「岡崎石工品」
Description / 特徴・産地
岡崎石工品とは?
岡崎石工品(おかざきせっこうひん)は、愛知県岡崎市周辺で作られている石工品・貴石細工です。室町時代後期に誕生し、安土桃山時代に原型が作られた伝統工芸品で、良質な岡崎花崗岩が手に入りやすかったことで発展していきました。茨城県の真壁、香川県の庵治、そして愛知県の岡崎が日本三大石材産地と呼ばれています。
それぞれの地域で個性は異なり、真壁地方では良質な花崗岩(かこうがん)を潤沢に採取できるため、圧倒的な石の種類と産出量があります。かたや庵治地方の石材は、他の産地にはない斑の模様を持っていることから世界でも有数の高級品とされています。
岡崎石工品の特徴は、長い歴史をもつことと、岡崎御影(みかげ)など石目に特徴がある石材が多いことです。また、岡崎は石都(せきと)と呼ばれるまでに石材技術が発展していき、1979年には伝統的工芸品に指定されました。
History / 歴史
安土桃山時代に岡崎城主の田中吉政が、城下町の石垣や堀などの建設に優秀な石工職人がいた河内や和泉から呼び寄せました。そして、彼らが移り住んだことで、岡崎独自の技術が磨かれていき現在につながる岡崎石工品が確立します。
岡崎地方では、質の高い花崗岩が近隣の山から手軽に採取できたことで石の文化が広がっていき、当初は、数十軒しかなかった石屋が、戦後の最盛期には350軒まで拡大する岡崎の主要な地場産業となりました。石燈籠を運ぶ輸送手段として矢作川(やはぎがわ)を利用できたことも産業が発展した理由の一つです。
最盛期を迎えた戦後の高度成長期には、効率的な作業を行うために機械化が急激に進み、石工品も従来の手作業から効率が上がっていきます。また、自動車産業が発展したことで石工品の販路も広がったため、石工団地が作られました。
現代も、職業訓練校が設立され岡崎石工品の伝統技術を継承されています。
* 「岡崎石工品」
Description / 特徴・産地
岡崎石工品とは?
岡崎石工品(おかざきせっこうひん)は、愛知県岡崎市周辺で作られている石工品・貴石細工です。室町時代後期に誕生し、安土桃山時代に原型が作られた伝統工芸品で、良質な岡崎花崗岩が手に入りやすかったことで発展していきました。茨城県の真壁、香川県の庵治、そして愛知県の岡崎が日本三大石材産地と呼ばれています。
それぞれの地域で個性は異なり、真壁地方では良質な花崗岩(かこうがん)を潤沢に採取できるため、圧倒的な石の種類と産出量があります。かたや庵治地方の石材は、他の産地にはない斑の模様を持っていることから世界でも有数の高級品とされています。
岡崎石工品の特徴は、長い歴史をもつことと、岡崎御影(みかげ)など石目に特徴がある石材が多いことです。また、岡崎は石都(せきと)と呼ばれるまでに石材技術が発展していき、1979年には伝統的工芸品に指定されました。
History / 歴史
安土桃山時代に岡崎城主の田中吉政が、城下町の石垣や堀などの建設に優秀な石工職人がいた河内や和泉から呼び寄せました。そして、彼らが移り住んだことで、岡崎独自の技術が磨かれていき現在につながる岡崎石工品が確立します。
岡崎地方では、質の高い花崗岩が近隣の山から手軽に採取できたことで石の文化が広がっていき、当初は、数十軒しかなかった石屋が、戦後の最盛期には350軒まで拡大する岡崎の主要な地場産業となりました。石燈籠を運ぶ輸送手段として矢作川(やはぎがわ)を利用できたことも産業が発展した理由の一つです。
最盛期を迎えた戦後の高度成長期には、効率的な作業を行うために機械化が急激に進み、石工品も従来の手作業から効率が上がっていきます。また、自動車産業が発展したことで石工品の販路も広がったため、石工団地が作られました。
現代も、職業訓練校が設立され岡崎石工品の伝統技術を継承されています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/okazakisekkohin/ より
「石の都」に伝わる情緒あふれる造形美
良質のみかげ石が採れる岡崎で、江戸時代に飛躍的な発展をとげた石工品。神社仏閣の燈明として生まれた石燈ろうは、やがて庭燈ろうとして庶民の暮らしの中にも取り入れられるようになった。素朴で優美な風合いが庭園装飾の世界を広げる。
自分の手でものを作る喜び
石燈ろうと一口に言っても、「立燈ろう型」「雪見型」「生け込み型」などに分れ、それがさらに細かい型に分類されている。石製品の制作・販売を手がける上野一夫さんの工場前にも、代表的な春日燈ろうを始めとするさまざまな種類の燈ろうが並んでいた。上野さんが石の彫刻の世界に入ったのは17才のとき。故郷の熊本を離れ大阪で勤めていたころ、岡崎で「石屋さん」をしていた親類のところに遊びにきて、30センチほどの大きさのカエルの置物を作ってみたのが最初だった。「3日間ぐらい時間を忘れて没頭したね」。自分の手でものを作る経験として最初に触れた石。その面白さに惹かれ、石屋の修行を始めた。
自然のものだから引き算しかできない
「石はもともと硬いものでしょ。硬いイメージを出すのは簡単なんですよ。それをいかに柔らかな雰囲気に仕上げるかだね。陶器のイメージを石で表現するということかな」。石だからこそ表現できることもある。「ふつう、人工的なものは物をプラスして作っていく足し算の世界ですよね。それにたいして石は削ってマイナスしていくだけ。引きの美学がある」。引いていくだけ。それは邪念を取り除くということにつながるかもしれないし、本質を見極めるということなのかもしれない。自然のものならではのわび・さびが生まれる。
空間をプロデュースする
もちろん、上野さんが制作するのは燈ろうだけではない。建築様式の変化にともない、最近は「庭」ではなく「ガーデニング」を意識した和洋折衷の石工品も多くなった。狭い空間の中でいかに効果的に石を取り入れるかを考える。デザインから制作まですべて手がけるが、やはりこだわりは作ることにあるという。「デザインは頭の中での空想の世界。紙の上に描く平面的なものですよね。実際に作るのは現実の世界であり、立体的にとらえること。作ってみてはじめて、こうしてよかったとか、こんなはずじゃなかったとか、いろいろわかるわけです」
職人として「作ること」にこだわる
2000年に日本最大級の石の露天風呂を作った。一個石で75トンのみかげ石は運び出しが困難だったので、すべて豊田市にある現地で加工作業を行った。数人がかりで男風呂、女風呂用の2つを半年がかりで制作した大仕事。加工後の重さは43トン。長さ6メートル、幅3.5メートル。三重県内の温泉で湯をたたえたその露天風呂は30人は入れるほどのゆったりとした広さがある。「自分が作ったものを、お客さんが納得して喜んでもらえれば」と語る上野さん。「石工品は型にはめて作るものじゃなく、すべてオリジナル。“作ること”が石屋の原点です」
現代人の暮らしにゆとりと明かりを
石燈ろうは、神仏前に燈を献ずる宗教的な造り物から、真っ暗な道を照らす道しるべとしての常夜燈へ、そしてさらに庭を飾るための石工品へとその役割を変えてきたが、つねに人の心に明かりを灯す造形美であり続けた。それは燈ろうに限らず静かな意志の込められた石工品すべてに共通することだろう。住宅事情が変化し、庭をつぶして駐車場にしたり、石があると子どもが危険だからと排除したりするのは残念なことだ。「いくら時代が変わっても、年を取ればやすらぎが欲しくなるはず」と上野さんは話す。代が変わっても朽ち果てることなく永遠に親しまれていく石。ゆっくりとしたリズムを刻むその独特の風合いに触れれば、忙しく過ぎる現代社会の中で心のゆとりを取り戻す時間となるだろう。
職人プロフィール
上野一夫 (うえのかずお)
1955年生まれ。
17才で石加工の面白さに惹かれ転職。
「見て心のやすらぐものを選んでほしい」
こぼれ話
暮らしの風景に石を取り入れてみる
「庭つきの家」を持つことを夢見る人は多いですが、昨今の住宅事情では広い庭を持つことは難しくなりました。大胆に石を使った日本風の庭づくりは少なくなりましたが、狭いスペースを上手に利用してガーデニングを楽しんでいるお宅は増えているように思います。洋風の家であっても、グリーンの中に石工品をさりげなく配置して、ひと工夫してみてはいがかでしょう。新しく家を建てるのなら、門をオブジェ風にしてみたり、玄関先に石を敷いてみたり、部分的に石を使うと個性的な演出ができそうです。
マンション住まいで庭など持てないという方でも、ベランダガーデニングに小さな石の置物を添えるなど、楽しみ方はたくさんあります。身近に置いてみると、硬いはずの石がしっとりと温もりのある、優しい表情をもつことに気づきます。
*https://kougeihin.jp/craft/1102/ より
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