今年何度目かの薔薇…バレンシアオレンジの…が庭先に咲き、眼を楽しませてくれている。月に1回集会がある「ふるさとサロン」の「中国、四国、九州、海外ブロック」に、久方ぶりに参加させて頂いた。シニアが多いせいか、2時間の集まりのうち病気の話が50分ぐらいだったが、それはそれで役立ち良かった。特に、夫と同じ心臓病で同じT共済病院に入院、心臓のバイパス手術を受けたことのあるK氏の注意事項: 「①かかりつけの医者を持つが良い。タクシーで行けばいつでも受け入れてくれる。②薬局がくれる処方箋の紙は捨てないで持ち歩くとよい」 は有益だ。夫のように狭心症の薬を「一生飲むよう」言われている人間には必要な知恵ですね。K氏は続けて、「手術は体力を必要とする。自分は毎日6000~10000歩、歩く。また市の公園のゴミ拾いも続けている。ゴミ拾いの説明会を14箇所でやったけど誰も評価してくれず、協力者も出なかった。Etc.」 なるほど、勉強になったけど、その説明会は知らなかった。ゴミ拾い活動が徐々に広がりますように! 今回は筆者も少しバックパックの旅の楽しさについて話したが、それ以外は病気の話題が殆どだったので、次回は「有益な食べ物の話題でお願いします」 と希望をだしておいた。が、「病気の話題も有益だった!」というお顔のお方が多く、ニコニコ顔で「See you again!」でした。(彩の渦輪)
18年前短期間所属していた国分寺ロータリークラブから講演講師のご招請頂き、おしゃべりしてきた。以前のメンバーは3人だけ、講演が始まる前に、「全くお変わりないですね~」と、懐かしそうにご挨拶くださったがこちらも懐かしさひとしお。講演内容のアウトラインはいつも似たものを使うが、エピソードを紹介する国は常に新しい旅から選ぶ。が、今回は楽しい話からにした(と言ってもみんな楽しい話だ!)。与えられた時間は30分と、いつもより少ないので内容も絞ったが、楽しんでいただけたかな?
I. 足と心で異文化交流:人間遺産と触れ合う旅
1. 「日本人?どうぞ!」とパトカーが乗せてくれた! ~キルギス~
2. 鶴竜の父君は学長、同時に思慮深き教育者/琴欧州の国はマロニエの花盛り
3. アルメニアで出会い、ジョージアで別れ、イランで再会、大歓待の日々
4. ボランティアから王女面会まで出会いに富んだ日々 ~アメリカ合衆国~
5. 警察署でインテグリティー説教 ~ドミニカ共和国~
6. アルゼンチンはカラファテの民宿のおばちゃん、「13年前有難う!」
7.「過去は関係ない。今何をやっているかだ!」
アルゼンチン最南端のウシュアイアで会った玉城さん
8. ウズベキスタンでロシア民謡大合唱
9. 妻は満足、夫は脳がおかしくなった国 ~キューバ~
10.滝壺で出会い、ノルウエイに招かれ、フィヨルドで一緒に釣った若い 医師
II. 異文化理解と多文化共生について
「年だ」は「ま~だ」だよ:旅は心身を活性化する。出会いは宝石、我々夫婦の合言葉は「世界遺産より人間遺産を!」だ。そして、いつも若者に手を貸すことを念頭に、さあまた、88歳と82歳の、青年は荒野を目指す。(彩の渦輪)
胸の痛みを辛抱してPCに向い、良い区切りまで打ち込んだ。心臓に手をやると痛くて頭にジーンと来た。ただ事ではないと救急車を呼んでもらった。直ぐ来たのは消防自動車。救急車は立川から呼ぶという。暫く待ち救急車が着いた。初めての心臓発作で、一時はどうなるかと心配だった。行先はT共済病院、原因解明のため心電図、エコー。翌日、心臓カテーテル処置で病名が判った。冠攣縮性狭心症。心臓周りの血管が狭くなって血液を送れない病状。薬は1日2回、死ぬまで服用だそうだ。2泊3日で退院した。6日目、また心臓に鈍痛。押さえれば結構痛く別の痛み止め、ニトロベン舌下で収まった。
突然母のことを思い出した。翌朝炊く米や、おつゆの準備をして寝るのが母の習慣だった。ある朝、母が起きるのが遅いと同居している息子が気付き、母と一緒に寝ていた女の子に尋ねたら、母が起きないという。そこで息子が行ってみたら、母は亡くなっていたのだ。心筋梗塞か何か、だっただろう。私は東京で世帯を持っていたのでわからない。母は享年68歳だった。女の子は母が不幸な身の上の子どもを預かって世話していたのだ。突然の母の死を思いだし、今回の自分の発作を遺伝的なこととして受け止め、母の生前の生活の苦労を思い浮かべ、母に苦労をかけた筆者のことをちょっと書いてみたくなった。
筆者は高卒後家の手伝いとして農業を1年間やり、その後三朝の温泉研究所に就職、お金を貯め、それからBack to Schoolで大学へ。だから大学は他の人より4年遅れだ。勤める時身に着けるものを全部母が準備してくれた。当時、豚を飼っていてその売り上げが資金だった。背広、靴、冬のオーバーコートなど。筆者の支出のため身を粉にして働いてくれたのだ。苦労をかけた事は忘れない。母親は子どものこととなると命がけで面倒を見てくれたけれど、「子を持って知る親の恩」を感じた時は既に遅く、母はいない。悔やんでも悔やみきれない思いがいつまでも脳裡に残っている。その分、我が子に返すのが筋道かな?(自悠人)
9月末から我ら夫婦は天中殺狂騒曲を奏でている!夫は「ズドン!」「キューン!」と心臓発作、妻は常に夫に手の届くところにいるが安心して眠れない。そこにもってきて妻の右足が2日前の夜中にこむら返りし、「アイタタタ!」と体を縮め、力んで激痛に耐え、じっとしていた。翌朝もあまりの痛みで動けず、夫に乗せてもらい、近くのYクリニックへ。3時間待たされ、山のような薬を頂いて帰宅。夫は、「この医者駄目だよ。T整形外科へ行こう!」とすぐにまた運転してくれた。夫の心臓を気にしつつ到着したT外科の院長先生に事情を話したら、Yクリニックから貰った薬を分析してくれ、「就寝前の漢方薬は大丈夫、飲みなさい。次の1種は本当に痛い時だけ、3つ目の薬は骨粗鬆症があれば飲みなさい。骨粗鬆症は検査してからね。残りの薬は今不要です。貴女の足の病名は腓腹筋痙攣です!」とご診断。この医院にはリハビリ室があるので腓腹筋にマッサージ10分間。その後ちょっと楽に感じたので1週間ぐらい通うかな?プール歩きもいいかな?と思案中。夫の心臓発作については先のBlogに書いたが、救急車が連れて行ってくれたT病院のお医者さんが若いし、最近、「主治医は2人持ちましょう!」と友人に聞いたので、2日前、筆者が薦めて心臓病治療で有名なS記念病院に行った。運良く部長先生に当ったのに、エコーも心電図も放射線もやったのに、この部長先生からはっきりとした診断を頂けず、「最初に行ったT病院でCTを撮って、それを持って来なさい。そしたら診断してあげます!」とにやにやなさるばかり。病院間のエチケットみたいなのがあるのかな?T病院にCTを撮ってもらいに行くまで夫の心臓はキューキュキュキュ?(Q~QQQ?)と奏でつづけるかな? (彩の渦輪)
夫の心臓発作による入、退院をBlogにUpしたその日、火曜日、夫がまた胸に手を当て、「心臓に鈍痛がする!」と蒼い顔。急ぎ心臓専門の榊原記念病院へ。自分で運転出来る、と言うので、ハラハラ・ドキドキしながら横に乗った。無事到着、エコー検査は予約していたのですぐにやってもらえたが、先生の診断は4日ほど待たねばならないということで帰宅。察するに、いつなんどき発作が来るかわからないという不安のつきまとう病気で、痛みは大変キツイようだが直ぐ元気そうになる。先日救急で運ばれたT病院のお医者さんが、「この病気は生涯、朝夕の食後に薬を飲まなきゃいけない」とおっしゃったが、この日何とか無事帰宅できたので夕食前、「一杯やっか!」と梅酒を飲んでしまった夫。はてさて、梅酒を飲んだ後に薬を飲んでいいのかな?薬は今日はやめるか?と疑問が沸き、乳癌で一生薬を飲まなきゃいけない娘に電話でQ。娘は、「3時間ほど待ち、胃に何か食べ物を入れてから薬を飲んで寝たら!」と提案してくれた。そして、「次回病院に行ったら必ず先生に聞きなさい」、「アルコール飲料が欲しくても、必ずノンアル・ビールを買いなさい。ゼロイチとか」と“ご指導くださった”(笑)。毎日薬を飲まなきゃならないお方さま、ご指導いただければ幸いです。(彩の渦輪)