あけぼの

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90歳の素敵な女性に歓待の大ご馳走を受けた!

2020-06-29 11:14:06 | 講演・アート・音楽・スピーチ

最近のBlogに紹介したが、四国八十八箇所を巡礼するお遍路の大ベテラン、Yoshiさんについて昭和記念公園を歩く会のメンバーがYoshiさんご母堂のお宅に招かれ大ご馳走になった。ご母堂は90歳、今年中に91歳になられる。だが1人で自立した御生活だ。ご母堂は客の我々の誰よりも姿勢が良い。宮大工が建てたお家の出窓には玄米の精米機があり、手入れの行き届いたお庭には無農薬野菜が実り、そのお手作り野菜を使ってお寿司、あんこ、フルーツ、その他の大ご馳走を頂いた。そのご姿勢も、自立したご生活も、おもてなしも、なかなか真似の出来ない、シニアのモデルだ。こういう風に年を取りたいものだと夫婦で何度も話した。Yoshiさんとご母堂が一緒にキッチンに立たれていた風景も微笑ましかった。筆者がもし90歳まで生きたとしても息子とニコニコ、キッチンに立つことがあるだろうか?疑問ですね!(彩の渦輪)

   

写真 1.美味しいお寿司 2.手作り餡子。小豆が潰れてないんです 3.自分で世話なさるお庭の一角 4.宮大工が建てた凝ったお家 5.素敵な彫刻のなげし 6.ご母堂を囲んで


恵比須さんが鯛2匹を釣ったエビス・ビール、知ってる?

2020-06-23 17:40:06 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 父の日に恵比寿ビール詰め合わせをもらった。創業130年記念のお祝いビールで、恵比寿さんが鯛を2匹を釣っているデザインだ。札幌ビールさんおめでとう!鯛1匹から2匹釣っているデザインに変えることで購買欲を高める効果があったかな。金色の缶に恵比須さんが鯛を釣っているデザインが好きで愛飲してきたが、今回は娘の団那が気を利かして贈ってくれたビールだ。その上、鯛2匹釣った絵は注文した彼も気付かなかったようで、お礼をいう時その話をしたら写真を送ってくれと。米寿の父の日のお祝いとして頂いたビールは、同じビールでも幸せ気分を倍加させ、缶の変化も影響し気分を高揚させ、特別美味しい。父の日の夜から毎晩頂いている。感謝、感謝!(自悠人)


記念樹の紅梅、人も小鳥もハッピーに観賞、おまけに梅酒まで!

2020-06-21 13:37:05 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 我が家の庭に1本の紅梅の木がある。これは42年前、長男Takuyaの都立立川高校入学記念樹だ。既に花の咲く成木だった。この紅梅、2月末、鮮やかなピンク色の花をつけ近所でも目立つ存在で通行人が見上げてくれる。小鳥たちが飛来し、ハッピーな表情で観賞してくれる。期待もしないのに毎年小梅が生るのだが始めのうちはほったらかしだった。が、ある時、梅酒を作ることを考えた。浸けて3年経てば美味しく頂ける。梅と焼酎の標準比は1:1だが、我が家では梅は2.5倍と多めにし、砂糖は標準の半分と少なめだ。梅が多い年には焼酎3升使った。3年で飲めるようになり、6年以上置けば特別な味わいだ。もう30年以上仕込んで毎年飲んでおり、我が家の栄養源だ。ところがここ2年、漬けるほど梅がならなくなった。木が茂って鬱蒼としたからだろうか。茂り過ぎで管理が大変なので幹や太い枝だけ残して切断しようと考え出した。植木の趣味が嵩じて健康飲料まで賄ってもらったのだから、この紅梅に有難く感謝している。梅酒は貯蔵品、当分は飲めるので、梅提供の役目は終わりでいいにしよう。花は観賞し続けるが、紅梅さま、ご苦労さま!(自悠人)


コロナから解放され公園へ:スカイデッキ、手作り弁当、鶯、と最高だった!

2020-06-20 16:40:37 | 講演・アート・音楽・スピーチ

空海ゆかりの四国88箇所を毎年巡礼なさるお遍路の大ベテラン、Yoshiさんは今年も無事巡礼してこられた。そのYoshiさんについて歩く会はメンバー6人ほど、先頃昭和記念公園を2回に渡って歩き廻り、スカイデッキに座ったり、大木の木陰で円陣を開いたりしてお遍路のお話を聞いた。セグウェイに乗っている人もいたりするこの公園、筆者の一番好きな紫陽花が今満開、テーブルの上の大木には鶯がいてランチの間中ホーホケキョ、ケキョケキョ!とバックミュージックを受け持ってくれ、視聴覚環境最高の素敵な会となった。Yoshiさん曰く、「お遍路の最初頃は鶯も歌が下手だがだんだん上手になる」と。Yoshiさんは料理が得意な男性で、持ち寄りと言っても、「Yoshiさん手作りのご馳走を頂く会」になってしまった。大抵のメンバーはドリンクスやデザート等、ささやかながら持ち寄ったが★先生はいつものごとく手ぶらで来て一番パクパク!大学名誉教授ならぬ不名誉教授ネ。食事後Yoshiさんについて歩いたらなんとYoshiさんのお家に到着、またまたコーヒーを頂き、団らんのひと時で「歩く会」の締めくくり。一番満腹の★先生はお邪魔したお家のソファーで居眠り。あ~あ! お持たせにパクつく人よりパクつかせてあげる人になりたいものですね。(彩の渦輪)

写真1~5.公園内の風景 6.食事後の団らん


老境の義父の心境が解る歳になったようだ!

2020-06-17 14:02:59 | 講演・アート・音楽・スピーチ

ワイフの父、Haruzoはインテリだった。高校の数学の先生をしていたが、実兄の勧誘があって40歳で田舎の起業家に。精米所経営、薪炭業、アヒルや鶏や鯉の飼育等、何でもやってみる人だった。年金の付く前に教師を止めたのだそうだ。ワイフは高校生の頃、父が買った山で薪の束を作る手伝いをし、父運転の“オート三輪”の助手席に座って街へ運ぶ、という、手伝いの日々だったと言う。私がワイフと結婚した頃には義父は小さなタクシー会社を経営、忙しい時は運転を手伝っていた。当時は砂利道で運転は楽ではなく、事故などの心配から妻である義母は、「タクシー業は長くはやりたくない!」と言っていた。老いてからは妻経営の雑貨店の店番に立ったりしたが気が乗らず、自動販売機の管理ぐらいしかしなかった。たまに東京から電話をすると、受話器を取り上げても、「おーいYaeko!」と電話機を妻に渡す。電話で話すのが面倒くさかったのかな。87歳ぐらいだっただろう。義母は耳が遠くて電話の対話は難しく、そのまま義父に話し続けてもらいたかったのだが。

 さて、私は当時の義父とほぼ同年齢になり、義父の当時の心情がわかる気がしだした。ワイフの買い物のHelpにスーパーまで運転してやっても、この頃は車から降りたくない。面倒くさく感じるのだ。以前は車の中でジ~っと待つのが嫌いだったのに。行動意欲減退はボケが始まる兆候か?老いても目標をもち、老化=ボケは辞退し、老化=精進とありたいものだ。(自悠人写真:3歳頃のワイフ