あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

ちょっこし米子、ぐるっと松江

2012-06-18 16:25:00 | まち歩き

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会場の全日空ホテル             この電車で松江へ

このブログにちょいちょい登場する母校、鳥取県立米子東高校の52期同期生会で米子へ。59人とは好成績でしょう。今回は関西からは多かったが東京方面からは2人、若々しい元青年たちと写真撮影、お喋り、カラオケ、等々、筆者は3次会までお付き合いし、12時頃近くの古い旅館まで歩いたが米子市は安全でした。翌日は友人と松江を訪問、前回はいつだったか思い出せないほど久し振りだった。「ぐるっと松江レイクライン」という赤くおしゃれなクラシックバスで松江城下巡りをしたが、松江城はもとより、松江大橋、小泉八雲記念館、武家屋敷、宍道湖に落ちる夕日に包まれた県立美術館、等々、松江はどこも美しく、友人と再訪を約した。カラコロ工房という手作り商品のモールで娘へのお守りさん、メノウの勾玉を、夫の手のリハビリ用にこれまたメノウの「健康にぎり石」というものを買った。瑪瑙の産地ですからネ。(彩の渦輪)


「あなたの絵はどれ?」

2012-06-13 22:29:47 | アート・文化
T_001 筆者、自悠人の絵

 028 若葉会の仲間、山本文江さんの絵「郷やまの風景」

趣味の絵の展示会で昨日会場係の当番をしていた。お客に仲間の絵を調子よく解説中、「この絵は中学の先生の描く絵ようにまとまっていて飾るには良い絵だ」と評したら「そう言う貴方の絵はどれ?この人はとても上手いんだゾ!俺は絵描きだ。」との言葉が飛んできたのだ。私が解説した仲間N氏の絵は彼の一番気に入った絵のようだった。偉そうに喋る筆者のことを「一体この男は何者だろう」と思ったようだ。筆者の絵を見た彼の表情は「なーんだ。月謝が足りん!」と言っていた。筆者が初対面の人に平気で仲間の絵を評したのでプロとして聞き捨てならなかったのだろう。彼は私の絵を見て遠近感の無さを取りあげ具体的に指摘した。玄人に批評されて有難かった。「私の画廊に来て見てください」と名刺も頂いた。機会を見て行くつもりだ。展示会のお客に話しかければ意見が頂けることが多い。(自悠人)    


ある招待で大月から河口湖へ

2012-06-12 18:02:04 | アート・文化

005 ご自宅前の橋。近くに倉岳山がある011 日本三代奇橋の1つ、猿橋 

 あるきっかけから「今度は私たちの家に来て下さい」と招待を受けた。一昨年1月、アメリカ20年間の暮らしを切り上げて以来、国外はバックパックの旅、国内は交際の旅が主となり、今回も相互に関心を持った家族だった。場所は大月の在、甲州街道沿いの旧家だ。女系家族でご主人は勤め人、子どもたちは家を離れ独立している。驚いたのは住居裏庭に中央線の駅があり、移動にはJR自家用車のごとく自由に使えることだ。山に囲まれ、畑の作物はイノシシの被害に会う小さい村、4代前より家業は酒類と生活必需品店だったが、これからは新しい企画で現代風の商いを目指しておられる。ご接待だが、まずは家屋敷やシイタケ栽培場を見せてもらい昼食、車で河口湖へ。途中猿橋にも寄り、オルゴール博物館では大型オルゴールで本物の交響曲のような演奏を聞き、薔薇園を見て、スバルライン近くのドイツレストランで地ビールを味わいながらの夕食。至れり尽くせり、心からの歓待を受けた。会話も弾んで情報交換には気合いが入った。017

019スイスのようなきれいな建物、オルゴール博物館

最近ご招待が非常に多い。友達を訪問し交流から得られる心の豊かさは老後の人生をも豊かにする。今年になってT家、K家、T家、Y家、T家、K家と招かれた。それぞれご招待の内容に特徴があって印象に残る体験ばかりだった。まだ続く。もうすぐ宮城県と北海道だ。(自悠人) 


満潮時に捕虜が死したサンチャゴ要塞

2012-06-09 19:47:07 | ブログ

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サンチャゴ要塞               満潮時にはここから地下牢へ海水が入った

第二次大戦中日本軍が占領、水面下の地下牢なので多くのフィリピン人が満潮時に水死させられたサンチャゴ要塞に行った。海水が入り込む穴が口を開け、見るも辛い地下牢だ。戦時中とは言え、マニラ市のど真ん中で神も仏もない地獄社会が展開されていたのだ。(彩の渦輪)


睡眠薬犯の隠れ家再訪:意地のサン・ミグエル

2012-06-08 14:37:37 | ギャンブル

T_069 1611年創立のUST(University of Santo Tomas)。T_068 33年前魔のサン・ミグエルを振舞われた雑炊屋と思えるUSTの裏門附近の店。再訪して客にご馳走して来た。

  1979年、アジア最古の大学の一つ、USTを訪問した。威厳のある正門から入り、学生たちと話し裏門に抜けると……純朴そうなおじさんに誘われある雑炊屋へ。魔のビールをご馳走になった。(J-Angle 第31回「マニラの裏町で乾杯:魔のサン・ミグエル」)隣の二階でおじさんの妹君にマッサージを施され、まどろんでいる間に財布の中身もフィルムも抜かれたのだが、あの時同様、雑炊屋は狭く奥行きは長かった。だが改装され、隣家への恐怖の階段は無かった。店内には客23人、こんどは自分でサン・ミグエルを買い、客に振る舞い、無事USTの表側、正門へ戻った。お金もフィルムも抜かれずに。 (彩の渦輪)