あけぼの

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文化に触れる長距離バス

2010-05-28 13:56:40 | アート・文化

049 南米の国々ではよく北米のスクールバスのセコが使われている

海外バックパッカー中はよくバスを使う。経費も安く、そのお国柄や土地の人々を通して文化を知ることが出来るからだ。時間がある時は夜行バスを利用し宿泊代替りにも使える。途中下車しない専用の急行バスより入れ替わりの激しい路線バスの方がより変化に富んでいて楽しい。60代までは感じなかった疲れを70代後半ともなると感じるが、6時間ぐらいなら痛痒はない。

 首都キトー(エクアドル)から乗車したリオバンバ行きの路線バス。4時間の予定だったが5時間以上かかった。なんとトイレがない。標高3000mのアンデスを縦走するコースである。乗客は地元の人たちでノンビリムード、停車ごとに入れ替わり立ち替わり乗り込んでくる食べ物の行商人のおかげで、飲み食いの心配はないが出す方が心配。トイレ休憩があると思ったがそれがない。かつて利用した中南米の多くのバスには便所がありしかも必ず休憩があった。初体験である。男は停車を利用して外で用を済ませるが女性は大変だ。放牧されている牛や馬のように青天井の下で行うことを当然とし、インデヘナの人たちは黙って辛抱しているのだ。人権無視もはなはだしい。地元の輸送機関はバスだけ。バス会社は「バスを通してやっているのだ」というお上意識なのだろう。許されないことだとワイフと共に憤りつつ、「途上国でバスに乗るからには大人用おしめが必要品だね」と悟った。

 

 この経験から、リオバンバからグアヤキル間の5時間乗車ではトイレのあることを確かめてからチケットを買った。だが便所に鍵がかかっていた。車掌に用をたしたい旨を伝えても「その先で止まるからその時外でどうぞ!」と言って相手にされなかった。鍵のかかったトイレって何のためにあるのか。壊れているのか、掃除が大変だから使わせないのか。しばらくして車掌が「カギを開けるから」と言ってきた。われわれが外人だから気を使ったのかもしれない。ワイフがトイレを使ったら、待っていましたとばかり女性客が並んで続いたのは言うまでもない。トイレ以外は満足のいく旅だった。世界遺産の街、クエンカからキトーまでは航空機にした。バスの10時間が飛行機では35分で着くのだが地方文化に触れることがなくて味気ない。時と場合により悠長なバスがより魅力だ。(自悠人)


「ゲゲゲの鬼太郎」の里、「ゲゲゲの女房の里へ」

2010-05-27 20:23:42 | アニメ・コミック・ゲーム

母校鳥取県立米子東高校の同期生会に参加のため帰郷した。母の墓参のあと、皆生温泉で同期との再会を楽しんだのは言うまでもない。そのあと近くの境港市、鬼太郎ロードに行った。鬼太郎グッズ-鬼太郎煎餅、鬼太郎どらやき、鬼太郎焼酎、鬼太郎ビール等-目につくものなんでも欲しくなり手当たり次第に買い求めた。ついでにゲゲゲの女房、武良布枝さん(水木しげるの奥さん)のご実家のある安来市の大塚にまで足を伸ばし、布枝さんのお兄さん、飯塚さん収穫の蜂蜜を頂いてきた。安来市の一角、こじんまりした大塚の町は「ゲゲゲの女房」がTVで放映され始めてから観光地となり、幟がはためき、無料駐車場が沢山作られた。「ゲゲゲの女房」のご実家にやってくる訪問客、ミーちゃん、ハーちゃんを接客するお兄さんの説明は滑らかだ。筆者はこのお店で「ゲゲゲの女房」の原本を買い、お兄さんと手を繋いで写真に収まった。

大量のゲゲゲグッズや牛乳瓶に入れてくださった貴重な手作り蜂蜜を持って東京に帰るのには神経を使ったが心が浮き浮きした。ゲゲゲの鬼太郎は40年前は自分の子どもたちと歌い、近年はアメリカの大学でクラスの学生たちと歌ったりしたものだから。アメリカの大学生の結構多くがゲゲゲ系アニメも映画も水木さんも知っているのは嬉しいことだ。ミーちゃん、ハーちゃんの旅は楽しかった。(彩の渦輪)


鳥取砂丘

2010-05-20 09:16:37 | まち歩き

Photo  USのJ-AngleNew-Mexico州のホワイトサンドを投稿したので日本の砂丘も比較のため投稿するのも面白かろうと帰郷のついでに寄ってみた。鳥取砂丘は神話、因幡の白ウサギで有名な山陰海岸にあり、山陰海岸国立公園内の一部である。砂丘の延長線上には日本海の荒海によって形成された海食崖、洞門、洞窟、岩礁など海蝕の造形美があり、国立公園の中で荒々しい岩石美を示す海岸と好対象に優美で開放的な砂浜が鳥取砂丘である。地形の起伏の大きさ、風紋、砂廉、すり鉢など東西16キロ、南北2.4キロにおよぶ砂丘で面積は545ヘクタールとその規模はさほど大きくはない。

 砂丘は文字通り砂で出来た丘、砂は岩石(鳥取砂丘の場合、花崗岩)が風化し河川によって海に運ばれていくうちに細かく砕け磨かれてできる。海に流れた砂は海から陸へ風や波浪に運搬され、吹き上げられた砂が地上の障害物によって風速が弱められると砂粒が失速して堆積し砂丘ができる。砂丘は生きている。砂丘は生き物のように表情を変え、風紋を描いては消し、消しては描く。時には大きな凹凸を作ることもある。勿論、注意深ければ小動物の生息を見る。不毛に見えて植物も育っている。砂丘はわかりやすい自然の活動だ。生長し、変化し発展して最後は消滅するであろう。まわりの環境が変わるからである。海面の上昇して海岸砂丘が水没したり海面が低下して海岸線が後退することで砂の供給が途絶えるこもあろう。単純に見える砂丘も多くのロマンを想像することで人生になぞらえることが出来る。筆者も人生を思う。

砂丘と言えば,平坦な砂の原を想像しがちだが、実際は起伏が多い。駐車場から正面の木材階段を上がって見える通称馬の背状の小高い丘が砂丘の頂上で、砂丘第二列と呼ばれ高さ47メートル、上るのにひと苦労だが、頂からは砂丘の広がりと雄大な日本海が一望できる。汗をかいた身体に潮風が心地よい。砂丘の西方には、青い水をたたえた多鯰ヶ池が見える。かつては日本海に続いていたが、砂丘によって堰止められてできたもの。周囲3.4キロメートル、日本海海面より16メートルほど水面は高く深さが17メートルもあることからこの池には大蛇が住んでいたとの伝説もある。

 砂丘の魅力を堪能するにはやはり歩くに限る。自然が作り出す芸術作品、美しい風紋や砂廉、砂丘独特の動植物など、自らの足で歩くことによってより多彩な表情を見せてくれる。馬の背状の小高い砂の頂を崩さないように新しい足跡を付けながら歩く魅力は格別だ。足元でキュッ、キュと清んだ不思議な音を聞く。砂を踏みつけることによって砂の摩擦で発する音、「鳴き砂」と呼ばれ風情を誘い、夏は清涼感も齎す。

 

 鳥取砂丘だけでは空しいと思う方は国立公園内で岩石で入り組んだリアス式海岸が楽しめる。岩山に点在的に生息する松の緑は筆舌に尽くせぬ天然の芸術である。(自悠人)


地球の一角でインテグリティー(Integrity)説教

2010-05-02 09:18:45 | まち歩き

 Laosdec_019_3 筆者はアメリカで長きにわたり日本文化を教えてきた。見え透いた言い訳をする学生には必ずと言っていいほどお説教をしてきた。「Integrity(信用しうること、また言行一致)の高さは対人関係の相手方にとってだけではなく君の人生も大きく左右しますよ」と。生き方のヒントになる精神的教育を受けたことのない若者が多く、筆者の話をよく聞いてくれた。

 このお節介おばさんは近年ベトナムでも警察に立ちよった。かなり立派で古そうな店構えの中華レストランで、具無しスープ、原価は零円に近いスープを35ドル(2人分で70ドル)も取られ、他の料理もやたら高く領収書はなし。が、マネージャーは現地語、英語、日本語の全てに堪能なインテリだった。抗議も埒があかず時間を割いて警察署に立ち寄った。ここの警察署員はドミニカの警察ほど素敵ではなくレストランの味方だった。「スープは時価ですから。領収書がないなら発行するよう電話しておきますよ」と税金逃れもお見逃しだった。このおばさん、帰国後お説教の手紙を日本から出した。「貴方は人を騙すために外国語を沢山学んだのではないでしょう。人生一からやり直しなさい」と。ドミニカのお説教は前回投稿したが楽しい事件だった(彩の渦輪)