去年まではこんなに可愛かった(Hahaha、何年前の写真?)去年の夏までは良かった。若いおバチャマと呼ばれることも結構あったりして。秋ごろから急に唇が切れだした。切れ目の入った唇と呼応しあって口の周りに皺が次々と…ああ、皺また皺が放射状に出来、あっという間に鼻の下一帯が乾いた梅干しになっちゃった。「嘘でしょう? もうすぐもとの顔に戻るんでしょう?」と鏡の中の皺オババに尋ねたが返事はなく、皺は増えるばかり。娘が来て「お母さん、何その顔? 急に皺だらけになったね!」と冷酷な判決。信じまいとしてきたのに「やはり事実なんだ!」。娘は「ケアーをしなかったからよ!」と追い打ち。はい、すみません。ケアーどころか何もつけず…化粧水もクリームも何もつけず、何年も途上国でバックパックの旅をやってきたんです。その結果でしょう、とせめて自分を慰めましょう。「笑った顔は10歳若く、怒った顔は10歳老けて見える」と以前友人に言われて以来なるべく笑って過ごすことにしてきたんですけど、もう笑えなくなりました!笑ったら口の切れ目が開き血が出るんです!おバチャマからおババちゃまへの境はひょっとして喜寿? 「喜寿=寿を喜ぶ」と、素敵な言葉なのに。それとも「バ」が一つ増えるこの「バ加変化」は私だけ?笑えない「バ加」おバチャマの救いようはありますか?先だっての「霊が呼んだのか? 同じ場所で転んだ」には参考意見を沢山いただいたので、再度優しいご指導メールに期待して。(彩の渦輪)
ワイフが高山病で倒れたアコンカグアの基地、4300m古希を過ぎてなお旅を続けていると体調崩しはよくあること。下痢ぐらいでは驚かない。アメリカの友人宅で“ガーン”と頭にショック一発、倒れて救急病院に運ばれたのはつい3か月前だ。筆者に付き添っていたワイフに、ラルダロ医師は良く説明してくれていた。ワイフも南米の最高峯アコンカグアの4300M地点で、高山病で意識不明、急遽ヘリコプターで下山し、病院からホテルへ。筆者は登りと同じくミュール(騾馬)で下山し、離れ離れにホテルまで帰った。アルゼンチンのコルドバでは腹痛で医者をホテルに呼んだこともある。それでも傷害保険はかけず旅を継続してきた。何故か。万一を考える保険が大嫌いな私だから。旅はその人の生まれ持った運に支配されると信じるから。元来は頑健に過ごしてきたが加齢による疲労や機能退化は当然と思うようになった。人生に変化を求める以上身体は資本だが、保険に頼らず気軽に旅を継続している。移動中が一番気を使う。
遭った医者とは仲良く付き合って来た。アコンカグアのテントでワイフに救急処置をしてくれた医者からはデジカメの要望があったので後でアルゼンチンまで送ってあげた。15年前ではあるが医者でもデジカメが買えない国だった。アメリカでは医者は派遣されて各病院を担当し、担当先とは独立している。3か月前筆者を診てくれたラルダロ医師の患者への対応は親切かつ自信満々。気軽に旅の相談に乗り、旅先や退院後の発病の対応措置まで教えてくれた。帰国前偶然派遣元の大学病院の管理事務所でその医者に会った時、ラルダロ医師とワイフとの会話は旧知の友人の如しで、周辺の職員を驚かすほど親愛の情に満ちていた。人間性の素晴らしさを知らされた医者だった。PCモニターの数値管理だけでは病の診断は出来ないと日本の多くの、特に若い医者に言いたい。患者の身体の状況も聞いてやらないとね。(自悠人)
青年海外協力隊(JICA)員として28日パナマへ出発するYOSHI君の壮行会を企画し、19日、中山のTama CafeにO地球村塾の仲間が12人集まった。当Blogに「中米発展の活動に燃える青年:パナマへ出発の日は近し」というタイトルで1月27日付けで紹介したが、彼は教免講習で知り合いO地球村塾に何度か参加された、教師でありプロのアナウンサーでもある好青年だ。この日の筆者の餞(はなむけ)の言葉は:「人生は決断の総和です。人生では誰でも何度か分かれ道(Forked Road)に直面し、どの道に進もうか迷ったりするものですが、難しそうな道を選ぶほうが開花・結実の可能性大だと思います!」だった。彼の前途は無限に開いていたが、このたびはJICAを、彼にとってはより大変そうな道を選択されたようだ。激励に駆けつけたMさん、R子さん、K夫妻、H夫妻、M夫妻、Tama CaféのY子さん、Etc.、皆さんから意義ある激励の言葉や優しさ溢れるプレゼントがあり、前途を祝福された。YOSHI君は数か月のスペイン語特訓を受け、廃棄物処理について学び、現地では廃棄物処理の指導に従事されるという。青年海外協力隊は本年50周年を迎え、皇居で「皇太子殿下にお話しするチャンスがあった!」と感激の面持ち。続いてスペイン語で感謝と決意のご挨拶をなさったが、「パナマで“藤沢のYOSHI君”として有名になりたい!」との補足で大受け。皆から「すご~い!頑張れ!」と笑顔と拍手で送られた。「Excelente!(=excellent=素晴らしい)!」。(彩の渦輪)
この段差でけ躓き、歩道の真ん中に倒れた。 一昨日、急にぽかぽか陽気になり、また多摩川土手を歩こうと散歩に出かけた。土手に上がるまでに成田リムジンバスも走る大通りがある。国立南部は畑も多い。大通りと畑の間の歩道で転んだ。煉瓦敷きの歩道とコンクリート道との段差は3cmの高さだ。躓き、吹っ飛び、両脛、両手をいやというほど打って転んだ。痛みで起きあがれず2分ぐらいはそのまま歩道のど真ん中に伸びていただろう。下校中の小学生が4、5人横を通り過ぎたが、倒れているおばさんを気にする子どもは居なかった。以前筆者の郷里の通学路で転んだ時大勢の小中学生が声をかけてきたけれど、当節の教育はこうですか。「時代が悪いので、他人とかかわらないよう指導されているのでしょう」とは友人R子さんの意見。やがての頃若いお母さんが乳母車を急いで押しつつ息せき切ってやってきて、「大丈夫ですか?」と。彼女の優しさが格別嬉しく、感謝の握手をした。ズボンの脛には穴があき両脛に血が滲んでいた。筆者の反省: 1.足を上げて歩かないからだ! 2.バランス感覚が劣化していること自覚せよ! 3.行動には絶えず注意力が必要だ! 4.それにしてもその場所での転倒は2度目、同じ場所で躓くなんて情けない。それとも誰かの霊が呼んだのか?! 散歩のベテランさん、安全な歩き方をご指導ください。(彩の渦輪)
1.川淵にある泰安観止温泉風景2.春節に集合した黄さん一族 3.テレサの墓 台湾の春節に関心を抱き訪問した際、祖先からの系累・絆を尊重する春節行事には勿論参加、テレサ・テンの像がある噂の記念公園も紹介したが、そのあとの温泉巡りもちょっとご紹介しよう。台湾も地球異変の影響か、近年には珍しく寒い春節、黄家には暖房は無くまるでテントの中だった。山々の頂は純白の雪、寒い時は温泉に限ると、山脈を上下しながら狭い道路を山の奥へ奥へと進んだ。ご存知か。台湾には80か所以上の温泉がある。過去入浴したのは10か所足らず、今回泰安観止温泉や陽明山の馬槽花芸村温泉へ行ったが、前者は温泉ホテルの一部で川淵にあるぬるい(40度)湯、眺める風景を変え好みの場所に浸かれる。奥まった場所には屋内に43度の熱い浴槽があり透明だ。後者は共同浴場のような感じで3か所に分かれ混濁したお湯、40、42、44度と湯温をわけ、外湯は広々として申し分ない。日本と同じ感覚で勿論裸、入湯料金は520円。ついでながらコーヒーは400円と結構高い。台湾の庶民の生活は非常に豊かになったと思う。車は渋滞し家族連れの郊外散策の多さよ。30年来台湾の人との交流があるが、過去の友人が走馬灯のように去来した春節だった。(自悠人)