海外での漫画人口は拡大の一途を辿っている。ここシンシナティでも本屋には漫画コーナーがありワゴンの中には安売りの日本の漫画が山積みになっている。漫画を通して関心をもったのか日本に行きたい小学生がテレビに登場する時代である。大学でワイフが日本語教授をしていて、漫画で覚えたという日本語の会話力に驚いている。ユー・チューブから入っていくアニメや漫画映画の影響が多いようだ。日本人のような自然な発音の若者が結構いるそうだ。こういう若者は書くことよりも会話の方が上手である。ある女子学生が入学早々に「こんにちは」、「死んでるわ」の助詞の相違を聞きただしてきたそうだが、日本人顔負けの語学力ではなかろうか。大学のコンピューターから妖怪漫画「ゲゲゲの鬼太郎」を教師に紹介し、一緒に見て主題歌も聞かせたのだからビックリ。大学のコンピューター・ルームから世代の大きく異なる教師と学生が「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマ・ミュージックを唱和しながら廊下を歩く光景は想像しただけで楽しい。その情景は70年前の「二十四の瞳」の時代だ。それがアメリカでの現在の風景だから驚きだ。漫画・アメニ的映画は今や世界的人気、言いかえればトーネード現象とも表現できる。トーネードに乗った若者たちは日本や日本文化に憧れ、渦を巻いてなびいてくる。任天堂のゲーム機もそうであるが、新しいものには何にでも魅力を感じ自分のものとし、楽しんでいるアメリカの若者の勢いを年配者も学ぶべきだろう。自悠人(Feb.15,2008)
昨年より州立シンシナティ大学の一カレッジで准教授として教鞭をとっている。本物の日本語・日本文化を求めている大学生に言葉の教育で奉仕するのは意義がある、と再びの教師職だ。日本文化を理解してこその日本語学習であるとの考えから私はさまざまな工夫をする。日本の童揺や叙情歌を自分の英訳付きで配布し、教室で歌ったり、自作の英文短編小説を読ませ日本語の短文で感想を書かせる試験も行う。書道等、日本文化を学ぶ日も多く設定し、作品はドキュメント・カメラ等のハイテクも駆使して鑑賞、出来上がったパワー・ポイントは学科長によって学部ニュースとして学内に流される。読む、書く、話す、聞くの4スキル全ての発達とコミュニケーション力の向上を目的としつつ、特に重視しているポリシーは「平等」である。どの学生にも平等にチャンスを与え差別しないことに神経を使っている。(彩の渦輪)
投稿者、彩の渦輪は1990年、52歳のとき夫の転勤に伴いオハイオ州シンシナティへやってきて、着いた翌日大学院の門を叩いた。当初はもたついたが、私立ザヴィエル大学教育学部修士課程に入学、ほぼ200年の歴史を誇るこの大学に日本語学科がないことを知り、関係者に呼びかけ、現代言語学部に日本語科を開設させ初代講師となった。新米教師の熱意と当時の若者の日本語熱とが合致し3年生まで担当、6年間在職した。世界一といわれる企業、GEからも声がかかって教え、駐在員の妻、地域住民、大学院研究生、大学非常勤講師として、忙しく充実した日々を送った。2年半で修士課程を終え、暫くは教えるだけの生活だったが、58歳で州立シンシナティ大学の博士課程に進み、還暦にて教育学博士号を取得した。学び、研究しつつ、多文化・異文化教育やその一環としての日本文化も教え、20年間日米を往復してきた。日本語を教えるに当たっては単に一文化の一言語としてではなく、多文化教育の一環としての日本文化を教える、という心がけでやってきた。専門は平和教育そのものであるグローバル教育、多文化、異文化教育である。持てる国も持たざる国も、強国も弱国もいかに共存するかを教え、学ぶのがグローバル教育、一つの文化が他の文化より優れている、という態度はグローバル教育に反するのである。(彩の渦輪)
「お金があるから出来るのだ!」と他人のチャレンジを一刀両断に切り捨てる態度は僻みも手伝っての消極人間に多い。普請の背景にはその人の人生観があり、二度、三度の実行には決断力を要する。終着駅に向かう途上でも意欲的に生きる人生設計実行のためだ。終の棲家の目的は種々ある。コミニティー・スクエア活動の出来る家として多くの人の社会参加を行える部屋、情報を分かち合える大型プロジェクターの設置、家族愛の実現できるリラックス空間もあり、等だ。お金は遣って価値が出る。金を残して子供をスポイルすることは避けよう。暮らしの不安から守りの人生に徹しがちなチマチマ生活はやりたくない。年金も蓄えも途絶えたら毎日納豆を食べて脳卒中になって突然死しても本望だ。限られた健康寿命を意義深く生きられれば幸せである。(自悠人)(Feb.10, 2008)
“生・老・病・死”が人の一生と言われる。その流れから“病”を回避してアクティブ・シニアとして“生・老・死”で行きたい。定年以後「変化こそ人生」を人生訓として実践してきているが、“病”を回避することによりわが人生訓を完成させたいというのが08年の決意だ。
アメリカでの暮らしも足掛け18年、変化に富んだこの国の生活も現今は電話に人も出ない不便な時代となり、コミュニケーションはEーメールでないとほとんど機能しない。公の発表はパワーポイントのみならずドキュメント・カメラが登場。日常生活自体が音をたてて変っていく。日本でも携帯電話が情報入手の最先端であり、老若両世代がコンビニエンス性を享受しているかに見える。還暦を過ぎた人たちでも新しい棲家は和室から洋室のベッド暮らしに移行してきた。かつての普請で洋室の必要性を感じなかったのに今は洋室中心の構造となっている。単に時の流れに組みしているようにも見える。
私は最近3回目の普請に着手した。実は私も洋風の建物にする。15年間馴染んだUSの生活を生かして新築することにした。45年前の子育て当時の家を壊し、齢(よわい)喜寿にして終の棲家建築だ。主要交通機関までは歩いて30分と遠いローケーションだが、歩くことで健康寿命(健康で自立していられる年齢)に挑戦したい。これも“病”回避の一手段だろう。それで“生・老・死”の理想を実現可能にするだろう。10年を一区切りとし、変化を継続し、上記の人生訓を完成していきたいと願っている。自悠人(Feb. 5, 2008)