イーナはシンシナティで長く下宿屋をやり、日本人とモーリタニアの学生を好んで受け入れてきた。我々は年に2度はシンシナティに戻り、イーナの家に泊まり、下宿中のモーリタニア人留学生と長い間友情を深めて来た。モーリタニアはアフリカにあるイスラム国、イーナが若き日旅をした国で、それ以来彼女はこの国の留学生は無料で置いてきた。今回イーナに世話になった留学生たちがお礼にやってきた。大学教官もいた。筆者はかつて全米で学ぶ日本人留学生の研究をしたが、18年前のその時アンケートでお世話になった大学教授も居た。地球上の人の縁!日本から持参した招福小判というお菓子をあげ、「今度はモーリタニアか日本でお会いしましょう。イーナと一緒にね。クスクス(北アフリカの名物料理)を作ってお待ちします!」と言ったらニコニコ、別れるときはお目々ウルウル。日本人、アメリカ人、モーリタニア人の心が1つに溶け合った。(彩の渦輪)
同期生会のため郷里米子へ。玄米菜食の先生、TAMIO君(以後T君)は米子東高の同級生だ。飛行機で米子鬼太郎空港に着いたらT君がご夫人、妹様と空港に迎えに出てくださっていた。彼は東京から米子まで途中一泊し、車道中を楽しんで先に着いていたのだ。すぐに米子駅前のホテル・ハーヴェストへ。ここで母校の校長先生や同窓会長さんと会合、提案中の高校生留学についての打ち合わせをし、引き続きT君の運転で筆者の実家まで送って頂いた。翌日は米子市の全日空ホテルで同期生会。会が中締めに近い頃、筆者はT君と壇上に立ち、「T君ご指導の玄米菜食のお蔭で生きてます!」と。彼は筆者の終活第一歩、レコード作りを公開、続いて住友製薬の常務取締役(医薬品開発担当)をしていた薬学の大家J君が立ち、玄米菜食の否定はせず、筆者を持ち上げてくださった:「手術後すぐに危険な国に出歩く勇敢な女性です!」と。有難う!「はい、筆者には放射線治療も化学療法も無し。玄米菜食で身体に活力を、バックパックの旅で精神に活力を得ているんです。」(彩の渦輪)
Blogご無沙汰したわけは・・・Cincinnati, Ohioで用事をし、友人に会い、Nashville, Tennessee へと センティメンタル・ジャーニー、その上帰国直後から郷里で高校の同期生会に参加と半月以上マグロをやっていた。音楽の町ナッシュヴィルへは25年振りだった。アメリカで家を買った1991年に日本から子どもたちがやってきて一緒にナッシュヴィルへ。エルヴィス・プレスリー家を訪問、庭にボーイング727の自家用機があって驚いた。カントリー&ウェスタン・ミュージックのショウやリヴァー・フロンとの観覧席も楽しんだ。時は年末、娘は夜のパーティーで12時になったらお客同士グラスをカッチンし、「Happy New Year!」と言うのを楽しみにやってきたので良いホテルをと、Hiltonに泊まったが、今回は夫婦2人だけなのでガクンと格を落としMotel 6へ。部屋は新しく安く、親切で良かった。が、センティメンタル・ジャーニーは期待外れ、GRAND OLE OPRYには25年前の面影は無かった。十数年前に大洪水があり全てが新しくなったそうだ。Country Music Hall of Fame and Museum は中でショウも美味しい食事も楽しめ、1日遊べるところだったが、大変な行列の末やっと入れた。Vanderbilt Universityを再訪、医者の卵やイエメンからの研究生と友だちになった。特筆すべきは人々のFriendlinessだ。ナッシュヴィルの人々は例外なくニコニコと質問に答え、説明は丁寧、遠路車でガイドしてくれたりと、親愛の情に満ち、センティメンタルな2つの心を温めてくれ、後ろ髪を引かれつつ、I-65~I-71へと高速を運転してCincinnatiに戻った。(彩の渦輪)
写真1.Vanderbilt Universityのキャンパスでイエメンからの研究生と 2.GRAND OLE OPRY入口 3.Country Music Hall of Fame and Museum 4.Music City Center 5.ナッシュヴィルのダウンタウン風景