以前佐渡を舞台にミニ物語、「Across the Milky Way」を書き、小さな賞をもらったことがあるが、その舞台の訪問は実は初めて。かけ足で佐渡の魅力をたっぷり味わって来た。ホント、予想通り風光明媚でロマンティック、美しい島だった。その昔流島の罪でやってきた人々に優しく接した佐渡の人たちは人情が篤い。瀬戸内寂聴さんが2年連続訪れたという由緒ある長谷寺は寺宝展示室が多い。徳川幕府300年の財政を支えた佐渡金山跡では当時の採掘状況を再現している。そして順徳上皇、日蓮上人、世阿弥等実物大の人形が演ずる佐渡歴史伝説館は最高。おけさ柿のシャーベットも最高。ここでジェンキンスさんの抱える太鼓番を買って、一緒に写真を撮らせて頂いたのは一大ロマン。小木では「たらい舟」に乗り、楽しく(いや、船頭さんに叱られつつ)運転体験、佐渡へと靡いた甲斐がアリャアリャアリャサ。(彩の渦輪)
バルト海狭沿い三国、エストニア、ラトビア、リトアニアを旅した折、エストニアのバス・チケット売り場でこの夫婦に会った。似たような年格好で旅好きのシニア夫婦同士、立ち話をしたが、あちらはブラジル在住、こちらはアメリカ在住、共通の友人を持っていたのが驚きだった。次にはラトヴィア旧市街の街かどで「小川さん!」と。「知人?」、彼ら夫婦が我々を見つけてくれたのだ。お互い休みなく動き回っている身、よくも同時刻にすれ違ったものだ。この夫婦とはバルト3国で予期せず計3回も会ったのだ。地球うろつき夫婦同士印象に残り、「では又!」でメールアドレスだけを交換し、ブラジル再会を約して別れた。1年後、ブラジル訪問時に洋子さんにブラジル移民史料館など案内してもらい、初めてお互いの素性や経歴など話し合った。その2年後の一昨日、東京で会ったのがなんと5回目。5か国で会ったのだからご縁も特別だろう。名前は栗原夫妻、今年、海外生活の自伝的随筆兼旅行記を上梓された。行動は筆者に類似、著作の内容も筆者著の「還暦からの日本脱出」に似ている。お互い技術者、考え方が似ているのだろう。2つの文化に長期居住した2夫婦、今度はどの国で会えるか楽しみだ。(自悠人)
近くの国立二中が毎年夏休みにプール開放してくれる。筆者は健康のために歩く。子どもの頃川で泳いでいたら蛭に吸いつかれ、それ以来水を怖がったので泳げないまま成人した。夫は泳げるが我流で、蛙泳ぎや犬掻きなど、動物顔負けのCoolな泳ぎ方だ。昨日の最終日に赤トンボが水すれすれにす~いすい。赤トンボを見て「もう秋でしょうか?」と聞いてきたのはこのプールで友だちになったリスベットさん。筆者は40分に15往復歩けば満足、彼女は15往復以上泳げば満足だった。リスベットさんはデンマークからやって来た国際交流基金研究員で、現在一橋大、大学院で研究している。若き日、慶応大学でPh.D.を取ったそうだが、きれいな日本語を話す。お嬢さんは13歳と15歳、日本に来たばかりで日本語はしゃべれないが英語は話せる。お嬢さんに日本語のボランティアを探しているというのでやってあげることにした。筆者はアメリカで教えていた関係上、英語で説明した良い教材を持っているので「準備しておいてあげる」と言ったら、「もう教材は充分準備しています。予習をし、質問を沢山準備していくので答えてくれればいいのです」と。お母さんに似て勉強家のようだから楽しみだ。一回目はお母さんも一緒に来るようなので、自悠人が「ドバイで買ったコーヒーを淹れましょう!それともアメリカのがいい?」と言ったらアメリカのは要らない!」と彼女が答え、母娘と我々5人で笑った。(彩の渦輪)
置物が被っているのは乾燥美人 月下美人、本年なんと3回目の開花が8月15、16日だった。1か月前の7月16日夜1個咲き、本年2度目と喜んだのだが(その前の開花があったので)、今回は2夜続いて1美人ずつ2美人で今年通して4美人、そのまた1か月前の6月16日にアメリカで、かつての隣人、Susanが咲かせたものを見たのとで計5美人を見た。この花は年に一夜だけ咲くことで知られており、事実昨年まではそうだった。白の大輪、人間を惑わす強烈な匂いは相変わらずで玄関一杯、吹き抜けの二階に届くほど。この夏の暑さは異常、四万十市で41度を記録、東京も37度に届いた。猛暑は植物を狂わせる。異常気象が月下美人を認知症にしたようだ。 人間はどうか。地球温暖化は益々進行するだろう。自然の変化に対応できる人のみ生き残れるような気がする。ご同輩の皆さん、環境変化への抵抗力をつけなければネ。「暑い、暑い」と言いつつ変化を求めず暮らすなら我が家の月下美人同様、認知症に取りつかれるかも。新しいことに挑戦を重ねるのは経験と勘で生きるのと異なり認知障害防止になると思っている。(自悠人)
DVDのお笑いを聞きながら考えた。笑って暮らせる平和な社会を次の世代に残さなければ、と。病気後筆者は「歩いて笑ってサヴァイヴだ(Survive、生き残る!)」と自分への合言葉にしてきた。「歩いて」の方はバックパックの旅に加えて「朝の30分速歩き」と時たまのプール歩きだ。「笑って」の目的のためにはこの春、DVD「昭和の名人による落語滑稽噺選」を買っていた。これを買った時の娘の談:「創り話に頼る笑いじゃだめ。日常生活の中に笑いがなきゃあ!」。そうかしらん?いけない、日常生活の中の笑いは減って来ている。朝、新聞を開くたび、憂いが増える。68年間国民を守って来た平和憲法が危うい。個人の権利は制限され義務は増える雲行き。朝の速歩き中、目に飛び込んでくるのは過ぎし選挙の「日本を取り戻す」ポスターだ。「取り戻すって、どこへ?」笑いの消えたある時代へ、いつか来た道を通って?胸騒ぎで病気が悪くなりそうだ。他方、落語DVDは名人12人による30話。留守がちで埃にまみれていたが今月やっと聞き終えた。期待に反し抱腹の落語は写真の米丸さんや今輔さん他、4話ほどだったが。
病気からの生き残りには笑いが有効と言うが、戦争からの生き残りには笑いは無効、どころか、笑いは消える。「戦時」が「病気」以上の脅威に思える所以だ。平和な社会を「失って」から「取り戻す」には無数の命の犠牲と無限大の努力が必要だろう。笑って暮らせる平和な社会を次世代へ手渡さねばならない。DVDを聞いて笑っている場合ではないという気になってきた。戦争を避ける文化が高まるよう、微力でも行動しなければ。(彩の渦輪)