いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<東京パラリンピック> 日本人のメダリストたち4-車いすラグビー

2021-09-11 07:14:57 | 東京パラリンピック

 「車いすラグビー」 銅メダル

 「池 透暢-いけ ゆきのぶ」

 41歳、高知県高知市出身。高知Freedom所属。

 2014年から車いすラグビー日本代表キャプテン。リオ大会に続き銅メダル。

 「池崎 大輔-いけざき だいすけ」

 43歳、函館市出身。TOKYO SUNS所属。

 ロンドン大会から3連続出場。

 「今井 友明-いまい ともあき」

 38歳、我孫子市出身。三菱商事/DREAM AS ONE所属。

 リオ大会から2連続出場。

 「小川 仁士-おがわ ひとし」

 27歳、東京都北区出身。バイエル薬品/CENTERPOLE所属。

 「倉橋 香衣-くらはし かえ」

 30歳、神戸市出身。商船三井/ AXE所属。

 「島川 慎一-しまかわ しんいち」

 46歳、熊本県玉名郡出身。バークレイズ証券/BLITZ所属。

 チーム最年長、アテネ大会から4連続出場。

 「中町 俊耶-なかまち しゅんや」

 27歳、埼玉県北本市出身。コロプラ/TOHOKU STORMERS所属。

 「乗松 聖矢-のりまつ せいや」

 31歳、福岡県大牟田市出身。SMBC日興証券/Fukuoka DANDELION所属。

 「羽賀 理之-はが まさゆき」

 36歳、千葉県松戸市出身。ペプチドリー ム/AXE所属。

 「橋本 勝也-はしもと かつや」

 19歳、福島県三春町出身。三春町役場/TOHOKU STORMERS所属。

 次世代のエース。

 「長谷川 勇基-はせがわ ゆうき」

 28歳、広島県広島市出身。ソシエテ・ジェネラル証券/BLITZ所属。

 「若山 英史-わかやま ひでふみ」

 36歳、東京都墨田区出身。静岡銀行/Okinawa Hurricanes所属。

 

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<言 葉> 秋の言葉 良夜

2021-09-11 07:05:10 | 言葉

 「良夜-りょうや」

  月の明るい美しい夜のことだが、主として旧暦八月十五日の中秋の名月の夜を指す。

 子季語には、良宵、佳宵がある。

*https://kigosai.sub.jp/kigo500a/445.html より

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< 梨 >  二十世紀

2021-09-11 06:38:08 | 食品

二十世紀梨の来歴や特徴と産地と旬
■二十世紀梨の来歴や特徴
 昭和50年代頃までは梨と言えば「二十世紀」梨か赤梨品種の「長十郎」といわれ、「二十世紀」梨は人気を二分する青梨の代表品種でした。

 現在もなおその独特の食感や食味は人気があり、本種を親としてうまれた「菊水」や「八雲」などの品種もあります。

 
●二十世紀梨の来歴
 二十世紀梨といえば鳥取がすぐに思い浮かび、そこで生まれたかのようなイメージがあるかもしれませんが、実は二十世紀梨が発見されたのは千葉県松戸とのこと。

 発祥は明治21年に梨園の経営者の息子、松戸覚之助が、親戚のゴミ捨て場(農園の果実や苗などもここに捨てられていたようです)で苗を発見し10年かけて栽培、実った果実がこれまにない青梨だったのです。彼は「新太白」と名付けました。その後、明治37年に東京興農園主の渡瀬寅二郎と東大助教授の池田伴親氏により、20世紀における代表的品種になるであろうとの観測と願望を込めて新たに「二十世紀」と命名されたそうです。

 鳥取県へは同じく明治三十七年、北脇永治さんが千葉県松戸市の松戸覚之助が経営する「錦果園」から、苗木を購入し、それを自分の果樹園に植えたのが始まりだそうですです。当時植えられた親木は100年以上たった今もなお3本残っており、毎年敬老の日の贈答用に収穫されています。

●二十世紀梨の果実の特徴
 二十世紀梨は果形はきれいな球形で果皮色は淡緑黄色から熟すにしたがって黄色へと変わっていきます。

 果皮表面の果点は赤梨に多くみられる大きなコルク質のではなく、リンゴと似ており果皮も薄いです。

 果肉は白く、肉質はシャキシャキとして柔らかく、果汁が梨の中でも最も多く含まれています。糖度は11度前後で高い方ではなく、果芯近くは酸味があります。

◆実際に食べてみた二十世紀梨の食味
 二十世紀梨の果肉はシャキシャキと歯触りも軽く、何と言っても食べた時の果汁の多さが持ち味で、甘味自体は特に強くはないのですが、適度な酸味とあいまってさっぱりとした味わいの果汁が口いっぱいに広がります。

二十世紀梨,20世紀梨の果肉
■おさ二十世紀やゴールド二十世紀、おさゴールド
 「おさ二十世紀」「ゴールド二十世紀」「おさゴールド」は栽培上の問題解決上発見されたあるいは改良された「二十世紀」で、果実自体の特徴は同じとされています。

●おさ二十世紀
 「おさ二十世紀」梨は、1978年に鳥取県東伯郡泊村において長昭信氏が発見した自家結実性の高い「二十世紀」で、1979年に品種登録もされています。

 「二十世紀」との違いは、自家結実性がなく他の品種の花粉を受粉させなければならない「二十世紀」に対し、その必要がなく安定して自家結実するという事だけで、果実そのものの特徴は全く同じです。

●ゴールド二十世紀
 「ゴールド二十世紀」は「二十世紀」に放射線を照射することにより突然変異を誘発させ、「二十世紀」と同じ果実特性をしていながら黒斑病に抵抗性をもたせた変異種です。詳しくは「ゴールド二十世紀」のページへ

●おさゴールド
 「おさゴールド」は1997年に鳥取県園芸試験場と農林水産省農業生物資源研究所が共同開発した品種で、放射線照射による「おさ二十世紀」の枝変わりから選抜、育成されたもので、「二十世紀」に対し「自家結実性」の面と「黒斑病に対する抵抗性」のどちらも持たせた最強の「二十世紀」です。これも果実の特徴自体は「二十世紀」そのものです。

■二十世紀梨の主な産地は
●全国の二十世紀栽培面積ランキング
全国の二十世紀栽培面積ランキング
 これは農林水産省がまとめた平成27年産二十世紀の全国の栽培面積です。

 最も広く栽培しているのは鳥取県で全国の約3割を占めていますが、その他にも長野県や福島県、山口県など各地で栽培されていることが分かります。

 かつては二十世紀か長十郎かとシェアを二分する時期もあったようですが、今では幸水や豊水が主流となり、ゴールド二十世紀と合わせても梨全体の7.6%ほどとなっています。

●長野県のサンセーキ梨
 二十世紀梨は通常、傷や病害虫から実を守るために、途中で果実に袋を被せて育てますが、この袋を被せず太陽日に十分当てることで糖度を上げ、より甘い梨にしたものを「サンセーキ梨としてJA長野が商標登録し、出荷しています。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/nashi-20C.htm より

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<日本酒> 浜福鶴 純米大吟醸

2021-09-11 06:32:07 | 日本酒

 ワイングラスでおいしい日本酒アワード メイン部門

 <最高金賞> 11/18  「浜福鶴 純米大吟醸」

兵庫県産米を45%まで丁寧に磨き上げ、灘本流の技が光るこの1本は、梨を思わせる上品な香りと滑らかな口当たり、米の旨みと心地よいキレが特徴で、ついつい杯が進みます。
ワイングラスでおいしい日本酒アワード、3年連続金賞もさる事ながら、燗酒のコンテストでも金賞受賞歴もあり、どの温度帯でもお楽しみ頂ける万能選手。純米大吟醸としてはお求め安い価格もポイントが高いですね。

*https://likaman.net/shopdetail/000000005880/ より


 株式会社 小山本家酒造 灘浜福鶴蔵 神戸市東灘区魚崎南町4丁目4番6号

 灘浜福鶴蔵のラインナップ

 「秘蔵浜福鶴」純米大吟醸 袋吊り雫酒

 「浜福鶴」大吟醸

 「小山屋又兵衛」大吟醸 など

 

 灘・魚崎郷の恵みを受けて
 全国の酒処のなかでも生産量で日本一を誇るのが、“灘五郷”と称されるこの地です。
 当蔵はその中でも上灘と呼ばれる酒造りの中核地、“魚崎郷”に位置しております。

 昔からこの近域で作られている「山田錦」は、数ある酒造好適米の中でも最高峰といわれており、上質な酒造りには欠かせません。また、“灘五郷は水でもつ”という言葉があるように、灘地方は天然のミネラルを豊富に含んだ六甲山の伏流水が豊かに湧き出る地としても有名です。
 「六甲おろし」と呼ばれる冷たい風や、海運に有利な地勢にも恵まれ、灘の醸造技術は極限まで高められていきました。

 江戸時代にはその馥郁たる香りや味わいから“上方の下り酒”として、大名から商家、庶民と広く愛されました。最盛期には江戸の酒の8割方が灘の下り酒で占められたともいわれています。


 創業者・小山屋又兵衛
 今から二百年以上も昔、江戸時代の後期、現在の兵庫県加古郡播磨町で生まれた初代 小山屋又兵衛が、この灘の土地で杜氏として学んだことが、浜福鶴とその親会社にあたる小山本家酒造の始まりです。

 灘で学び、埼玉へと渡り歩き、酒造りに邁進した又兵衛の情熱は代々受け継がれ、1989年には所縁のある灘で、浜福鶴の前身にあたる当時の「福鶴」と力を合わせ、伝統の酒造りを継承していくことになりました。

 

 魚崎郷の旧「福鶴」

 二百年の時を重ねる酒造り
 同地区にはトップシェアを誇る大手酒造メーカーも林立していますが、当蔵は地酒蔵元として「福鶴」ブランドの独自性を保ちながら、規模に左右されない、愛される味一筋に歩んできました。昭和30年過ぎまでは魚崎浜も白砂青松の風雅な趣を残しており、当蔵元も浜辺まで50メートル程に臨む、まさに“鶴が舞い福来たる”という名にふさわしい佇まいでした。

 時代の流れの中で厳しい経営環境に直面することもありましたが、当時の経営者、職人たちの努力や、たくさんのお客様のご愛顧のおかげもあり、長きに渡って酒造りを継続することができました。

 阪神淡路大震災を乗り越えて……
 1995(平成7)年に発生した阪神淡路大震災では、当蔵元も甚大な被害を受けました。情緒ある木造酒造蔵の街並みは全壊して、茫然の感がありました。灘五郷すべての蔵元が被災しましたが、「世界に誇る日本酒の伝統や文化の灯を消してはならない」と、地域一丸となって事業再開に奮起しました。

 

 震災で全壊した旧福鶴蔵

 幸いにも、日本酒造りの生命線である井戸水は枯れることがなく、私達は苦難を乗り越えることができました。この井戸水を断水した近隣被災者の方々に約一ヶ月間に渡り給水し続け、「生命の水」と頼りにされました。

 

 危機を乗り越えた当蔵の井戸

 伝統の酒造りを継承する蔵として再生
 復興を機に、灘本来の伝統的な酒造りを行う酒蔵に生まれ変わり、質の高い吟醸酒造りの工房を持つ「浜福鶴」として再出発を図りました。

 1996年(平成8)年には、ガラス越しに酒造りの工程を見学いただける蔵に全面改修。“造る” “見せる” “販売する”の三拍子そろった見学酒蔵として、近隣のお客様や、国内外を問わず様々な地域から観光に来られるお客様にご来館いただいております。

 美味しい酒を造りたい、灘の酒造りを絶やすことなく世に届けたいという一途な想いは、二百年の時を超えて今なお「浜福鶴」の中に息づいています。

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<伝統野菜> 山形 藤沢かぶ

2021-09-11 05:52:36 | 伝統野菜

 「藤沢かぶ」

 【産地】庄内地域>鶴岡市藤沢地区

 【特徴】藤沢かぶは大根に似た細長い形のかぶで、長さ10〜13cm、直径2〜3.5cm程度の小型の長かぶ。地上部のみが赤く着色し、土中にある部分や内部は白色。丸尻になるのが特徴。焼畑で作られ、は種から一ヶ月半で収穫できる極早生種。

 【食味】皮が薄く、上品な甘みと辛みを持つ。パリッとした歯ごたえのある肉質で漬物に適している。みそと塩で漬け込むアバ漬け、甘酢漬け、たまり漬けなどで食される。【来歴】来歴は不明だが、「とうげのやま」「とうげかぶ」と呼ばれていたことから温海の峠ノ山から嫁が持ち込んだと言い伝えられている。

 【時期】11~4月頃。

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%E2%80%9506-%E5%B1%B1%E5%BD%A2/#i-68 より

 

 作家・藤沢周平のペンネームの由来となった鶴岡市藤沢地区は、金峰山の麓に位置する静かな集落。この周辺の山中で希少な在来作物、藤沢カブが栽培されています。
 ここに暮らす後藤勝利さん清子さん夫妻は平成元年、近所の渡会さんという女性から「先祖から引継いできたかぶを、どうか絶やさないで」と、渡会さんがただひとり畑の片すみの一坪ほどで育てていた、絶滅寸前の藤沢カブの、盃一杯の種を託されました。以来、後藤さん夫婦はその種を育み、藤沢カブを守り続けてきたのです。
 藤沢カブがいつ頃からこの地で栽培されるようになったのかは不明ですが、明治時代にはすでにあったといわれて、以前は「とうげかぶ」「とうげのやま」と呼ばれていたそうです。
 カブといっても丸くはなくむしろ大根に似た形ですが、傾斜地で栽培されるため緩やかな「くの字」に曲がり、上は濃いピンクで下は白のとても愛らしい姿。薄皮でぱりっとした歯ごたえとみずみずしさをもち、柔らかな甘みと独特の辛みを備えています。多くは漬物用に出荷されますが、生もまた格別の味わいです。
 藤沢カブはもともと、山奥の水はけのよい傾斜地で、伝統的な焼畑農法によってつくられてきた作物です。焼畑は労力も時間もかかる大変な重労働ですが、後藤さん夫妻は10年以上も絶えていた藤沢カブの焼畑を復活させました。
 作業は森林管理のため計画伐採される山の区画探しから始まります。そして一年でいちばん暑いお盆の頃、延焼を防ぐため入念に下準備(ヤマハライ)をした後、明け方の薄暗いなか斜面の上部から火を放ちます。日の出を過ぎる頃まで、周囲の木に放水をするなど最新の注意を払いながら作業を進め、火がまだ燻っているうちに種を蒔きます。これは地面の熱で種の外皮を刺激して、発芽を促すため。こうして蒔かれた種はのびやかに芽を出して成長し、約2ヶ月後には収穫の時を迎えます。
 藤沢かぶの漬物
 焼畑はともすれば自然破壊と誤解されがちですが、実は熱によって土壌が改良され、除草・殺菌されるために無農薬・無肥料の栽培ができる有機農法。里山の保全のために伐採された跡地を利用しての藤沢カブの栽培は、昔人の知恵が生み出した合理的な循環型農業であり、貴重な農耕文化です。とはいえ酷暑の火入れ、急勾配の斜面での作業は実に過酷なもの。けれども後藤さんは「カブがめんごぐで(可愛くて)のぉ」と、だからずっと続けてきたのだと語ります。後藤さん夫妻の深い思いがあったからこそ、残されてきた藤沢カブです。

*https://syokunomiyakoshounai.com/ingredient/ingre-04/003.html より

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<慣用句・諺> 跡を濁す など

2021-09-11 05:49:56 | 慣用句・諺

 「跡を濁す」

 立ち去ったあとに醜い状態を残す。

 

 「後を引く」

 1 余波がいつまでも続いて、きまりがつかない。尾を引く。

 2 いつまでも欲しい感じが残る。

 

 「跡を踏む」

 先人の事跡を手本にして行う。

 

 「跡を守る」

 1 留守の間を守る。

 2 親や夫、あるいは師の死後、故人の業を受け継ぎ、それを絶やさないようにする。

 

 「アドバルーンを揚げる」

 計画などを事前にもらして、世間の反響をみる。

 

*goo辞書 より

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<The Wonder 500> ものづくり 012 collection SUZURI table

2021-09-11 05:42:54 | The Wonder 500

 「012 collection SUZURI table」

 室町時代より、良質の硯材を産出することで有名な宮城県雄勝町の硯材は、玄昌石と呼ばれる2、3億年前の粘板石で、美しい黒の色調が特徴的です。玄昌石でできた硯は600年以上も続く、日本の伝統工芸品でもあります。Studio GALAのSUZURIシリーズはこの玄昌石でつくられたテーブルウエアで、1982年から続くロングセラー商品です。雄勝町の職人が一枚一枚丁寧に手作りで仕上げています。

 「推薦コメント」

 日本では料理を供にする際、皿の質感や余白の部分まで意識します。この青黒い独特の質感の食器は、日本料理のような余白のある料理向き。独特の風合いから、料理が映える食器でありながら、料理人に挑戦する食器でもあります。-立川裕大

 

 株式会社 スタジオ・ガラ 東京都練馬区桜台5-11-5

*https://studio-gala.co.jp/product-category/gala/suzuri/ より

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