馬鹿の大足と言われるが、好き好んで大足になったわけではない。肉体労働が原因で手、足が発達したのだと思う。もともと体の骨組みは大きく、身長は昔でいう6尺(180cm)近くあった。青春時代百姓をした。若者向きの力仕事は汗と泥まみれ、手足で身体を支えながらの仕事だったので手足が大きくなったのは当然だ。物資の不足していた戦後、履物は当然藁草履、しかも踵のない足半(あしなか)と呼ばれた草履で自分の踵は直接地面につくものだった。手も同様。保護する手袋はなく、何でも直接素手で掴んだので爪の間はいつも真っ黒だった。これが百姓や木こり(山仕事)の仕事だった。 さて本題の靴物語だ。いつどんな折に靴を履いたか記憶にない。鳥取県の田舎には大きい靴は無く特別仕立てだった。懸命に働き、他人より遅れて入学した学生時代も特別仕立ての靴一足で4年間過ごした。東京にも筆者の足に合う靴はなかったと思う。靴底に金具を打ち付けて減らないよう心掛け、頻繁に修理した。友達と歩くと「お前と歩くと馬と一緒に歩いているようだ」とからかわれたことがあった。歩くたび、「パカパカ」と馬のひずめの音に似た金属音が鳴り響いたからだ。確か靴の料金は8千円だった。当時学生寮生活をしていて、授業料と寮費と小遣いの1か月分の合計が靴と同額の8千円だったと思う。
高価な靴と過ごした青春は百姓の代償か、修正人生への転機か。若き日のあのパカパカ靴はわが生涯を占ってくれたような気がする。忘れ得ぬ体験を思うにつけても脳裏をよぎるのはあの靴を買ってくれた母親の愛情だ。 (自悠人) キャプション:パカパカ靴はもう無いので、代わりに彩の渦輪がプレゼントした「GTHawkins:Traveler」を履く自悠人。