運動靴だがその頃は藁草履か下駄だった。冷たさなど念頭になかったなあ。天真爛漫さは時代を超えて子どもの天性だ。眼下の子どもたちは遊びに飽きたのか集団で帰って行く。加齢者は来るべき時が迫ると童心に帰るのか、幼いものが愛しく可愛く感じられる。動物も含めて小さなものに慈愛心が増し仏心に至ったとさえ感じる。特に子ども連れの母親だ。出会うと子育ての苦労が手に取るように判るので寒空の自転車3人乗りは大変だろうと同情する。我が一家でも通って来た道なのだが当時は当たり前と思って妻への同情心などなかった。年齢と共に希望と覇気が減り、弱いもの、幼い対象に思いが向かうのか。平穏な市井人だが健康で、家族に大きな心配ごとが無いせいか。(自悠人)


さよなら、母のくれたアイロン

2008-09-08 07:41:27 | うんちく・小ネタ

家を守った大事なアイロンを捨ててしまったので3歳ぐらいの時の筆者と家族の写真。母は美人でした。 母のくれたアイロンがついに壊れた。接触が悪いので修理したかったが古くて部品がないという。偉大なアイロンだった。27年前鳥取県の実家を訪れたとき私がなにげなく「アイロン買わなきゃ」と言ったらしい。親ですねえ、すかさず近くの電機屋で買い、東京に戻る私に持たせてくれたのだった。快適な重さの日立のスチームアイロン、当時の新製品だったようだが良いものかどうか意識もせず使ってきた。すごいもの、と気づいたのはこのアイロンが火事を防いでくれたときだ。娘が大学を出たての社会人一年生、毎朝慌ただしく出かけるのが常だったが、その頃私も外出の多い日々だった。その日も私が出かけたあと娘が出かけ、私が夜帰宅すると、ぞ、ぞ、ぞ~っと胆が冷える光景が・・・アイロン台の上になんと娘のブラウスが広がり、その上にアイロンがペタンと置いてあるではないか。コードはコンセントにつながれたまま。ブラウスには焦げ目が付いていた。アイロンは熱かった。あわててコードを抜いたが、アイロンは炎も出さずに熱くなったり冷えたりを一日中繰り返していたのだった。娘が出かけてから10時間もの間熱いアイロンを衣類に乗せたままよくもまあ火事にならなかったことだ。娘はアイロンをかけているうちに気が変ったのだろう。人使いの荒い会社に勤めていて、朝は早送り状態が常だったから。

今ではサーモスタット付き電気器具は珍しくはないが27年前の話、まして鳥取県の田舎の話だ。便利な商品があふれている今でも私は安物に手が出るが、恐らく母は中年にもなる娘のために最新式の高価なアイロンを持たせてくれたのだった。そのお陰で火事を免れたことは間違いない。その母はまだらぼけながら元気だ。郷里に私が帰るととても喜ぶ。今週また会いに行きますよ、お母さん。頂いたアイロンは27年持ちましたよ。火事から家を守ってくれましたよ!お母さんずっと元気でね!(彩の渦輪)