何とも不思議なことがあるものだ。自分が外国人であるという違和感がない街だった。旧ソ連圏から入国すればビザは必要なのに、韓国経由のアシアナ航空で到着したのでビザが不要だった。フライトが遅れ深夜ホテルに着いた。中央アジアではウズベキスタンのタシケントと並ぶ大都市、アルマティの人々の顔は日本人そっくりだ。ブッキング・ドット・コムで予約したホテル、オトゥラルは古びた、だが4★のホテルだった。アシアナ航空に同乗していた団体さんが我々夫婦より遅れて着いたのだから我々は旅のベテランということだろう。オトゥラル・ホテル内に旅行社があったので到着翌日、キリギス観光を優先させて航空機とホテルを予約した。キルギスへの移動は飛行機で、ホテル名はマイ・ホテル。行ったホテルでハイヤーを手配して動いたが、偶然だろうがベンツとレキサスという一流車種が利用出来た。アラ・アルチャ自然公園という、上高地以上の威容が楽しめる山岳地帯にも出かけた。数日後、カザフスタンのアルマティに戻り、28人のバンフィロフ戦士公園を訪問した。第2次世界大戦中の対ドイツ戦、戦勝記念碑や、園内のゼンコフ正教教会の美しい全貌、永遠に火の途絶えることのない戦士の墓などは見飽きないものだった。今回は通過的な多忙な旅、帰国後観光案内書を読んで記憶を呼び戻し、味わった旅だった。現地の旅行社を利用したりしてよく行動したものだと自分で感心し、微笑んだりしている。決断力が大事なこと、言うまでもない。(自悠人)
写真1. 28人のパンフィロフ戦士公園にあるゼンコフ正教教会 2.ホテル・オトゥラル 3. キリギスのアラ・アルチャ自然公園