あけぼの

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ちょっこし米子、ぐるっと松江

2012-06-18 16:25:00 | まち歩き

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会場の全日空ホテル             この電車で松江へ

このブログにちょいちょい登場する母校、鳥取県立米子東高校の52期同期生会で米子へ。59人とは好成績でしょう。今回は関西からは多かったが東京方面からは2人、若々しい元青年たちと写真撮影、お喋り、カラオケ、等々、筆者は3次会までお付き合いし、12時頃近くの古い旅館まで歩いたが米子市は安全でした。翌日は友人と松江を訪問、前回はいつだったか思い出せないほど久し振りだった。「ぐるっと松江レイクライン」という赤くおしゃれなクラシックバスで松江城下巡りをしたが、松江城はもとより、松江大橋、小泉八雲記念館、武家屋敷、宍道湖に落ちる夕日に包まれた県立美術館、等々、松江はどこも美しく、友人と再訪を約した。カラコロ工房という手作り商品のモールで娘へのお守りさん、メノウの勾玉を、夫の手のリハビリ用にこれまたメノウの「健康にぎり石」というものを買った。瑪瑙の産地ですからネ。(彩の渦輪)


散歩道で転んだ!

2012-02-07 15:12:28 | まち歩き

近くに根川というきれいな散歩道がある。桜並木の大枝が川の両側から川面に覆いかぶさり、白鷺も鯉もいて時には鶴が来たりするきれいな散歩道だ。昨日ここで転んだ。白内障の手術後3週間経つがまだ視力が安定していないとかで、新しい眼鏡は処方してもらっていない。古い眼鏡は眼が疲れるから使用するな、と言われている。裸眼、右0.1、左は0.08。もとが近視なら手術で入れて頂いたレンズも近視なんですね。で、裸眼で歩いたらごく僅かな段差に気付かなかったという次第だ。三半規管も老化していたのだろう。

 転び方が悪かったか余りの痛さに起き上がれなかった。一人の男性が「よかったら起こしてあげましょう」と抱え起してくれた。別の男性がコートに着いた泥を一生懸命落してくれた。木に背を凭れて眼を瞑っていたら3人目は女性で、「ズボンが破れてますよ、」と私の足を捲って見て、「ああ、凄い血です。お水持ってますか?」「今日は水も携帯も持ち忘れて散歩に出たのです」と言ったら近くから水のボトルを買ってきて下さった。看護師さんではないかと思うほどてきぱきした人だった。寒い日だったが休んでいる顔に太陽があたり、痛みと貧血と顔の熱で頭は朦朧、このままこのお陽さまに吸い寄せられ、白鷺の背に乗って昇天するのでは?と不安になった。20分ぐらいそこに居たがふらふらと立ちあがり、家路に向かった。お水、携帯、電話番号ぐらいはバッグに忍ばせていなくちゃね。お3人様有難う!(彩の渦輪)


東京都写真美術館あり、エビス・ガーデン・プレイスはいいですよ!

2011-06-07 10:31:44 | まち歩き

恵比寿駅東口の動く歩道を、恵比寿ビールのグラスに目を細めて口をつけている役所広司さんの写真を見ながら乗り継ぐと恵比寿ガーデン・プレイスに出る。ゆったりとしてくつろげる欧米風の広場にはビアホールも三越もある。ここに来たのは3回目、いずれも東京都写真美術館へ、展示を見にぶらりと一人で来たのだ。過去、ロバート・キャパ、ユージン・スミスの報道写真を見に来ていずれも胸を打たれたが、今回は「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」を見た。今さら「プラハの春」でもないと思うお方もいらっしゃるかも知れないが、筆者の新聞切り抜きファイルには今でも戦車がプラハのバーツラフ大通りに侵攻し、身をもって抗議したヤン青年の記事と写真があるし、プラハはその後訪問して天国のように美しい街並みやプライド高き人々と触れ合ってきたこともあって、この写真展に出かけた。1968年、30歳のクーデルカは、ワルシャワ条約機構軍の戦車がプラハに侵攻した日プラハに戻っており、一連の写真を撮影し、この写真で匿名の写真家としてロバート・キャパ賞を受賞、撮影から40年を経て彼自身が選んだ250枚ほどが初公開されたものだそうだ。買い求めた写真集のカバーによると、「20世紀の歴史的実験であった<プラハの春>の圧殺と、言葉を武器とした抵抗の全てをとらえた画期的ドキュメント」とある。展示は718日まで、皆さまもお出かけになり、そのあとサン・ジェルマンのパン屋さんの中二階で美味しいパンと恵比寿・ビールでくつろがれたらいかが?(彩の渦輪)


鳥取砂丘

2010-05-20 09:16:37 | まち歩き

Photo  USのJ-AngleNew-Mexico州のホワイトサンドを投稿したので日本の砂丘も比較のため投稿するのも面白かろうと帰郷のついでに寄ってみた。鳥取砂丘は神話、因幡の白ウサギで有名な山陰海岸にあり、山陰海岸国立公園内の一部である。砂丘の延長線上には日本海の荒海によって形成された海食崖、洞門、洞窟、岩礁など海蝕の造形美があり、国立公園の中で荒々しい岩石美を示す海岸と好対象に優美で開放的な砂浜が鳥取砂丘である。地形の起伏の大きさ、風紋、砂廉、すり鉢など東西16キロ、南北2.4キロにおよぶ砂丘で面積は545ヘクタールとその規模はさほど大きくはない。

 砂丘は文字通り砂で出来た丘、砂は岩石(鳥取砂丘の場合、花崗岩)が風化し河川によって海に運ばれていくうちに細かく砕け磨かれてできる。海に流れた砂は海から陸へ風や波浪に運搬され、吹き上げられた砂が地上の障害物によって風速が弱められると砂粒が失速して堆積し砂丘ができる。砂丘は生きている。砂丘は生き物のように表情を変え、風紋を描いては消し、消しては描く。時には大きな凹凸を作ることもある。勿論、注意深ければ小動物の生息を見る。不毛に見えて植物も育っている。砂丘はわかりやすい自然の活動だ。生長し、変化し発展して最後は消滅するであろう。まわりの環境が変わるからである。海面の上昇して海岸砂丘が水没したり海面が低下して海岸線が後退することで砂の供給が途絶えるこもあろう。単純に見える砂丘も多くのロマンを想像することで人生になぞらえることが出来る。筆者も人生を思う。

砂丘と言えば,平坦な砂の原を想像しがちだが、実際は起伏が多い。駐車場から正面の木材階段を上がって見える通称馬の背状の小高い丘が砂丘の頂上で、砂丘第二列と呼ばれ高さ47メートル、上るのにひと苦労だが、頂からは砂丘の広がりと雄大な日本海が一望できる。汗をかいた身体に潮風が心地よい。砂丘の西方には、青い水をたたえた多鯰ヶ池が見える。かつては日本海に続いていたが、砂丘によって堰止められてできたもの。周囲3.4キロメートル、日本海海面より16メートルほど水面は高く深さが17メートルもあることからこの池には大蛇が住んでいたとの伝説もある。

 砂丘の魅力を堪能するにはやはり歩くに限る。自然が作り出す芸術作品、美しい風紋や砂廉、砂丘独特の動植物など、自らの足で歩くことによってより多彩な表情を見せてくれる。馬の背状の小高い砂の頂を崩さないように新しい足跡を付けながら歩く魅力は格別だ。足元でキュッ、キュと清んだ不思議な音を聞く。砂を踏みつけることによって砂の摩擦で発する音、「鳴き砂」と呼ばれ風情を誘い、夏は清涼感も齎す。

 

 鳥取砂丘だけでは空しいと思う方は国立公園内で岩石で入り組んだリアス式海岸が楽しめる。岩山に点在的に生息する松の緑は筆舌に尽くせぬ天然の芸術である。(自悠人)


地球の一角でインテグリティー(Integrity)説教

2010-05-02 09:18:45 | まち歩き

 Laosdec_019_3 筆者はアメリカで長きにわたり日本文化を教えてきた。見え透いた言い訳をする学生には必ずと言っていいほどお説教をしてきた。「Integrity(信用しうること、また言行一致)の高さは対人関係の相手方にとってだけではなく君の人生も大きく左右しますよ」と。生き方のヒントになる精神的教育を受けたことのない若者が多く、筆者の話をよく聞いてくれた。

 このお節介おばさんは近年ベトナムでも警察に立ちよった。かなり立派で古そうな店構えの中華レストランで、具無しスープ、原価は零円に近いスープを35ドル(2人分で70ドル)も取られ、他の料理もやたら高く領収書はなし。が、マネージャーは現地語、英語、日本語の全てに堪能なインテリだった。抗議も埒があかず時間を割いて警察署に立ち寄った。ここの警察署員はドミニカの警察ほど素敵ではなくレストランの味方だった。「スープは時価ですから。領収書がないなら発行するよう電話しておきますよ」と税金逃れもお見逃しだった。このおばさん、帰国後お説教の手紙を日本から出した。「貴方は人を騙すために外国語を沢山学んだのではないでしょう。人生一からやり直しなさい」と。ドミニカのお説教は前回投稿したが楽しい事件だった(彩の渦輪)