中米は日本から行くのにはちと遠い。近隣諸国の旅に飽きて中米に目を向ける人は風変わりで個性的な人が多いようだ。US経由となるからメキシコを除いて殆どの便の到着は夜八時以降となる。今回のグアテマラ行きにはグアテマラ・シティの日系人経営の安宿を使った。夜の便にあわせて空港までタクシーで出迎えしてくれるので不安がなかった。旅行社を兼ねているので観光の相談にも都合がよかった。夜毎日本からの観光客と出会い、食事をともにした。年齢、性別を問わず4ドルの夕食を囲んでの会話と情報交換が弾んだ。ロスに一泊した九州からの女性は歯科医さん、日数少ない休暇を活用してグアテマラのパナハッチェルという湖を見るだけの目的の旅で、個性を感じた。旅情報は勿論のこと、人生論も飛び出して有意義な夕食を楽しんだ。ホンジュラスのコパン遺跡では20日間の中米横断の旅と称した日本人ツアーにも会った。熟年女性たちが中心だったが、その中には目の見えない夫を連れての女性もいた。この夫は己が足と心の目を駆使して中米諸国を見ようと意気込んで出かけたのだろう。この盲目の夫は目の見える大勢の女性観光客より以上に多くのものを己が記憶のスクリーンに焼き付けて帰ったことであろう。(自悠人)
小学二年生の教室二つを夫婦で訪問した。場所はオハイオ州の田舎町、シンシナーティから50分の距離、学校の周辺は主として農家や商家があり、たまに立派な家もある地域だった。全校生500人、五年生までで21クラス、35人の先生(男性1名)で構成されていた。訪ねたクラスは二つとも25名で全員白人、いずれも女の子のほうが多かった。教室の壁いっぱいに生徒の視覚に訴える絵、単語や数字の教材が貼られておりVisual教育の徹底化をみた。
二年生なのであくまで楽しく日本を理解してもらうという姿勢から巨大地図を貼り、日本の地理的特徴、人口、言葉、食べ物、スポーツ、漫画など話し、子供に興味を感じさせる折り紙のピーコックや本のしおり作りのワーク・ショップを行った。折り紙できもの人形を作り、人形より大きい台紙にその人形を貼りつけ、ツマヨウジで頭を作り、出来たしおりにリボンをつけ、それにひとりひとりにカタカナで名前を書いてあげた。ゲームではお箸を持つ練習をしてから2チームに分け、マシュマロを掴むお箸リレーをやった。これも大受けで、下手な仲間のときには選手の名前を呼び合って応援し大変賑やかで大喜びだった。最後はこれもチームに分け、日本から持参の紙風船のバレーをさせてあげた。
生徒たちは私たちの説明のあと、質疑応答時には非常に積極的だった。特に日本の食べ物やスポーツへの関心は高かったが、そのほかにも以下のように驚くほど広範囲にわたって質問がでた。子供たちが自主的に日本について聞いたことを列記すると
1) 日本のアルファベットについて
2) お札の絵は何か
3) どんな家に住んでいるのか
4) 日本人は誰もチョップ・スチックを使うのか
5) 学校に行く手段は何か
6) 講師のあなたはどんな仕事をしているか
7) 日本にはどんなペットがいるか
8) 地震があるのか
10)テクノロジーはどんなものがあるか
11)子どものスポーツについて
12)チャイニーズ・フードを食べるか
13)スライディング・ドアーがあるか
14)スパゲティを食べるか
15)日本の家にガレージがあるか
女の子は結構おしゃれで、ワイフのアクセサリーが好きだとわざわざ褒めにきた子が数人いた。この地では東洋人は少なく、日本人と話をしたことは始めての子が多かったと思う。今日の体験はとても楽しかったらしく、授業が終わってから多くの子供たちが我々にハグしてきた。中には5回もハグしにきた子がいた。その上伝えたい気持ちが抑え切れなかったのか、更に紙切れに自分の名前を書いて渡してくれた。折り紙だと言って手持ちの紙を折ってくれた子もいた。精一杯のお礼と親しみの気持ちだろう。日本の同年の子供たちならどうするだろうか。授業中の子どもたちの真剣で純粋な眼差しに心を洗われた一日だった。(自悠人 Feb.23, 2007)