いいもの見ぃ~つけた!

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「北海道のコメがうまいのは温暖化のおかげ」発言に対して

2021-10-28 07:46:33 | 米屋の親父のつぶやき

 自民党の麻生太郎副総裁は25日、北海道で衆院選の公認候補とともに街頭演説し、道産米について「昔、北海道のコメは『やっかいどう米』と言うほどだったが、今はやたらうまいコメを作るようになった。農家のおかげか、違う。温度が上がったからだ。温暖化というと悪いことしか書いてないが、いいことがある」などと発言した。温暖化にメリットがあるかのような発言だが、品種改良に取り組んだコメ農家の努力などには触れておらず、波紋を広げそうだ。

 麻生氏は演説で「おぼろづき、こちぴかり、金賞取った。いずれも北海道米だ」とも発言した。「こちぴかり」という名の道産米ブランドはなく、事実誤認とみられる。【高橋由衣】 毎日新聞 10/25(月) 21:00配信

*https://news.yahoo.co.jp/articles/28468e5d2d05d6e695d0fa51e1bdb4eec802f9f8 より

 

 「温暖化したおかげで北海道のコメはうまくなった」 自民・麻生氏 10/25(月) 16:30配信

■ 自民党・麻生太郎副総裁(発言録)

 暑くなった、温暖化した、悪い話しか書いてないけど、温暖化したおかげで北海道のコメはうまくなったろ? 北海道米は昔は厄介道米って言われてたじゃないの。それなのに今はコシヒカリだ、コチピカリだ、ねえ、なんか怪しげな名前だけど、おぼろづきとか名前をくっつけて金賞をとって、その米を輸出してんだよ。

 そういったものは温度が2度、お米の花が実に変わるあのころの温度が2度上がった。それだけで売れるようになった。おいしいお米になって。それを輸出してる。これが今の現実じゃありませんか。

 北海道の雪がいいから、フランスからオーストラリアからスキーやりに人が来てる。倶知安だ、ニセコだ、みんな行ってるわけだ。そういったことを思い出していただくと、北海道にはこれで新幹線だ、この小樽経由で札幌まで行くんでしょ。今の札樽道路も通ってくる。一つ一つ明るい将来というものが出てくる。(北海道小樽市の街頭演説で)

 

 麻生氏「コメがうまいの温暖化のおかげ」発言 火消しに躍起の政府  毎日新聞 2021/10/26 20:46
 自民党の麻生太郎副総裁が「北海道のコメがうまいのは、農家ではなく地球温暖化のおかげだ」と発言したことが波紋を広げている。北海道を中心に農産関係者の反発は強く、政府・与党は火消しに追われた。

 麻生氏は25日、北海道内であった衆院選候補者の応援演説で「昔、北海道のコメは『やっかいどう米』と言うほどだったが、今はやたらうまいコメを作るようになった」とした上で、品質向上は農家の努力ではなく「温度が上がったからだ。温暖化というと悪いことしか書いていないが、いいことがある」などと述べた。

 しかし、北海道庁などによると、実情がまったく異なる。北海道は特有の厳しい気候に適した品種の開発・改良を数十年にわたって継続し、全国屈指のコメの主産地となった。1988年に登場した「きらら397」をはじめ、「ななつぼし」「ゆめぴりか」といったブランド米も次々と誕生している。

 9月25日現在の北海道の2021年産米の作付面積は10万3300ヘクタール、主食用米の予想収穫量は52万6000トンに上り、いずれも新潟県に次ぐ規模だ。道内の農家で構成する「北海道農民連盟」の大久保明義委員長は26日、「全国でも北海道米が高い評価を得ているのは、全道を挙げてコメの品種改良を重ね、官・民・農が一体となって協力し、地位を確立した結果。生産者の努力と技術をないがしろにするような発言は断じて許されない」と抗議する談話を出した。

 政府・与党は後始末に追われている。松野博一官房長官は26日の記者会見で「コメントは差し控えたい」と沈静化を図った。金子原二郎農相も閣議後記者会見で同様の対応でかわそうとしたが、記者から詰められると「農家の皆さんの努力に尽きる。気候どうこうというより、気候に合ったものを作る努力をした結果、今日がある」と麻生氏の発言を事実上、修正した。

 気候変動はコメの品質にどの程度、影響するのか。拓殖大北海道短大の田中英彦教授(作物学)は「稲が実るには穂が出た後の40日間で、気温が一定の水準に達する必要がある。温暖化が収量や品質に貢献する部分はある」とする一方で、「おいしいコメを生み出すには品種改良や農家の努力などの積み重ねが前提になる」と麻生氏の発言は正しくないとの見方を示した。【浅川大樹】

 

 米屋の親父としては「無視-スルーできない」話である。

 あちこちから批判が出るのも当然!

 まず「農家のおかげ」について

 やはり「農家の力」あってこその「お米」である。これを疎かに扱うことはあってはならない。

 そこをなしがしろにしたような発言は失言と言わざるを得ない。

 

 ここで今一度「北海道産米」の歴史を復習してみたい。

 北海道米がたどって来た歴史

 新米のおいしさを知ったら、いよいよ本題!北海道米のおいしさに迫ります。先ほど述べたように、北海道は昔、寒い気候により『不作の大地』と呼ばれていたんです。実際に生産するお米も、「おいしくない」といわれ続けてきたそう。

 それが今では、全国の有名ブランド米と肩を並べるような品種が続々と登場するまでに改良されましたよね。ここに至るまでの歴史をざっと振り返ります!

 1869年 1692年より始まった米づくりが、「土地が稲作に適さない」という理由で一時禁止に…

 1873年 『赤毛』という品種で北海道寒冷地稲作が成功!

 1961年 米の収穫量が新潟県を抜き初の日本一に!!!

 1979年 減反政策により政府買い入れ価格に銘柄間格差が導入されるが、北海道米はほとんどが最低ランク…

 1980年 優良米の早期開発に取り組む

 1988年 『きらら397』が誕生!!!一躍ブームとなり北海道米が全国的に注目される

 1996年~2008年 『ほしのゆめ』『ふっくりんこ』『おぼろづき』などブランド米が続々誕生!!

 2011年 『ゆめぴりか』『ななつぼし』が、北海道米で初めて食味ランキング最高位『特A』を獲得!!

 このように、最初は作ることすら制限され、そのうち大量に作れるようにはなったけれど、「おいしくない」と酷評され…優良米の早期開発に取り組んだ結果、『きらら397』が爆発的ヒット!!!それからは、ヒットを連発し今では北海道米=おいしいというイメージがしっかり根付きましたよね。

*https://asatan.com/articles/91 より


 「やっかいどう米」と揶揄された北海道米がブランド化するまでの歴史を振り返る 2019-10-07

 今週のお題は「#わたしの推し米」です。

 どうやらタイアップ企画のようで2週間くらい続くようですね。

 私自身はお米の品種についてはさほど拘りはない方ですが、北海道米の「ゆめぴりか」が好きです。

 今でこそ美味しくなった北海道米ですが、ここに辿り着くまでには先人達の気が遠くなるような努力がありました。

 今回はそんな北海道米の歴史を振り返ってみたいと思います。

 北海道の稲作
 北海道の稲作の歴史は意外に古く、時代は元禄まで遡ります。

 元禄5(1692)年には、東部亀田村(現在の道南地方)で吉田 作右衛門 氏が開田を試みた記録が残っています。

 その後も松前藩による開田事業が行われましたが、あくまで北海道内で比較的温暖な道南地方に限られたもので、成果も芳しくなかったようです。

 それを受けてか、明治2(1869)年に設置された北海道開拓使の農業育成方針では、稲作は北海道に向かないとして禁止。畑作、畜産を推進していく方針がとられました。

 しかし、明治4(1871)年に農業指導者の中山 久蔵 氏によって耐冷品種である「赤毛」が道央で作付けされ、翌々年には収穫に成功します。

 耐冷品種とはいえ、当時は風呂の湯をくんで苗代に入れたり、川から引いた水を日光で温めてから水田に引くなど並々ならぬ努力と工夫があったようです。

 その後も中山 氏は品種や栽培方法の研究を続け、改良した種子を開拓者に配布。このことから「北海道稲作の父」と称されるようになりました。

 「やっかいどう米」時代
 品種改良や生産技術の進歩によって道北地方での栽培も可能となり、北海道全域に生産が拡大。昭和36(1961)年には作付面積で日本一になりました。

 しかし、1970年代に入るとパン食の普及などにより米が生産過剰になり、北海道は作付面積を半分近くに制限されてしまうことに。

 その原因は米の質。美味しくない、売れない割に量だけは穫れるため「やっかいどう米」と揶揄されたそうです。

 若い世代からすると信じられない話かと思いますが、1980年代後半〜平成の初期くらいまで「北海道米はまずい」というのは一種の常識でした。

 ブランド米の開発 
 1979年には政府の米の買い入れ価格に銘柄間格差が導入され、北海道米がほとんど最低ランクと評価されてしまいました。

 そのため、翌年の1980年から北海道が優良米の早期開発に着手。関係者の必死の努力により昭和63(1988)年に「きらら397」が誕生しました。

 実際に登場すると、パッケージの愛らしいイラストの効果もあり、従来の「美味しくない」北海道米のイメージを覆し大ヒットとなりました。

 この流れが後年の「ほしのゆめ」「ななつぼし」の登場につながったようです。

 この3種はそれぞれ特色があり「きらら397」は粒が固めのタイプで「ほしのゆめ」は味を主張し過ぎないタイプ。「ななつぼし」は粘りや甘味のバランスが絶妙で、冷めても美味しいと評判です。

 とりわけ「ななつぼし」は平成22(2010)年に北海道米では初の食味ランク「特A」の評価を獲得。他府県のブランド米に引けを取らない質であることを証明しました。

 そして平成23(2011)年、やや高級路線をとった「ゆめぴりか」が全国デビュー。

 1997年に交配を行ってから10年以上の歳月を費やした品種で、当初は「味は抜群だが収量不足」とされたり、デビュー前の2009年には冷害に遭うなど困難もあったそうです。

 現在は定番と化した「きらら397」「ななつぼし」や同じく高品質路線の「ふっくりんこ」と並ぶ人気品種です。

 挑戦は続く…
 もともと稲は温暖な気候を好む植物。耐寒性と病害虫対策、収量、味を両立させることは至難でした。 

 それらを先人の努力でクリアーしてきたわけですが、北海道は地区により気象条件が大きく異なり、それによる品質のばらつきが課題とされています。

 また、ブランドとしてのネームバリューも他府県の有名品種と比べるとまだ1歩及びません。

 今後どのような品種が登場するのか、個人的には期待大です。

*https://www.mukai-kaze.com/entry/2019/10/08/002755 より

 

 昭和44年から「自主流通米制度」が始まり、「お米の取引」が今までとはガラッと様変わりしました。

 その少し前の昭和37年には「新潟こしひかり」が、昭和59年には「秋田あきたこまち」が誕生し、全国で「良質品種」が栽培され市場に流通されることに。

 配給制度から「自主流通米制度」に切り替わり、「品種」での販売が米屋で始まった。

 小学校4年の社会の授業で、「家ではどんなお米を食べているか、お米の袋などを持ってきなさい」と宿題が出された。

 少々私は困惑したw 今まで一般的に売られているお米の「袋」に入ったものを食べていたわけではないから。そりゃ当然だわな、お米は売るほど店にあり、わざわざ「米袋」に入ったものをお袋が台所に持ってくるはずもない。お店に行って、精米された袋詰めされていないものを適当に取ってくるだけだものw

 親父に相談すると・・・「玄米の袋にはエフ-いわゆる荷札がついているから、それをいくつか持っていきなさい」と。

 今まで「店では遊ぶな」と言われてきたため、「玄米」が積んでいることはわかっていても、それほどマジマジと見たこともなかった。まぁ遊ぶなと言われた本当の理由は、小1の時に店で遊んでいて骨折したからだがw

 「玄米」の袋には、そのお米の「産地など」が書かれたもの-エフが付いていた。(今から考えてみると闇米ではなかったということだw)

 そしてのそのエフを集めた。

 たぶん、「新潟」「富山」「福井」そして「北海道」など数種類のエフを次の社会の授業に持って行った。

 担任の先生は、うちの姉キの担任をしたことがあったので、うちが米屋だということも知っており、それを見るなり「やっぱり米屋の子」と笑われた。

 当時-昭和47・8年頃だから、殆どの友達は「産地名」の書かれた米袋などは持ってきていなかったように思う。

 先生は、黒板に日本地図らしきものを書き、持ってきた袋から読み取った「産地名-県産名」を書いていた。でも物足りないものになった。思ったほど各地の県が集まらなかったから。

 そこで取り出したのが私が持ってきたエフ。

 「ほぉ~北海道もあるんだ」と先生。

 この授業では、全国各地でお米が作られていることを学ぶためのものだったのだ。

 帰宅して親父に話したら・・・「北海道のお米は今はたいしたことないが、いずれ楽しみなものになるぞ」と言われたことを覚えている。

 そう、昭和40年代後半では「北海道米はたいした食味ではない、つまり低品位米だった」ということ。*上記に書かれている北海道米の歴史の裏取りでもある

 米屋に戻った今から25年前。低品位米と蔑まれた北海道米は食味を向上させていた。親父に言われた「いずれ楽しみなものになる」と言う言葉を思い出し、北海道米を積極的に取り寄せ、また勉強もした。

 そしてその数年後、組合で販売キャンペーンを行うまでに。

 ただ親父の年齢に近い人だけでなく、私に近い年齢の人まで、「北海道米に対するアレルギー」はすごいものだった。勉強会・試食会をし、情報を流し、ようやくキャンペーンができるように。

 決して我々は「やっかいどう米」などという言葉は使いはしなかったが、ほとんどの米屋さんが毛嫌いしていたことは間違いなかった。

 ようやく消費者の方にも「おいしい北海道米」と認知されるようになったことは、嬉しい限りである。

 「いずれ楽しみなものになる」という言葉は、本当に親父には確信があったのか?いろいろなことで思うのだが、親父を知る人がよくいう「あんたの親父は宇宙人」だったのかも?w

 

 北海道産米のおいしさの秘密の要因はいくつかある。

 一番はやはり「品種改良」。

 北海道米の最優良食味米「ゆめぴりか」の歴史を見てみると・・・

 第1話  北海道の美味しいお米「ゆめぴりか」の誕生 ~  道総研農業試験場のお米の品種改良 道総研 上川農業試験場長 紙谷 元一

 北海道の新しい優良品種「ゆめぴりか」は食味が非常に優れ、各方面から注目を集めています。

 今から30年前、北海道のお米は食味が劣り、「やっかいどう米」などと消費者に不評でした。

 そこで北海道は「ササニシキ」や「コシヒカリ」並の極良食味品種の開発を目標に1980年から「優良米の早期開発」プロジェクトをスタートし、機器分析による成分育種が大きな効果を発揮しました。

 北海道で生産するお米は本州に比べ低い温度条件下で登熟(とうじゅく)するため、澱粉の一成分であるアミロース含量が高く、またタンパク含量も高めでした。

 そのため、お米の粘り気が少なく、固くなる傾向があります。農業試験場では、アミロースやタンパク含量を測定する分析装置を導入し、毎年何万点という試料を分析して品種改良を進めました。

 こうした5期30年にわたるプロジェクト研究の中で、「きらら397」(88年 上川農試)、「ほしのゆめ」(96年 上川農試)、「ななつぼし」(2001年 中央農試)など美味しいお米が開発されています。

 「ゆめぴりか」は、97年に「札系96118」を母本、「上育427号」を父本として交配を行いました。母本は(独)農研機構北海道農業研究センターで育成された低アミロースの良食味系統です。「きらら397」の変異系統で、低アミロースのうるち遺伝子を有しているため「コシヒカリ」よりも低いアミロース含量を示し、食味の向上に大きく寄与しています。

 交配種子はおしべから稲をつくる葯培養(やくばいよう)を経て選抜が進められ、さらに生産力検定試験や各種特性検定試験、奨励品種決定現地調査などを行い、2009年に北海道の優良品種に認定されました。

 「ゆめぴりか」は炊飯米につやがあり、ねばりが大変強く、もちもち感もあって消費者による食味試験でも大変美味しいと評価されています。参考品種ながら、日本穀物検定協会の食味ランキングで、基準米よりも特に良好なものに相当する「特A」となりました。

 食味に関していえば、優良米開発プロジェクト発足30年にして、いよいよ当初の目的が達成されたといえます。ただし、耐冷性や耐病性についてはまだ十分とはいえず、改良すべき点も残されています。

 品種改良は長い年月と多くの労力を必要とするプロジェクトです。効率化の進む水稲でも、交配から品種認定まで約10年、現地調査だけでも数年にわたり延べ50カ所以上で、栽培農家や農業改良普及センターのお世話になり実施しています。

 今後も、温暖化による気象変動や持続可能な農業に対応するため、農業試験場内の連携はもちろん、関係機関のご協力をいただきながら試験研究を進めていきます。

*https://www.hro.or.jp/info_headquarters/domin/magazine/2011415.html より

 「上川農試」の努力は大変なものだったと思う。毎年のように全国各地で「新品種」が出てくるが、そのほとんどが数年も経たないうちに姿を消す。その中にあって「北海道米」の新品種は成功を収めている。その大きな要因は「組織力」ともいわれる。そう「ホクレン」の力。まぁこの話はまた別の機会に。

 

 麻生さんの失言は「勉強不足」が原因と言われる。演説の中で話された「新品種名」?

 たぶん「ゆめぴりか」のことだったろうけど、「こちぴかり」って何だ?w

 

 話は戻るが・・・

 麻生さんの「言いたかったこと」は、「温暖化が全て悪者ではない」と言いたかっただけだろう。

 それがお得意の「失言」につながった。調子に乗って演説すると、どうも間違いを犯しやすいw

 ただ「温暖化の影響」はたしかに少しは影響していると考える。ある専門家は「ほとんどない」、一方である専門家は「ある」という。「全く関係ない」という見解はまだ見たことないw ということは「少しは影響ある」と言えるのでは?

 麻生さんの言いたかったであろう「温暖化は全てに対して悪者」ではないということだろう。

 

 「北海道米の良食味・高品質」は、「農試の品種改良」と「農家の努力」そして「組織力」が支え、「温暖化も多少の影響」を与えたものだと結論付けられるのでは?

 

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伊勢丹FOODIEが選ぶ「愛される食品100」 020 伊勢丹限定のりチップス 発芽玄米味・ごま味〈山本海苔店〉

2021-10-28 07:33:48 | 食品

 「020 伊勢丹限定のりチップス 発芽玄米味・ごま味〈山本海苔店〉」

*https://www.yamamotonori-shop.jp/c/character/hellokitty/Z4182 より 上記写真は「山本海苔店」の別商品です

 株式会社 山本海苔店 東京都中央区日本橋室町1丁目6番3号 03-3241-0261

 品質本位の姿勢、味附海苔の元祖。
 嘉永2年(1849年)、江戸は日本橋室町に、初代山本德治郎が創業した山本海苔店。二代目の時代には、当時浅草海苔として画一的に販売されていた海苔を、家庭用、進物用、寿司店用など、使用目的により8種類に厳格に分類し販売いたしました。
 また明治2年(1869年)、明治天皇京都行幸の御土産品の上納方を仰せつかった際に「味附海苔」を苦心創案しました。これをきっかけにして、一般向けにも売り出し大ヒット商品となりました。これが山本海苔店が味附海苔の元祖といわれる所以です。
 この厳しい品質管理と斬新な開発の心は今でも伝えられております。
 厳格な仕訳が、おいしさの理由
 秋から冬に採取される海苔。各生産地で品質検査を受け規格と等級に基づいて格付けされた後、入札にかけられます。その格付けは800~1000種にまで及びますが、山本海苔店では「仕入部」の熟練バイヤーが入念な調査の上、厳選吟味し"おいしい海苔"を仕入れています。
 さらに、仕入れられた海苔は弊社工場の「仕訳技術室」のベテラン技術者により、あらためて独自の基準で一枚一枚品質を吟味されます。
 業界でも稀有なプロセスですが、山本海苔店がめざす「おいしい海苔」をお客様のお手元にお届けするためには重要な工程です。

 佐賀工場より鮮度感のある商品をお届け
 海苔のおいしさの決め手は「口どけのよさ」と「深い旨み」。山本海苔店は"おいしい海苔"を安定して提供できるよう、研究開発、仕入れ、製造を一貫して行っています。
 その製造部門を担っているのが、弊社の佐賀工場。日本一の海苔生産地"有明海"に臨む佐賀県にて、産地に近いという地の利を活かし、鮮度感のある高品質な商品づくりに励んでおります。さらに万全の設備による生産環境のなかで、職人の持つ五感を大切にしつつ、おいしさと安心・安全をお届けするよう心掛けています。

 マルウメマークの由来
 山本海苔店の登録商標のマルウメ(まるうめ)マークの由来には二つの理由があります。
 一、 創業の頃、江戸前の海では、梅の咲く寒中に上質の海苔が採れたこと。
 二、 海苔が梅と同じように香りを大切にしている事。
 以上二つの理由から、「梅の花が咲く寒中に採れた、馥郁な香りのおいしい海苔を皆様にお届けしたい」
 という想いを込めて、創業当時より使用しております。
 弊店の製品に「梅の花」「紅梅」「梅の友」など梅の字を使った品が多いのもこのためです。

つまんでパリッ。ヘルシーおやつ

マクミラン柄は玄米味、ブラックウォッチ柄はごま味。パリッとしたのりチップスは、缶から直接つまんで食べられる、カジュアルなヘルシーおやつです。プチ手土産としても喜ばれる一品。
※商品パッケージをリニューアルしました。(2021年10月11日追記)

各20g/1缶 各648円 各約100缶/月
[粋の座・和酒]

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<言 葉> 秋の言葉 凄日

2021-10-28 07:20:21 | 言葉

 「凄日-せいじつ」

 涼しい日。秋の日。凄辰(せいしん)。「凄」は「秋」の意味。

*https://hyogen.info/word/7464271 より

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<ぶどう> キャンベル・アーリー

2021-10-28 07:11:50 | 食品

 「キャンベル・アーリー」

■キャンベル・アーリー(Campbell Early)とは?

 ●アメリカ生まれの黒ブドウ(英)Campbell early
キャンベルアーリーはアメリカでジョージ・W・キャンベルによって「ムーア・アーリー」に「ベルビダー×マスカットハンブルグ」を交配して生まれた実生を選抜育成されたラブルスカ種の黒ブドウで、1890年代中頃に発表されました。

日本には1897年に(明治30年)新潟県の川上善兵衛氏によって導入されたとされています。川上善兵衛氏は「日本のワインぶどうの父」とも呼ばれている人で、現在も新潟のワイナリーとして知られる岩の原葡萄園の創始者です。

それ以来、このキャンベルアーリーは「キャンベル」や「キャンベルス」とも呼ばれ、日本に馴染み深いブドウとして広く普及していき、今ではこれを元に沢山の品種が生まれています。国産ぶどうで最も多く作られ親しまれている巨峰も、源をたどればこのキャンベルアーリーなんです。

●キャンベル・アーリーの特徴
キャンベルアーリーは手を加えずそのまま実らせた場合、果房は大きく、肩を張った形になります。中粒種のぶどうで果粒は5~7g程です。色は熟すと黒に近い紫で、皮はやや厚く、スリップスキンと言われるように皮は果肉からつるっと剥けます。

果肉は非常にジューシーで、酸味がしっかりとあり、糖度は13~16度ほどで、全体として濃厚な甘酸っぱさとして感じます。そしてキャンベルアーリーはフォックス臭と呼ばれるラブルスカ種特有の香りが感じられます。

種はジベレリン処理だけでは完全な種無しが難しい事もあり、種アリの状態で出荷されている事が多いです。

●キャンベル・アーリーのジュースやワイン
キャンベルアーリーは豊産性が高いうえに果実は甘酸っぱい果汁をたっぷりと含んでいる事から、生食以外にもジュースやワインの原料にも用いられています。

■キャンベル・アーリーの主な産地と旬
●キャンベル・アーリーの主な産地と栽培面積

かつては日本の代表的なブドウ品種として各地で盛んに栽培されていた時代もあったようですが、現在ではブドウ全体の5%ほどになっています。政府がまとめた平成22年のキャンベルアーリーの栽培面積データです。主な産地は北海道や岩手県、そして青森県、秋田県で、北海道から東北にかけてが生産の中心となっています。

●キャンベル・アーリーの収穫時期と旬
キャンベルアーリーの収穫時期は産地にもよりますが、8月中旬頃から始まり、遅い北海道で10月中旬頃まで続きます。食べ頃の旬は8月下旬から9月中旬あたりとなります。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/budou-CampbellEarly.htm より

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<日本酒> Garyubai Sparkling Sake

2021-10-28 06:39:07 | 日本酒

 ワイングラスでおいしい日本酒アワード プレミアムスパークリングSAKE部門

 <最高金賞> 2/2 「Garyubai Sparkling Sake」

アルコール度数:13度
精米歩合:60%
醸造方式:二次発酵

一般社団法人「awa酒協会」の厳格な基準のもと製造された、ハレの日にぴったりの透明なスパークリング日本酒。
2020年5月にawa酒協会から認定を受け、静岡県初のawa酒ができました!
シャンパン製法で完全な滓のない商品を実現しており、味わいもシャープできめ細やかな泡とフルーティな香りを堪能できます。

【「awa酒」とは?】
awa酒とは、一般社団法人awa酒協会の基準を遵守して製造された特別なスパークリング日本酒です。
純米であること、瓶内二次発酵の天然のガスを保有していること、滓引きをされた透明で美しい酒であること、その他厳しい基準をクリアしたスパークリング日本酒だけが「awa酒」という呼称を使用することが認められています。

 三和酒造株式会社 静岡県静岡市清水区西久保501-10

 三和酒造のラインナップ

 「臥龍梅」純米大吟醸 三味和醸・純米大吟醸 山田錦45 袋吊り・純米吟醸 三味和醸 など

 「臥龍梅がりゅうばい」命名の謂れ

 「臥龍」という言葉は古く、その出典は中国四大奇書のひとつに数えられる長編歴史小説、「三国志演義」であります。この小説は、魏、蜀、呉、三国対立時代の中国を背景に英雄豪傑の活躍と運命を描いたもので、その書中、「劉備玄徳 りゅうびげんとく」が在野の賢人「諸葛孔明 しょかつこうめい」を三顧の礼をもって自軍に迎え入れる下りに「臥龍・鳳雛 がりょう・ほうすう」という言葉が出てまいります。
 「臥龍」は寝ている龍、まだ雲雨を得ないため天にのぼれず、地にひそみ隠れている龍のことで、転じて、まだ志をのばす機会を得ないで民間にひそみ隠れている英雄、「諸葛孔明」の例えであります。ちなみに「鳳雛」とは鳳凰のひなで、将来、大人物になる素質を備えた少年の例えであります。

 さて、処はわが国に移り、時代は下って戦国時代末期のことです。後に徳川幕府を開設した徳川家康は、幼少の一時期、今川家の人質として当社の近隣の「清見寺 せいけんじ」という禅寺に暮らしていました。そしてその無聊の徒然に、寺の庭の一隅に一枝の梅を接木したと伝えられています。「諸葛孔明」の故事どおり、「清見寺」にあった頃の家康は地にひそみ隠れておりましたが、その後、龍が天にのぼるがごとく天下人となりました。家康の植えた梅は三百年の月日を経て大木に成長し、今も、毎年春三月には凛とした風情で花を咲かせております。さながら龍が臥したような見事な枝振りもあいまってか、この梅は何時の頃からか「臥龍梅」と呼ばれるようになりました。
 当社では、「臥龍」の故事に習い、やがては天下の美酒と謳われることを願って新しく発売するお酒を「臥龍梅」と命名いたしました。なにとぞ末永くご愛顧賜りますようお願い申し上げます。

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<伝統野菜> 栃木 干瓢

2021-10-28 06:23:27 | 伝統野菜

 「干瓢」

 【生産地】下野市 壬生町 小山市 宇都宮市、鹿沼市、真岡市など

 【特徴】栃木の特産品・かんぴょうは、国内生産シェア約98%。野州かんぴょう発祥の地とされる壬生町をはじめ、栃木県内で生産されている。県内で生産された「ゆうがお」の果肉を、桂剥きのようにひも状に剥いて干す。生産面では、従来はユウガオの栽培からかんぴょうへの加工までを一貫して生産者が担ってきたが、労働負担を軽減するため、ユウガオ栽培とかんぴょう加工の工程を分業化する取組が行われている。

 【食味】乳白色で香りが甘く、肉厚で弾力のあるもの。また幅が広く太さがそろい、良く乾燥しているものが良品とされる。

 【来歴】約 300 年前の江戸時代に、壬生町の黒川のほとりで栽培されたのが最初とされる。栃木県にかんぴょうが導入されたのは、1712 年、江州(現在の滋賀県)の水口城主・鳥居忠照公が下野壬生城主に国替えになった際、旧領地の滋賀県木津の地からユウガオの種を取り寄せ、現在の壬生町の黒川のほとりで栽培したのが始まりとされている。また、ユウガオ栽培が定着した背景としては、保水性と通気性に優れた土壌と、夏の夕方に雷雨の多い同県の気候が、ユウガオの生育に適していたことがあげられる。現在では、県央・県南部の畑作地帯が主産地であり、麦、野菜等との輪作体系が確立されている。

 【時期】通年

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%e2%80%9509-%e6%a0%83%e6%9c%a8/#i-7 より

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<慣用句・諺> いざとなると など

2021-10-28 06:18:06 | 慣用句・諺

 「いざとなると」

 はたして大事に至った場合になると。肝心の場合に。

 

 「石が流れて木の葉が沈む」

 《「新語」弁惑から》物事が道理と逆になることのたとえ。

 

 「石亀の地団駄」

 《「雁 (がん) が飛べば石亀も地団駄」の略》身の程を考えないで、他をまねようと力んでも限界があることのたとえ。石亀も地団駄。

 

 「石車に乗る」

 小石を踏み、足をとられてひっくり返る。転じて、うっかり調子に乗って失敗する。

 

*goo辞書 より

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<The Wonder 500> ものづくり 059 木勝シリーズ

2021-10-28 06:08:48 | The Wonder 500

 「059 木勝シリーズ」

木勝 kikatsu
「木勝と出会うのはBARか料理屋さん」だけでいい。

木村硝子店の木勝シリーズは、木村硝子店がそれまで集めていたヨーロッパのアンティークグラスをデザインソースとして、 今までにない雰囲気のグラスを作ろうと、インハウスデザイナー三枝静代のセンスを前面に出しながら作りました。 

ステム付きのグラスから、タンブラー、オールド、ショットグラスまで。約130種類の切子のシリーズです。グラスは国内のガラス職人によるハンドメイド。切子は東京下町の切子職人へお願いしています。木勝シリーズの切子は、非常に繊細で技術も高く、今現在、木村硝子店でお願いできる職人さんはほんのわずかです。

グラスの形状、切子のデザインは、デザイナーの三枝によるものですが、例えばこれは魅力的な図柄がデザインできれば、木勝が出来るかといえば実はそうではありません。切子は様々な道具を使って削り、磨き、仕上げていきます。一本の線や、小さな丸い文様でも太さやサイズが異なれば、また別の道具が必要になります。お願いする切子職人さんが、どのような道具を持っていて、どんなことが出来るか。そういった点の把握や、また職人さんとのコミュニケーションも木勝を作り上げることにとっても大切な要素になります。

『切子』という技法を把握していないと、木勝のデザインは出来ないのです。

木勝が完成し、販売を開始した1994年は、まだ東京にも手作りのガラス工場がいくつかあり、切子の職人さんもお願いできる方は複数人いました。現在では手作りガラス工場は数少なくなり、また切子職人さんも後継者不足などなかなかお願いできる方がいらっしゃらない状況になってしまいました。

現在、国産ハンドメイドのグラスは木勝以外でも生産が難しくなってきている状況です。工場や職人さんの減少という現状で、木勝も生産量は本当にわずかずつしか出来ないのです。

木勝に尽力してくださる、ガラス工場のみなさま、切子職人の方々、また関わっていただいているすべての方々には感謝をし尽くせません。

木勝はバーや割烹など飲食店ルートに限って販売を始めました。 あまり目に触れないほうがそれもまた良いのではないかと考えて1994年より約20年に渡って販売しています。

バーのカウンターや、美味しいお料理のテーブルで、ひっそり木勝に出会っていただけると嬉しいです。

 「推薦コメント」

 20年近く前に出会い、いくつも揃えてきましたが、どれも使いやすく上品。カッティングのデザインは、単に伝統をコピーするのではなく、すべてに遊び心があるところがいい。非常に大胆な挑戦を行っているメーカーだと思います。-緒方慎一郎-

 株式会社 木村硝子店 東京都文京区湯島3-10-7

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