たった5日前、「癌の薬をお酒で消毒して飲む男」、のことを書いたばかりだが、昨日は夫婦とも検診日で夫はS記念病院へ、筆者はN病院へ。夫は胸にホルタ―心電計というものを装着され本日返却に行ったが結果はまだ先だ。が、筆者はなんとG様(癌)を発見されてしまった!昨年「完全治癒!」と喜んだので安心して出かけたのだが…再発だった! 夫は3月に肺癌を発見されたが翌日アメリカへ。親しい友人たちにサヨナラを言いに行ったのだ。が、「肺癌で死ぬ時代じゃないですよ!」と言われ、元気付いて帰国した。筆者は「すぐ入院せよ!」と言われたが、親友たちにさよならを言う時間ぐらいは待って頂けることになった。病院の帰りにレストランへ寄り、ガンガン食べていたら、「お若いですね」と隣の席の女性が言ってくれた。「何歳に見えますか?」と聞いたら「60歳!」と。「有難う!」と返事したがおつむは90歳だ。G様お戻りを祝って「今日は鯛を食べよう!」とスーパーで巨大な鯛を買い、鱗取りを頼んだまま忘れ、帰宅寸前に気づきスーパーに受け取りに戻ったぐらいだから。筆者は近年まで玄米を食べて癌を追い払ったが、玄米を終え、胚芽米に変えたらG様が復活した。 余談だが、このGoo Blogは1年前の記事を送信してくれる。1年前の今日「天中殺?事件/事故極まれり」と書いているが、天中殺復活だ!玄米も復活し、G様の薬はビールで頂き、笑顔で“癌”張るっきゃないですね。(彩の渦輪)
彼はアルコール(-0H)の愛好者でアルコール無しでは一日も過ごせない。特に日本酒の冷酒が好きである。年齢83歳、性格は真面目、ゴルフは継続していると言う。20年前に奥さんに先立たれ、そのころ膀胱癌をやり、生活態度を一変し、娘さんと2人暮らしだ。規則正しく健康的な家庭人に徹した生き方をしているようだ。「胃をアルコールで消毒してから癌の薬を飲む」には笑ってしまった。始めはビールで、その後日本酒で胃袋をしっかり消毒してから薬を飲むのだそうだ。もともと治療薬など当てにしていないのだろうが筆者も同様で、「痛み止め」以外は薬の効用をあまり信じない。筆者は薬を飲まねばならない時はコーヒーと一緒に飲む。彼とは同じ会社で働き37年来の付き合い、1年振りに会ったが、飲酒を上手に生活に取り入れ、顔色は良く健康そうであった。3人で食事に行ったこの日もビールから始まり日本酒で胃袋の消毒、ワイフが真似ていた。筆者は病気は免疫力で対応させることにしている。(自悠人)
10年前ロシアへの旅で出会い仲良くなった3人家族の家庭に招かれた。会ったとき大学生ぐらいか、と思った美しいお嬢さん、実際は30歳直前だったので今は40歳直前だ。日本の有名な組織で働いているので超多忙、生き生きと講演されたヴィデオも見せて頂いた。国のために張り切って働いている有能な女性で、何の心配も不要のはずだが、お母さんの気懸りは結婚問題であった。婚期を逸したかのごとく心配し、「良い男性をご存知だったらよろしく!」と出会いのチャンスを尋ねられ、話題はそこに何度か行く。現代の社会問題の1つか、親としての普遍的な悩みだろうが初老となって落ち着かないのか。本人の意思を尊重し娘が30代前半までは鷹揚に構えていたが、今は頼れるものには何にでも縋りたい心情に見えた。「結婚しないは社会的現象!」では済まされないですよね。やるせなさは日常の生活に影響するのでほっておけない。候補者を真剣に探してあげよう。お母さんにだけでなく、若者に手を貸す絶好のチャンスだろうから。(自悠人)
シニア・ドライヴァーの運転による交通事故多発で免許証返納を夫婦で決め、ただ今、車の無い生活のシミュレーション(simulation)期間だ。買い物の荷物が多い日だけワイフを乗せてやるが、「来年1月の筆者の誕生日に返納しましょう!」というワイフの提案。府中のアトリエへは現今自転車で往復する。50km以上の遠出以外で車が必要なのはワイフの買い物だ。娘がくれた迦葉山のきらびやかなお守りを、祈りを込めて活用するのが良いかも。気は心だ。
ところで、「年齢が年齢」だからと言って人間の行動や志向を一律に決めることはないと思う。過去から覇気をもって生きてきた人間力を発揮すればよい。老いても同様に生きるという気力だ。そのためには心身を鍛えることだ。注意力を研ぎすまし慎重に行動することだ。「ふらつく」ことを歳のせいと認めないことだ。このように決意して5か月のシミュレーション期間を生きよう。(自悠人)
母校、米子東高校が、選抜に続き夏の全国高校野球選手権大会にも鳥取県代表として甲子園に出場した。甲子園には米子東高出身の友人が東京からも多くかけつけたが、我々夫婦は★家のTV前での応援だった。気合いの入ったお顔のピッチャー、森下クンをはじめ、背に緑色の字でYHとプリントされたユニフォームの皆さん、「よく頑張りました!」。 6回の表で1点を返し1:1の同点に。チャンスは続く!もう一打あれば、2点は追加できただろう。だが、同点に持ち込むまでが米子東の試合だった。「さあこれからだ!」と思った6回裏、森下君の球威が衰え、見ていて可哀そうだった。気力はあったけど……投手交代か?が、監督は動かない。その後智弁が3点入れ、流れが変わっってしまった。智弁和歌山に敗れたけれど、アナウンサーが米子東の選手の積極性を褒めており、嬉しかった。帰宅したらLine仲間の多くから、「米子東、応援しましたが残念でした!」とメッセージが入っており、癒された!親友の皆さま、米子東高校の応援、大変有難うございました!(彩の渦輪)