あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

日本に居住している感じがし続けたアルマティ市

2019-05-30 15:22:46 | 講演・アート・音楽・スピーチ

  何とも不思議なことがあるものだ。自分が外国人であるという違和感がない街だった。旧ソ連圏から入国すればビザは必要なのに、韓国経由のアシアナ航空で到着したのでビザが不要だった。フライトが遅れ深夜ホテルに着いた。中央アジアではウズベキスタンのタシケントと並ぶ大都市、アルマティの人々の顔は日本人そっくりだ。ブッキング・ドット・コムで予約したホテル、オトゥラルは古びた、だが4★のホテルだった。アシアナ航空に同乗していた団体さんが我々夫婦より遅れて着いたのだから我々は旅のベテランということだろう。オトゥラル・ホテル内に旅行社があったので到着翌日、キリギス観光を優先させて航空機とホテルを予約した。キルギスへの移動は飛行機で、ホテル名はマイ・ホテル。行ったホテルでハイヤーを手配して動いたが、偶然だろうがベンツとレキサスという一流車種が利用出来た。アラ・アルチャ自然公園という、上高地以上の威容が楽しめる山岳地帯にも出かけた。数日後、カザフスタンのアルマティに戻り、28人のバンフィロフ戦士公園を訪問した。第2次世界大戦中の対ドイツ戦、戦勝記念碑や、園内のゼンコフ正教教会の美しい全貌、永遠に火の途絶えることのない戦士の墓などは見飽きないものだった。今回は通過的な多忙な旅、帰国後観光案内書を読んで記憶を呼び戻し、味わった旅だった。現地の旅行社を利用したりしてよく行動したものだと自分で感心し、微笑んだりしている。決断力が大事なこと、言うまでもない。(自悠人)

   写真1. 28人のパンフィロフ戦士公園にあるゼンコフ正教教会 2.ホテル・オトゥラル 3. キリギスのアラ・アルチャ自然公園


カザフスタン共和国でも日本人墓地訪問

2019-05-27 13:25:54 | 講演・アート・音楽・スピーチ

    広大な墓地で、1つの墓石の下に6人が埋葬されているとか、墓石は300ほどもあった。水力発電所等、種々の建設に従事した元ロシア抑留者たちだ。我々夫婦は海外でよく日本人墓地にお参りする。ニューカレドニア、フィリピン、ミャンマー、モンゴル、ウズベキスタン、そしてここカザフスタンだった。第2次世界大戦後日本人抑留者たちが強制労働に従事させられたのだが、ウズべキスタンではそれら日本人抑留者たちの墓を守ってくれているファジールさんと出会い、お茶まで頂けた。が、ここカザフスタンでは墓守は居ず、日本人墓地に案内してくれる人がいただけ幸いだった。墓地から帰ったら寿司屋ですね!「カザフスタンに寿司屋があるとは!」と驚いたが、ホテル界隈の散歩道の行き止まりにOcean Basketという寿司屋を見つけておいた。日本の大抵の寿司より美味だった。「日本人です」と写真撮影をお願いしたらVサインをしてくれ、大サーヴィスだった。カザフスタン唯一の事件は空港からホテルまでのタクシーの客引きが一緒に乗り、高額を吹っかけてきたことぐらいだ。乗る前は1000テンゲ(約360円)という約束だったが降りる時「20000テンゲ!」と。が、ホテルの受付につき合せ、5000テンゲで手を打った。その後、国立中央博物館に入り、かつてこのカザフスタンの大地をかけ巡った古代遊牧民の骨や衣装の展示にロマンのひと時を過ごした。(彩の渦輪)
  

写真1,2国立中央博物館 3.散歩道で 4.日本人墓地 5.6.7.寿司屋、Ocean Basketの入り口と内部


筆者が道を聞かれたほど日本人そっくりさんが往来する国~カザフスタン共和国~

2019-05-26 10:40:16 | 講演・アート・音楽・スピーチ

    Blogご無沙汰したわけは・・・カザフスタンとキルギスに行っていたんです!久方ぶりにスタンのつく国へ出かけた。カザフスタンの道行く人々は日本人そっくりで、つい、「あら、和子さん!」、「まあ、桂君!」などと声をかけたい衝動に駆られたが、散歩中筆者も道を聞かれ微笑した。区別がつかないほど似ているのだ。そっくりといってもカザフスタンのほうが美男美女が多い。だが英語を話す人が少ないので道を聞くのには苦労した。我々が訪問したアルマトイは、カザフスタン南東部にある都市で、白い雪を頂いたアラタウ山脈に囲まれた風光明媚な街である。キルギス共和国との国境に近く、商工業やカザフスタン文化の中心地で、20年前までは首都であり約150万人という、カザフスタン最大の人口を有する都市だそうだ。観光の見所はあまりなく、28人のパンフィロフ戦士公園や中央バザールを訪問し、コクトベという1070mの山へ登って市内を展望したぐらいで、日本人墓地訪問が1番の出来事だったが、美しい街の散策を充分に楽しんだ。日本人墓地はアルマトイ中央墓地の一角と聞いて出かけたが、墓地が巨大で迷ってしまい見つからない。物乞いっぽい人がいたので「ヤポンスケ」と言ったら墓と墓の間の道なき道を連れて行ってくれたのでチップをはずんだ。(続く!)(彩の渦輪)写真1.乗換の仁川空港にて 2.アルマトイ空港 3.泊ったオトゥラルホテルのレセプショニストと 4.5.ホテル近くの散歩道 6.7.日本人墓地(地元の人々の墓地、8、と大違い) 8.地元の人の墓地

    


コーヴァラム・ビーチでサンセット観賞

2019-05-05 12:54:14 | 講演・アート・音楽・スピーチ
 大石の点在する荒波の海岸線に沿って一路北上し、きれいな湖のあるリゾートに到着、アグアサレーノホテルに決めた。オフシーズンで宿泊客は我々だけ。食事が口に合わないので人力車で街に出た。散髪、時計修理などして地元民の暮らしを体験し、果物も買い込んでその廉価に驚いた。折角湖畔の宿に来たのだからとボートで湖上周遊したが我々だけ。30分7ドル、船影のない観光は侘しいものだ。翌日目的のコーヴァラム・ビーチに。紺碧の海と椰子の列、歩けばキュッと鳴る砂浜、アラビア海に沈む夕日が美しい。3つのプール付きホテルに泊まり、砂浜に接する土手に備えられたテーブルでビールを頂きながら海に落ちるサンセットを観賞することにした。気分は最高!!!イギリスから来た同年齢の旅人夫婦も別テーブルで入り日を観賞していた。近くの2ホテルに2週間滞在してインドの休暇を楽しんでいるという。イギリス人のゆとりに羨望と共鳴を覚えつつ、我々日本人は1か所に長期滞在するレジャー型休暇がまだ身についていない人種だと改めて実感した。(自悠人)

空港のトイレにウェイスト・バッグを置き忘れた!

2019-05-04 13:01:15 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 旅先での失敗談をひとつ。香港空港で下痢に襲われトイレへ。ウェイスト・バッグを置き忘れ、「あっ!」と気付いたのは20分後。血の気が引いた。慌てふためきそのトイレに駆け込んだ。「あった!」。20分間も経ていたがよくも盗難にあわなかったものだ。入ったトイレがハンディキャップ用だったからか。貴重品全部入ったウェイスト・バッグだ。ムンバイ-カシミール間の航空券、移動ハイヤー代、ホテル9泊代金等、$3500は入っていた。運に助けられたのだった。体調を狂わせたのは前夜の香港での魚料理。筆者は翌早朝から、ワイフは1日後、コモリン岬行きのハイヤーの中で嘔吐と下痢が始まった。土砂降りの中3回車を止めてもらってトイレに駆け込み、4時間かかってホテルに到着、翌1日ホテルで寝ていた。ムンバイで入国、アライバル・ヴィサで通過出来ることを空港係官は知らず、滞在先の確認その他で待たされること1時間。空港からのタクシーも運転手がホテルを間違える等、散々だった。有名なインド門に近い場所だったのだが。(続く。自悠人)