あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

「こうやってるうちに死ぬんだな~」

2011-05-27 08:54:43 | ブログ

 2011_26homeparty_008 二人合わせて152歳です

 ワイフとの日常会話は「チラシの目玉に飛んで行くかな」「シーツ洗わなきゃ」「メールの返事遅れてる、ああ、忙しい!」「床に綿埃りがあるから掃除して!」「庭木も刈らなきゃ!」「腹へった、めしだ!」「風呂!」「寝る!」などなど、他愛のない会話が続く。何処の家庭でも似たような会話が日常であろう。合わせて152歳となると、よくこの年齢まで生きていたと不思議にも思える。30歳代にまさか79歳まで生きていようとは想像もしなかった。新しい厄年と言われる77歳も過ぎた。

 非日常は突然にやって来るだろう。今回の311災害のように。あるいは生身である以上突発的、肉体的事故死もありうる。いつお迎えが来てもおかしくない年齢になったことは事実だ。つつましやかな暮らしにもやがては終止付がうたれる。さりげない日常会話が出来る時は足早に過ぎゆき、突然に非日常がやってくるのだろう。諸業無常は理(ことわり)なり。(自悠人)


ポルトガル西南端のバスにて

2011-05-26 13:37:02 | ブログ

015 友だちになった中学生と爆笑する乗客

 バスでラーゴスに戻る途中、乗車した地元の小、中学生たちが我らをジーと珍しい動物でも見るごとく見詰めていた。バックを探したが飴がなかった。余りに急いで探したので物売りに間違えられたようだ。その後彼らが「こんにちは!」と声をかけて来て友だちになり、バス中の皆と会話や笑いが続いた。4年生ぐらいの一人は流暢な英語で学校や日常生活を語ってくれた。農業や牧畜しかない田舎の集落で、1時間もかかるラーゴスの街には稀にしかいけない子どもたちだろう。下車する時皆が振り返って挨拶してくれたが、その地では珍しい観光客だったのだろう。ラーゴスの安ホテルのおじさんは東京に12年住んだことがあると、とても親切だった。(自悠人)


ユーラシア大陸西南の果て 

2011-05-25 15:18:07 | アート・文化

A_016ユーラシア大陸西南の果て、サン・ヴィセンテ岬

 ワンワールド利用の今回の旅、筆者の目玉は地球六大陸の最南端を訪問または再訪することだ。怒涛にもまれる岬は神秘性と強風以外に何もないだろうし無意味と思う 方もいるだろう。だがいくつかの場所は再訪であり、20数年前の記憶とその訪問過程等、現在と比較が出来る。今回最南端や南西端3か所を訪れたが、大自然の厳しさに変わりはなかった。そこへ行く新ルートでも様々な体験を得られ、旅の変化が楽しめた。鬼が出るか蛇が出るか、出たとこ勝負で地球上の人との繋がりを大切にして最初の10カ国ほどが終わった。

 ユーラシア大陸最西の果てとしてはロカ岬が有名で、多くの人が訪ねる。首都リスボンに近いからだろう。筆者もかつてその岸壁に立って遠くUKを眺めたことがある。今回は最西南端を目指し、列車とバスを使っての不便な旅となった。サグレス町を目指しリスボンはオリエンテ駅からチュネス経由で約4時間かけてラーゴスの街へ。アルガルヴェ地方の首都だ。紀元前300年ごろから大西洋・地中海交揚の恩恵にあずかって繁栄した歴史的には古い街だが今は国際的なリゾート地だ。宿を決めてからバスでサグレス町に向かった。着いた街から地の果てサン・ヴィセンテ岬までは、飛び込んで道を尋ねた事務所の女性が、ちょうど関連施設に行くとかで車に同乗し連れて行ってくれた。距離にして6kmあった。帰りはタクシーの迎えまで彼女が段取りしてくれた。彼女の名はジャクリーン、地震見舞いも言ってくれたが何とも親切な人に会ったものだった。4月初旬はオフシーズン、強い風の中に観光客はまばら、白い灯台だけが目立ち75mの絶壁に打ちつける波は紛れもなく怒涛だ。その飛沫を見つめながら歴史的背景を思った。スペインのバレンシアで殉教した守護聖人サン・ヴィセンテの遺体が漂着したという伝説から名命された岬だ。砕け散る波に地の果てを感じさせる場所だ。寒々とした岩場に怒涛音が強い風と共に唸り、流雲が舞う。生きている大自然だ。人間が作った微弱な社会を思わずにはいられなかった。(自悠人)


神代植物園バラ園訪問

2011-05-24 10:00:01 | アート・文化

Jindai_gif 先頃の日曜日、娘と神代植物園バラ園へ。大変な人だった。娘は毎年5月埼玉からやって来てこの薔薇園を訪問し、その都度一本ずつ買っては育てているので今年はお付き合いをした。ありとあらゆる色、形、大きさのバラが咲き誇り、蔓は周囲の壁際を飾っている。有名人の名前の薔薇コーナーもある。例えばジョン・F・ケネディーというのは白くパワフルなバラ、プリンセス・ダイアナの名の薔薇は可憐だ。筆者はオレンジがかった黄色の薔薇が好きなのでその周辺で携帯でパチリパチリ。オレンジ系の薔薇には、バレンシア、ゴールドクローネ、夢、等があった。薔薇の鑑賞後は苗直売所に寄り、娘は大輪をつけたアベイ・ド・イリューリ(シェル・ピンクに近い上品な淡い色)を、筆者は小さい花が二つ付いている香りのよいバレンシアを買った。最近の世界旅行で夫がバレンシア地方でスリ(掏り)に$400やられた記念にもなるし(?)。掏り記念には勿体ないないきれいな色だ。帰って大き目の植木鉢に植え替えて眺めた。娘は筆者の「バレンシアがいい」と言い、筆者は牡丹のように重量感のあるアベイ・ド・イリューリが羨ましかった。娘は一泊して埼玉に帰った。お互い、花に付く虫に注意して来年咲かせなくっちゃ。(彩の渦輪)


弧老よ、お金を遣って頑張れ!

2011-05-19 08:14:04 | アート・文化

  畑が多かった自宅の近所に建て売りが建ち続ける。農家の相続税対策のためか。買うのは幼児連れの若夫婦が多い。彼女らは何千万のローンを抱えて大変だと思うが、そこには希望があり夢がある。若さも味方する。

一方、弧老人の多くは体力の衰えを気にしてか「生きる気力もなくなった」と嘆く。日々、生活することの面倒も手伝っているのだろう。筆者も含めて、翌朝目が覚めるかどうか案じることもある。希望がないので惰性で生きるだけの存在になりがちだ。たまにはメリハリをつけて豪華な食事や旅行などを楽しめばよいのに、資産もあり、お金はばらまくほどあるだろうに、チマチマ暮らしが板についてか、羽目は外せない者が多い。趣味もお茶を濁す程度になりがちだ。さりとて死にたくはなく、近所の弧老など、連れ合いのいる人を見て羨望したりする。その子どもたちが心配してか、機嫌をとってか、孫にスカイプ(電話)などかけさしている。真意は「早くくたばって欲しい」のではないか、などと邪推するのだが。余談だが弧老人を引き取ったら夫婦仲まで悪くなった知人がいる。弧老人との同居だが、老人に家もお金もある一方、子どもは仕事や収入が不安定、というケースが多いようだ。若者はローンに追われたり、自分の家族が第一で年寄りに思いを致す余裕がない。昔と異なり、忍耐を美徳とする時代ではない。子どもが都会でバリバリ働いていてそれなりの資産があれば、親を近所に住まわせても同居はしない。片親になったら尚のこと、精々老人ホームに送りだすだけだ。

老いた親としては孤独のつらさに耐えて動けるだけ動き、一人で生きる努力をし、頑張るしかないだろう。そうして自分の貴重な貯金はどんどん遣いつつ天命を待つことだ。親が亡くなったら子どもたちは家屋敷を競売に付して兄弟姉妹で分割してチョン。お墓の守り?そんなものは23年続けばよい方だろう。これからは「先祖代々」、「XX家」「墓守」等は死語となり、「家族は一代」という時代が来るのではなかろうか。寂しいがこれが時代の流れというものか。もし残す遺産があるならば己の意思で社会に還元して世のためになることだ。誰でも弧老人となる。お互い覚悟しようぜ!(自悠人)