あけぼの

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母校の高校生留学支援Projectは浦高同窓会を参考に、と思ったが…

2014-09-21 08:08:19 | ブログ

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 この春頃読んだ日経記事、「高校留学同窓会が後押し:奨学財団設立し留学費給付」に目が釘付けになった。海外挑戦は大きな自信を齎すこと、よく実感している筆者が母校への恩返しに後輩高校生たちへのプレゼントとして留学支援プロジェクトを立ち上げたいと思っていた矢先だった。目標は「高校の後輩または郷里米子市の高校生が留学という海外挑戦体験を経てグローバル人間に成長する後押しをし、志の高い骨太人材を育成する」であり、高校生という早い段階からの短期留学が有意義だと思っていたからだ。浦高(県立浦和高校)は宇宙飛行士の若田光一さん等、グローバル人材を多出している全国屈指の名門高校だが、その同窓会が実行していることを鳥取県立米子東高校同窓会で出来ない筈は無いと思い、ノウハウを伺おうと浦高の同窓会長、川野幸夫氏に面会を申し込んだ。「日本一元気だ」と言われているスーパー・チェーン、ヤオコーの会長さんで同窓会長として奨学財団の理事長を務める川野氏が気軽に会って下さり、留学支援プロジェクトの動機や奨学金を提供する公益財団設立のプロセス、財源、等聞かせて頂けた。が、参考になるどころかたまげることばかり。この公益財団は、当面の目標として、同窓会から7,000万円の寄付を集める。さらに、川野さんが寄付したヤオコー株10万株の配当金(今年度は600万円)が活動資金の基礎部分になる。潤沢な予算がある同窓会だ。一方我が同窓会本部は「前向きに考える」程度の返事で予算ゼロ。余りにも違い過ぎる!「自分1人で始めるしかないか?」と思ったが、1人より多くの賛同者のお金を集める方が活動として有意義だそうだ。川野氏のSuggestionは「株式を公開し、儲かっているオーナー企業の社長さんにCoreになってもらいなさい」だった。遠い道のりだ。(彩の渦輪)

写真1: ヤオコー会長、川野氏 2.ヤオコー本社会長室入口


ビンロウの国で温泉巡り

2014-09-17 21:35:27 | アート・文化

Dscf1024 Dscf1002 Dscn1478Dscn1524  Dscn1527 Dscf1064  Dscn1573Dscn1574 Dscf1008_2Dscn1490 Dscf1084 日本に20年以上滞在し、Partyにも何度も参加してくれた黄さん夫妻が近年台湾に帰り、「ぜひ来てください!」「はい、行きます」と約束してからまた数年経ち、「約束を果たしましょう!」と急遽出かけた。黄さんが関わるEmaxという会社-日本の多くの企業と協力関係にある台湾の総合代理店-の創立20周年記念Partyにも参加し楽しいひと時をすごしたが、その夜から激しい腹痛。「救急車を呼ぶか!」と思ったほどだったが耐え、翌日から3日間温泉巡りをした。温泉に入った後暫くは痛みを忘れることに気づいたし、夫も温泉大好きの人だから。日本統治時代、保養寮のあった泰安は現在も台湾警察の管理する保養施設で一般人も受け入れ、熱くて中々良かった。続いて礁渓温泉、泉郷風華という名のOnsen Villaだ。最後の日は烏来温泉。ここは最高!広い露天岩風呂で火照った身体に緑風が石ゴロゴロの渓谷から吹いて来る。天池御皇温泉と言い、パンフにSpring Paradise: Pure hot spa & resort in Wulai. Harmony with natural sceneryとある。海の波で洗われえぐられた奇岩が林立した野柳のGeoparkや、農民、庶民のため活動し、法務大臣までなった陳定南の記念園区も訪問。ビンロウ屋さんが多いのには驚いた。ビンロウとは噛むと気分が高揚し頭が冴える煙草のような嗜好品だ。多くは女性が売っていた。今回は腹痛を押しての温泉巡りだったが、奉仕活動を5つもやっている忙しい黄さん夫妻に案内や運転をして頂き台湾北部を極めた、満足感のある旅だった。(彩の渦輪)

写真順に1、EmaxのPartyで会長さん夫妻、黄さん夫妻と。2、3。黄家ではフルーツやへちまのスープ(美味)。4、5 野柳の奇岩。7、8 客家(ハッカ)レストランとにがうり。10.警察の管理する温泉。11.これがビンロウ屋さんの看板。とても沢山ある。


本年2回目も香しく:月下美人 (パート8)

2014-09-10 15:56:00 | インポート

Dscn1443  Dscn1444  Dscn1445 Dscn1446  Dscn1448Dscn1450 Dscn1449  Dscn1451 Dscn1454 20149月、本年2回目の開花を見た。狂い咲きは昨年より始まった。天候異変で認知症が続くのだろう。花は今までで一番大きく、2つ付いた。今まで何回も咲いたが、莟さえつけば同じ年でもまた開花する。茎が伸びきって2mと長いし、蚊の時期だし、屋内に入れるのが大変だった。いつも開花に至るまで時間を追って写真で記録するが、今回は早く寝てしまい、ワイフが友人に電話で開花状況を伝えたり、おしゃべりしながら観察を続けた。鑑賞される方の花も毎回変化を付けようと色度合い、芳香度を高めて自己を表現したのか強烈だった。この月下美人、手入れに関係なく咲き続けるだろう。万物の霊長である人間も歳を重ねたからと言って停滞してはいけないと、この花から教わった。写真①-⑧は7:30pm-11:30pmの開花状況。⑨は翌朝5:00am(自悠人)


私の靴物語パートII:葬式にダンスシューズ

2014-09-09 13:59:09 | アート・文化

Dscn1457 黒色のシューズは1昨年捨ててしまって今は無い。昨年中の葬儀は黒っぽい茶系で間に合わせた。普段着に近い礼服で来る参列者もいるくらいだからシューズの色にこだわることもないと思ったが、絵の仲間の葬儀の今回、ワイフが「昔、ダンスに使った黒靴を履いたら?」と言い、思い出した。彼女は靴箱を管理、まめに靴を干してしていたからだが本人は忘れていた靴だった。定年60歳の時から姿勢矯正と健康目的でダンスを習い、5か月目に鹿革の靴をオーダー・メード。でも、履いたのは1か月ぐらいだったか。骨折による古傷の左足指2本の付け根が痛くなり、ダンスをやめ21年になる。靴の存在さえ忘れていても無理はない。今回の葬儀に履き、ピッタリでよく似合うと思った。ダンス気分で参列したわけではないが、突然の友人の死に立ちあった鹿革の靴が鎮魂に「別れのブルース」を踊った。(自悠人)


四国良いトコ一度はおいで

2014-09-06 14:05:02 | アート・文化

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四国というところに足を踏み入れたことがなかったので急に思いつき出かけた。スリル万点、祖谷のかずら橋 徳島阿波踊り空港に降り立ったので徳島から始めよう。有名な大歩危(おおぼけ)渓谷は大小の青岩と碧流の織りなすダイナミックな奇観だが、そこから近い日本3奇橋の1つ、幅2m、長さ45m、高さ15mの「祖谷(いや)のかずら橋」は山あいの峡谷に渡した吊橋で国の重要有形民俗文化だ。かつて平家一族が追っ手から逃れるため、切り放し易いよう野生のシラクチカズラで編んだ橋とか。手すりはカズラ巻き、プツプツ切れたところもあり頼りなく、揺れる足元から遥かな谷底に祖谷川の清流が見え、緊張と恐怖の極に達した。「良い死に土産が出来た!」と叫んだが、死に土産どころか若返った気分だった。

四万十の沈下橋と田宮虎彦の『足摺岬』 高知県、四万十市に来た。日本最後の清流、四万十川は先頃の台風で土手に流木が重なっているが、やっと川にエメラルド色が戻ったという。稲が横たわり痛々しい光景を目にしながら四万十川最下流にかかる佐田沈下橋へ。沈下橋というのは増水時に川に沈むよう欄干なしで建造された橋、欄干にゴミがかかれば橋が流されてしまうからだ。濃緑色の山々を反映する翡翠色の四万十川を見下ろしながらの沈下橋ウォークは爽快だ。田宮虎彦の『足摺岬』、何度も映画化されたが覚えている?昭和初期、軍国主義突入の頃、自殺願望で足摺岬にやって来た暗い青年を演じたのはニヒルな木村功。抵抗不可の暗い時代、惨めな現実を生きねばならない人間の宿命を描いた短編で、四国最南端の足摺岬で始まる。戦争参加の可能性が生じた今読むのにぴったりの作品だろう。高知県では主要道路脇の至る所に憲法9条を守ろう!」のDscn1407_2 看板が立いた。(彩の渦輪)Dscn1409

写真は順に、祖谷のかずら橋をこわごわ渡る筆者、大歩危四万十橋にかかる沈下橋、最後の2つは足摺岬